美少女霊能探偵
廊下に出た僕は、取り敢えず瞑想の間に向かうことにした。
正直あまり気は進まない。また三浦さんのバラバラ死体を見るのは、精神的にすごく応えそうだから。それでも調査をするのに、事件現場を見ないなんて選択肢はない。
やや重い足取りながらも瞑想の間の前に移動する。
この先の光景をイメージしてしまい、自然と全身に力が入る。扉を開けて一歩中に踏み入れてしまえば、濃い血の匂いをまた嗅がなければいけない。
少しでも匂いを嗅がずに済むよう、深く呼吸を繰り返し、新鮮な酸素を取り込んでおく。それから覚悟を決め、ゆっくり扉を開いた。
「うわっ……」
覚悟した心を一瞬でブレさせるほどの強烈な血の匂いに包まれる。さらに氷の影響から部屋全体がひんやりとしており、まるで死後の世界に迷い込んだような寒気が全身を貫いた。
――ここにいたくない。
そんな弱気な心を叱咤して、一歩部屋に踏み込む。腕で口元を覆い、浅い呼吸を心掛けながら部屋の中を見渡し――この場にすでに人がいることに気付いた。
黒縁の眼鏡と長い艶やかな黒髪が特徴の宜保とよさん。横顔に髪がかかって表情は見えないが、しゃがみこんでじっと死体を観察しているようだ。長すぎる髪が死体に触れてしまわないかと不安になる。
とよさんは余程集中して死体を調べているのか、僕が部屋に入ってきたことに気付いた様子はない。
ちょっと悩んだ末、さすがに無視するのもどうかと思い声をかけることに。それにまず間違いなく、彼女が師匠の言っていた僕以外の調査係だろう。ちゃんと協力関係を築いておきたいところだ。
「あのー、とよさん?」
「へ! わ、ちょっ!」
できるだけ驚かせないよう静かに声をかけたのが逆にあだとなったか、とよさんはびくりと体を震わせ、その場でバランスを崩した。
死体や血を踏まないよう千鳥足で部屋の隅に寄っていく。そしてついに堪えきれなくなったのか、ぺたりと尻餅をついた。
尻餅をついた衝撃で、かけていた眼鏡がぽとりと床に落ちる。
僕は慌てて彼女に近寄ると、眼鏡を拾いつつ手を差し伸べた。
「すいません! 驚かせるつもりはなかったんですけど――」
「だ、大丈夫です。今のは油断しすぎてた私がいけないので」
僕の手をつかみ、とよさんが謝罪しつつ顔を上げる。
至近距離で、初めて眼鏡なしのとよさんの顔が視界いっぱいに映り込む。その顔を見て、今度は鮮明に、記憶の中の映像が浮かび上がってきた。
「もしかして……天上院、京子さん……?」
「え! あっ……!」
眼鏡が外れていることに気付いたのか、慌てて両手で自分の顔を覆う。しかしいまさらそんなことをされても遅い。僕の記憶はしっかりと、彼女のことを思い出していた。
「えと、天上院京子さんですよね? 一時期テレビで引っ張りだこだった、霊能探偵の」
「う、うわあ……久しぶりにその名前で呼ばれた。ていうか完全に正体ばれた……」
とよさん(天上院さん?)は顔を覆っていた腕を下すと、これまでのおどおどした態度を一変させ、胸を張って立ち上がった。
「ふう。ばれちゃったなら仕方ないわね。そうよ、私はかつて一世を風靡した美少女霊能探偵こと天上院京子よ」
「お、おお……」
突然どや顔で自己紹介を行う彼女にどう反応していいかわからず、僕は呆けた声を漏らす。
天上院さんはそんな僕の反応に不満なのか、ぷうっとほほを膨らませる。だけど何も言わずに僕の手から眼鏡を奪い取ると、そのまま死体の観察に戻ってしまった。
いやいやいや。さすがに何が何だかわからない。僕は慌てて彼女の背に声をかけた。
「いや、死体調査に戻らないでくださいよ! どうして天上院さんが名前を変えてここにいるのかとか聞きたいことが――」
「天上院って呼ばないで。私はもうあの家から追い出された身だから。呼ぶなら今まで通りとよって呼ぶか、京子にして」
「え、あ、はい……。じゃあ、京子さん?」
「ええ、それでいいわよ。私と二人きりの時はね」
今までのぼそぼそとした口調はいったい何だったのか。
自信に満ち溢れた居丈高な声とともに、京子さんは振り返った。
――天上院京子。彼女自身が言っていた通り、一世を風靡した美少女霊能探偵。美少女と自分で言うだけあり、目鼻立ちは非常に整っており、テレビ出演時代にはファンクラブまで作られていたほどだ。また純和風な顔立ちながら、一番の特徴はその瞳。光の加減によっては金色に見えることから、『闇夜を照らす神眼探偵』とも呼ばれていた。
霊能探偵と云うだけあって、霊を視て霊と対話し、犯人を突き止めるというのが彼女の捜査法だった。メディア向けのイロモノ探偵っぽいことは間違いないが、実際彼女によって捕まえられた犯人は数知れず。霊を視ることができるという点に対して懐疑的な人こそ多かったものの、その実績ゆえに文句をつける者はほとんどいなかった。一時期は彼女さえいればこの世から事件なんてなくなるだろう、という話が当然のように飛び交うほど、彼女の活躍は目覚ましかったからだ。
けれど彼女は唐突にテレビから――いや、全てから姿を消した。原因は明快。彼女の実家――日本有数の財閥である天上院家――が、彼女の活動を妨害したからだ。天上院家が彼女の活動を妨害した理由は定かではないが、今の日本に、天上院家に逆らうだけの力を持った人はほぼいない。結果、あれほど時の人となった天上院京子は、一月あまりで、まるで存在していなかったかのように皆の記憶の隅に追いやられた……。
と、まあそんな感じで表舞台から完全に姿を消していた元霊能探偵が、なぜか名前を変えてこんなところにいる。霊能探偵としての実績を考えれば彼女がここにいることは不思議でない気もするけれど、ここでの彼女はあくまでも宜保卑弥呼さんのおつきのはず。
いったい何がどういうことなのやら。
さっぱり彼女の登場に理解が追い付かず、頭の中でクエスチョンマークが飛び交う。
余程僕が困惑した顔を浮かべていたのか、京子さんはため息をつきながらも、僕との対話を優先してくれた。
「正直、私から言うことは特にないんだけどね。今はやらなきゃいけないことがあるし。だから、何か聞きたいことがあるなら手短にお願い」
「えと、じゃ、じゃあ……」
彼女の勝気な態度にたじたじになりつつ、僕は必至に疑問を整理する。しかし改めて聞きたいこととなると、自分で呼び止めておいてあれだが、あまり思い浮かばなかった。勿論、これまで何をしていたのかとか、なぜ宜保卑弥呼さんの養女になっているのかとか、どうして変装(?)していたのかとか。聞いてみたいことはたくさんある。だけどどれも、この状況で尋ねるべきことではないような気がして、なかなか質問する気になれなかった。
結果、僕の口から発された質問は、彼女自身とは全く関係のないところに落ち着いた。
「京子さんは幽霊と対話して事件を解決できるんですよね? 三浦さんの霊と対話して犯人を見つけられたりしないんですか?」
「……なんか、これまでのことを色々詮索されるのも嫌だと思ってたけど、まったく興味持たれないってのも腹立つわね」
「そ、それはなんというか、すいません……」
「別にいいけど。実際今大事なのはこっちだし」
京子さんは不機嫌そうに顔を背ける。
そういえば、テレビに出てた頃の彼女も少し高飛車でプライドの高い人だったなあ、と記憶がよみがえる。
これ以上不機嫌にさせないためにも、言葉のチョイスには気を付けよう。そう決意しつつ、僕は彼女の話を聞くために、死体のそばへと近寄った。