大山祁山登頂中
今年の夏は特に暑い。
僕が小学生くらいの頃は、一番暑い日でも三十度くらいだった気がする。それがいつの頃からか三十度は当たり前。四十度を超えることも多々あり、つい先日には五十度を超える場所もでてきたとか。
地球温暖化と騒がれ始めた頃は、また一部の科学者が適当な仮説をでっち挙げたのだろうとしか思っていなかったが、こうなると信じざるを得なくなってくる。
重いリュックを背負って歩きながら、僕は疲れ切った顔で空を見上げた。
下界の人間なぞに一切興味を持たない太陽が、遠慮という言葉とはかけ離れた、堂々たる姿をさらしている。
その逞しすぎる光に目をやられ、僕は一瞬暗転しかけた視界を正面に戻した。
目の前では、リュックも何も持たずに手ぶらで道を進んでいるお師匠様の姿が目に映る。
このクソ暑い夏にも関わらず、お師匠様は常に真っ黒の袈裟――のようなもの。別に仏教徒ではないので単なる趣味らしい――に身を包んでいる。そして本当に不思議なことに、顔や体からは汗一滴として垂れていないのだ。
実は妖怪や幽霊なんじゃないかと不敬なことを考えたりしているが、師匠の肩書きからすればさもありなんという気持ちにもなる。
僕の師匠こと、深瀬一刀(本名かどうか不明)は「霊能力者」である。
霊能力――と言われても、一体どんなものを想像すればいいか困ることだろう。実はそれは僕も同じである。訳あって半年前から師匠に弟子入りしている僕だが、いまだに師匠が霊能力っぽいことを披露している姿は見たことがない。たまに訪れる依頼人に対して、一通り話を聞いた後にちょっとした助言を授ける。基本師匠のやることはそれだけなのだ。
大抵師匠から助言をもらった人は、どこか納得したような、していないような微妙な表情を浮かべながら去っていく。
師匠が接客中、僕は何か呼ばれでもしない限り別室で待機となっている。だから師匠がどんな話をしているのかはよく知らないし、依頼人がそもそもどんなことを相談しに来ているのかも全く知らない。後々お礼のお手紙が届いたりもしないので、情報はほぼゼロである。
ただ、休日平日を問わず、師匠の下には平均して三人ほど依頼人が現れる。この人数を聞いて少ないと思うか多いと思うかは個人の判断によるだろうが、僕としてはかなり多いのではないかと思っている。
何せこの科学万能の時代に霊能力など、信じる人やまして頼ってくる人などそういるとは思えない。にもかかわらず霊能力者などと悪びれず名乗っている師匠の下に、毎日三人も依頼人が訪れるのである。
もはやこれが霊能力でなく詐欺まがいのことであったとしても、かなり凄いことなのではないだろうか。
まあそれはともかく。深瀬一刀は霊能力者であり、四十度を超える猛暑であろうと汗一つかかない人外のお方なのである。
さて、そんな人外師匠と僕――浅草恭一郎は現在、ここ数年全く人が通っていないであろう獣道を黙々と進んでいる。
なぜこんな猛暑の中、人気のない山道を歩いているのか。人によっては犯罪の匂いをかぎ取るかもしれない。が、現実はさにあらず。
今僕らが歩いている山は『大山祁山』という非常に変わった名前の山なのだが、この大山祁山の頂上で今日から数日間、日本全国の霊能力者を集めた霊能力者会談なるものが開催されるのだ。
一部でかなりの知名度を誇っているらしい師匠も栄誉(?)なことにこの会談に呼ばれ、会談の舞台となる大山祁山を登っているわけである。因みにこの霊能力者会談には一人まで弟子や助手を連れていくことが可能らしく、僕も(主に荷物持ちとして)師匠に付き添わせていただいている。
――と、不意の寒気を覚えて僕は意識を現在に戻した。
勿論今も太陽から降り注ぐ圧倒的な熱を浴びせられかけ、全身から汗が止まらない。寒さなどを感じる余地は全くないはずだ。
だけど……。
一歩、一歩と山頂に近づいていくにつれ、得体の知れない寒気が全身を駆け抜けてくる。それは体の芯を震わせるような冷たさで、ただ標高が上がって気温が下がったわけではないことを窺わせる。
霊能力者の集う山頂。
霊能力が具体的にどんな力なのかは全く分からないけれど、それでも人知の及ばない特別な力なのだろうと予想はつく。
そんな超越者たちが会談の場として選ぶぐらいなのだから、おそらくその場自体にも何らかのパワーが秘められているのではないだろうか。
我知らず、緊張からゴクリと喉を鳴らす。
僕は今よりもほんの少しだけ師匠のそばにより、山頂から放たれる謎の冷気から身を隠した。