燃えるトレンチコート
真理を突かれたからか。師匠を含めた霊能力者の皆々は口を開こうとしない。
そんな彼らを見てますます機嫌をよくした三浦さんは、ぴょいぴょい言わせながら、さらに提案を投げかけてきた。
「もしですよ? もし本気で信じてもらいたいのなら、それこそ科学者宜しく、あなた方自身で霊能力が使える条件とやらを厳密に調べてくださいよ。自分で自分の能力を検証するだけなら、誰からも文句は言われないでしょう。そしてしっかり、どんな状況・状態なら科学で再現するのが不可能な『奇跡』を引き起こせるか示せるようにする。要するに、あなた方が本気で霊能力の価値を示したいのなら、こんなとこで油を売ってないで自身の霊能力について検証すべきだと思うわけですよ。まあ、霊能力なんてのが本物なら、の話ですが」
ピョイーと口笛を吹き、三浦さんは話を締める。
この霊能力をまるで信じていない態度。やっぱり凄く苛立たしい。言ってることは間違っていなさそうな分、反論の言葉が思い浮かばず余計に腹が立ってくる。
そろそろ誰か言い返してくれないのか。
僕が焦燥とした視線を皆に向けると、卑弥呼さんが口を開いてくれた。
「検証と言われても、霊そのものが不安定な存在なのよ。そんな簡単に検証できるものではないし、彼らの多くが実験対象とされることを嫌悪すると思うわ。霊能力を検証するというのは、あなたが思っている以上に無謀な考えなのよ」
大げさに肩をすくめ、三浦さんは首を横に振る。
「あのねえ宜保さん。難しいからやらないって、そんなの何の理由にもならないんですよ。霊能力が本物だと認められなければ、この後数百年霊能力者が生き残っていようが科学に貢献する日なんて来やしないじゃないですか。検証が難しかろうが霊は存在するんでしょう? なら証明できるまで頑張らなくちゃあ」
頬をピクリと振るわせつつも、宜保さんは何も言えずに黙り込む。
本当に。本当に腹立たしいことではあるが、三浦さんの言葉は正論だ。
こうして師匠の弟子をやらせてもらっている僕にしても、霊能力を信じ切れていない。科学の発展に伴ってか、オカルトじみたものへの心理的な抵抗が深く心に刻み込まれている。
そんな僕のような一般人に、本当の意味で霊能力を信じてもらうには、どれだけ大変であろうと科学という舞台に霊能力を持ち込むしかない。
いくら言葉を掛けられようと。
いくら奇跡を見せつけられようと。
科学を信じている今の現代人を納得させることはできやしない。
だからこそ――
僕は目の前でじっと黙り込んでいる師匠に目を向けた。
師匠なら。うちの人外師匠なら簡単にこれまでの常識を打ち破り、霊能力を証明することができるのではないか。いや、打ち破ってほしい。今日クラーラさんと話をするまで師匠の霊能力がどんなものかすら知らなかった僕だけれど、それでも師匠がどこにでもいる一般人じゃないことは知っている。僕なんかとは違う、特殊な人間であることを肌で、心で感じ取っている。
だから、言い負かしてほしい。霊能力なんてないと嘲っている三浦さんのにやけ顔を、純粋な驚きの色に染めて欲しい。
僕はじっと師匠の横顔を凝視する。しかし、師匠は一向に口を開いてくれず、代わりにクラーラさんの、実質白旗を上げたようなお決まりのセリフが聞こえてきた。
「……君がどれだけ疑おうとも、それでも霊能力は本当に存在するのですよ。そうである以上、科学にはまだ足りない点があるのは事実なのです。大山祁大先生が仰られたように、このままなくしてしまっていいものではありません。とはいえ今のままでは霊能力者の社会的な排除も近い。だから方策を考えようというのがこの会談の目的であって――」
「ぬるいですね」
唐突に。凛とした涼やかな声が部屋を吹き抜ける。
聞いたことのないその声に、僕は驚いて部屋を見回す。すると再び「ぬる過ぎます」と声が吹き抜けた。僕はそこでようやく、声の主が青木さんであることに気づいた。
見た目と同じく、どこか人間離れした清浄さを含んだ声音。
うっとり聞き惚れかけるも、次に発された言葉は、僕らを現実世界に強く引き戻すものだった。
「霊能力を信じない人間に対し、どれだけ声をかけても無意味です。彼らに僕らの声は届かない。霊能力の存在を信じてもらうには、身をもって体験してもらう他手はありません。こんなふうに」
ぼそぼそと何かを呟いたかと思うと、青木さんは透き通るような、細くしなやかな指を三浦さんに向けた。
三浦さんははったりだと考えているのか、薄ら笑いを浮かべて見つめ返す。だが、ふと何か異変を感じたようで、自身の体に視線を落とした。
それは本当に何の前触れもなく。
彼の灰色のトレンチコートから突然、真っ赤な火が灯った。
「な、なんだよこれはあああああ!」
唐突に灯った赤い炎は、見る見るうちに三浦さんの服を這いあがっていく。
灰色だったトレンチコートは真っ赤に彩られ、徐々にその姿を黒く変色させていく。
三浦さんは焦った様子でコートを脱ごうとするが、突然の出来事にパニックに陥りうまく脱ぐことができない。
僕やクラーラさんも何が起きたのか分からず呆然とただその光景を眺める。
今すぐに服を脱がせ、火を消さないといけない。
そのことは分かっているはずなのに、予想外の出来事に体が動いてくれない。
誰もが固まり動けないでいる中、不意に師匠が動いた。
機敏な動きで三浦さんに近寄ると、一切火を恐れる様子もなく燃え盛るコートに手を伸ばす。そしてもう一方の手で暴れまわる三浦さんの頬を強くはたいて大人しくさせると、強引に服を脱がし床に放り投げた。
「浅草、水だ!」
師匠の鋭い声が飛び、ようやく僕は意識を取り戻す。そして慌てて外に向かって走り出した。
「お、俺も手伝うぞ!」
「いえ私が。水は物置小屋にありますので」
須藤さんと大麦さんも立ち上がり、出口に向かって走り出す。
けれど僕らが部屋から出るより早く、「その必要はありません」と涼やかな声が聞こえてきた。「そんなわけにはいかないでしょう!」と僕が振り返ると、青木さんが再び三浦さんの服に向けて指を伸ばしていた。かと思うと燃え盛っていた火はあっという間に勢いを弱め、何事もなかったかのように掻き消えてしまった。
呆気にとられる僕らに目を配ることなく、青木さんはその場で立ち上がる。そして一度だけ大山祁さんに視線を飛ばした後、「その男がいる限り、僕が話し合いに参加することはありません」と告げ、部屋から出て行ってしまった。
彼が去って以降も、僕は今目にしたものに理解が及ばず、扉の方をぼんやりと眺め続ける。
すると再び師匠から、
「浅草、水だ」
と声が飛んできた。