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夕暮れ時は。

作者:toshi9
 夢を見ていた。
 眼下のバスケットコートで試合が行われている。対戦しているのはうちのバスケチーム、すなわち中央学園バスケ部と隣県の強豪高校だった。コートの中で激しくボールを奪い合う両チーム。その中で一人、長身の選手たちの中を俊敏に動き回る小柄な選手がいた。それは俺だった。俺の目の前で俺自身がコートの中を4人の仲間と一緒に大柄な相手選手の間を駆け抜け、パスを送っては素早くシュートポジションに移動している。電光掲示板を見ると、先週末終わったはずの関東大会の決勝戦だということがわかった。そして俺が3ポイントシュートを決めたその時に第二ピリオド終了のホイッスルが鳴った。
 この試合、後半もこのまま押し切って優勝したんだよな。
 試合の展開を思い出しつつ、俺はぼんやりと試合を見ていた。奇妙な感覚だったが、すぐにこれは夢なんだなと思った。

「三奈美、なにぼーとしているの、ハームタイムだよ」
「え?」
 肩を叩かれてはっと気がつくと、俺は自分が観客席に座って試合を見ている事に気がついた。俺に声をかけたのはチアリーダーだった。ふと気がつくと、俺も彼女と同じオレンジ色のチアリーダーのユニフォームを着ている。
「応援、いくよ」
 席を立ち上がって、チアリーダーが階段に縦一列に並ぶ。俺も肩を叩いた女子と一緒にその列に加わった。何となくこれからどうすればいいのかわかった。

「ふれ~ふれ~、ちゅうお~」
「がんばれがんばれ瀧野」
「三奈美ったら、何言ってるの?」
「え、えへっ」
 何を口ばしってるんだ。俺が俺を応援?
 だが何か言おうとしても自分で動こうとしても、体が思うように動かなかった。誰かが勝手に自分の体を動かしているような、そんな奇妙な感覚だった。リーダーに合わせて俺の体は必死に両手のポンポンを振る。だが、10分のハーフタイムが終わりに近づいた頃、突然胸を圧迫されるような苦しさが襲った。
「く、苦しい」
「どうしたの、三奈美、みなみ!!」
 息が詰まる。
 しゃがみ込むと、そのまま視界が暗転した。


「はっ」
 目覚めたのは、硬いベッドの上だった。ベッド横の広い窓からは夕陽が差し込んでいる。
「ええっと……ここは」
 薄いシーツの感触は家の布団とは別のものだった。周りを見回すと、ベッドを囲うようにカーテンが引いてある。毛布を払いのけて起き上がり、ベッドを覆ったカーテンの一方をそっと開けてみると、ベッドがもう一つ置かれていた。ベッドの上には、顔はよく見えないが体操服を着た女子が毛布にくるまって横になっていた。慌ててカーテンを開いた手を離して今度は枕側のカーテンを開いてみると、ここが学校の医務室だということがわかった。
「どうして俺、医務室のベッドに? あ、そうか」
 思い出した。部活で紅白戦の最中に貧血を起こして、そこから意識がなくなったんだ。まあ関東大会も終わって、ここのところソシャゲー攻略で徹夜続きだったからな。

 壁にかかっている時計を見ると、既に夕方の6時を指していた。窓から差し込んでいるのはすっかり赤くなった夕陽。それがちょうどベッドで寝ていた俺の顔に当たり始めて、眩しさに目が覚めたのだろう。
 窓越しに見える校庭はどの運動部も練習を終えているようで、誰もいなかった。うちの学園は下校時間にうるさい。部活は夕方5時まで、5時半までには下校する事と校則で決められていたから、今が6時だとすると誰もいなくて当然だ。
 それにしても医務室の先生はどこに行ったんだ? いや、そもそもこの時間まで誰もここに様子を見に来なかったのかよ。
 そう思いながら俺はベッドを下りた。
「……がほしい」
「え?」
 隣から、つぶやきと共にすすり泣きが聞こえてきた。
「何があったんだろう」と思いながら、もう一度そっとカーテンを開いてみた。だがそこには誰もいなかった。
「さっきの女子は目の錯覚? それとも……」
 まさか幽霊だった!? 俺は身震いしながら医務室を出た。


「それにしても変な夢だったな。でもあの試合は夢じゃない。俺たちは優勝したんだから」
 歩きながらさっさまで見ていた決勝戦の夢を思い出して、俺は拳を握った。
「でもどうして夢の中の俺は試合に出ていた俺じゃなくって応援していたチアリーダーだったんだろう……ああ、そうか」
 俺はハーフタイム中にちょっとした騒ぎがあったのを思い出した。観客席で応援しているチアリーダーの一人が倒れて、担架で担ぎ出されていったのだ。
「あの子どうしたんだろう。大丈夫だったのかな。あれが気になったから、きっとあんな夢を見たんだ」
 そんなことを考えながら校舎の玄関に向かった。だが靴を履き替えようとしたところで、自分が部活で着ていた体操服のままで、カバンも持ってない事に気がついた。
「制服とカバンは……そうだ、部室に置いたままだった。取ってこなきゃ」

 校庭の向こう側に並ぶ住宅街のすぐ上まで下りてきた太陽が校舎を赤く染める中、渡り廊下を抜けて部室棟の中に入ると、1階一番奥の男子バスケ部の部室に向かった。どの部室も明かりが消され、扉が閉じられていた。だが、男子バスケ部の向かい側にある女子バスケ部の部室のひとつ手前の部室の扉が少し開いたままだった。部屋の明かりはついていない。
「チアリーディング部の部室か。まだ誰かいるのか?」
 扉が開いていたのはチアリーディング部の部室だった。男子禁制の女子だけが中に入れる部室だ。だが灯りは消されて誰もいる気配はない。どうやら鍵どころかドアさえも閉め忘れているらしい。
「不用心だなぁ、全くうちの女子どもときたら」

 俺はドアを閉めてやろうと扉に近寄った。開いたドアからは壁に掛けられたチアリーダーのユニフォームが見える。応援でチアリーダーたちが着ているオレンジ基調に白いラインをあしらったノースリーブ・ミニスカートの、腰に白いベルトのついたワンピースタイプのユニフォームだった。
 他校との試合で彼女たちがポンポンを振り、脚を跳ね上げて応援する姿は観客席から離れたコートの上から眺めても眩しい。ミニスカートの裾から顕わになった張りのある太もも、そして時折覗く白いパンツ。うちのチアリーダーはショートスパッツではなく、伝統的にアンダースコートという見えてもいいパンツをはいているらしいのだが、男にとってそれはパンツと同じだ。彼女たちの派手なパフォーマンスはハーフタイムの間だけとは言え、選手が彼女たちばかり見ているわけにもいかないのでチラ見しかできない。だが、チラ見した瞬間にミニスカートがぺろりとめくれた時のことを思い出しただけでドキドキしてくる。彼女たちが着ていたユニフォームがすぐ目の前に掛けられているのだ。手の届くところに。しかも、もうここには自分以外に誰もいない。
 ムラムラとした気持ちが胸の奥からこみ上げてくる。
「ちょ、ちょっとだけならいいよな」
 掛けられたチアのユニフォームにちょっとだけでも触れてみたいという衝動を抑えきれず、俺は開いていたドアの隙間に滑り込むように入ると、そっと閉めた。


 部室の中は黄色やピンクのポンポン、長い柄のついたフラッグ、化粧道具、その他よくわからない色々な道具でとっちらかっていた。床には白い下着まで転がっている。いや、よく見るとそれはひらひらのレースが重ね縫われたアンダースコートだった。そして部屋の中にこもった女の匂い。部屋の扉を閉めたとたんに部屋の中は甘い匂いであふれかえり、くらくらとしてくる。壁には廊下から見えていたチアリーダーのユニフォームがハンガーで掛けられていた。
「これ……だよな」
 オレンジ色のチアのユニフォームは、部室に入ってみると窓から差し込む夕陽に照らされて、より赤味がかって見えた。
 そう言えば先週末の関東大会決勝も体育館の中にちょうど夕陽が差し込んで、観客席の彼女たちのユニフォームが赤く染まって見えていたんだったな。
 そんなことを思い出しながら、掛けられたユニフォームのスカートに右手を伸ばしてそっと触ってみる。その滑らかな生地は、普段だったら絶対に触れないものだ。それを俺は今触っている。
 恐る恐る右手をスカートから上に移し、ハンガーごと壁から下ろすと、背中のファスナーを下ろしてハンガーを外した。
 そう言えば、夢の中では俺もこれを着て応援していたんだ。
 夢の中でチアリーダーの一人になって試合を応援していた事を思い出すと、急にどきどきしてきた。
 このサイズなら俺でも着られそうだ。ちょっと着てみようか。
 どうして急にそう思ったのかわからない。だが俺は気がつくとはぁはぁと息を荒くしながら運動シャツとズボンを脱いで下着だけになり、ワンピースの背中に開いた空間に足を入れていた。そして両手で引き上げてノースリーブの袖に片手ずつ通すと背中のファスナーを慣れない手つきで上に引き上げた。ワンピースの生地は思ったより伸縮性があるようで、きつくはなかった。
「き、着ちゃったよ」
 恐る恐る姿見に近寄り、前に立った。

「ぷっ、何だこれ」
 そこにはチアのユニフォームを着た俺が立っていた。俺はバスケ部の中でも一番背が低く160cmそこそこなのだが、小柄とはいっても顔も体型も男の俺が着ても似合うはずがない。だがサイズが合っている為か、まるっきり見られないというほどでもない。鏡に映った自分を見ていると、本当にチアリーダーの一員になったような気持ちになってくる。夢の中で女子の一人として応援していた記憶が蘇り、倒錯した興奮が俺を覆っていった。

「がんばれがんばれ瀧野」
 夢の中では俺が試合に出ている俺の応援してたんだったな。
 小さく声に出して、チアダンスを踊るように鏡に向かって左足を高く上げてみる。だがスカートの中からは白いパンツではなく縞のトランクスが覗く。
「うーん、何か興ざめだな。そうだ」
 床にアンダースコートが転がっていたことに気がついた俺は、トランクスを脱いでそのアンダースコートに履き替えてみた。鏡の前でスカートを持ち上げると、スカートに隠れていた俺の下半身は白いアンダースコートに包まれている。俺の興奮した気持ちそのままに股間がもっこりと膨らんでいるが、そこを隠すようにくいっと腰をひねると、ひらひらのレースのついたお尻が鏡に晒された。
 映っている俺は、顔さえ見なければ何とか女の子のように見える。だがいくらチアリーダーのユニフォームでシナを作っても、顔が映ると変態にしか見えなかった。

「何かないのかな」
 俺はいつしか夢中になって部室の中を物色していた。並んでいるロッカーのひとつを開けてみると、中には長袖の白いブラウスと紺のプリーツスカート、そしてクリーム色のニットのベストが入っていた。うちの学園の女子の制服だ。ブラウスの左胸には、柏葉三奈美と書かれた2年生を現す2本のラインが入ったネームバッジが付けられていた。
「制服をロッカーに置きっぱなしなんて、まだ練習している? 校則破って? いや、そんなはずないよな。何か事情があって置いて行ったのかな」
 今度は隣のロッカーを開けてみると、そこにはぶよぶよした奇妙なものが数個入っていた。出してみると頭からすっぽりかぶれる顔マスクだった。セミロングの髪もついている。顔マスクは何かのアニメキャラっぽかった。
「これってどっかで見たことが……そうか、文化祭の時のだ」
 それは文化祭の時に、チアリーディング部で某アニメのエンディングのダンスを披露した時にかぶっていたものだと思い出した。
「これをかぶったら顔が隠せるな。どんな風に見えるんだろう」
 俺はそのマスクの後ろについているファスナーを開けると、頭を女の子の顔マスクにぐいっと押し込んだ。すぽっと俺の頭が顔マスクの中に入る。ファスナーをおろして目の位置を合わせると、マスクをかぶっていてもちゃんと見える。
 再び鏡の前に立ってみると、鏡に映る自分はさっきとは全く雰囲気が変わっていた。住宅街に落ち始めた真っ赤な夕陽を背にして立つ、チアのユニフォームを着た俺の姿は、ちゃんと少女の姿に見えるのだ。
「かわいいじゃないか」
 自分自身のはずなのに、鏡の中に立っている姿は別人のように見えた。
 ぼーっと鏡を見つめる俺を、かわいいマスクをかぶったチアリーダーの女の子が見返している。いろんなポーズを取ってみると、本当に俺がチアリーダーになった気になってくる。

 俺が鏡と向かい合ってポーズをとっていると、半ば以上住宅街に沈み始めていた窓の外の夕陽はやがて完全に見えなくなってしまった。そして日が完全に落ちた瞬間、俺の頭の中に女の子の声が響いた。
「……あ……げ……る……」
「え? 誰?」
「全部……あなたにあげる」
「え? 何をあげるって?」
「そのユニフォームも……あたしもあげる。だからあなたをちょうだい、もっとちょうだい、全部ちょうだい」
「え? 何だって?」
「もらって、いいでしょう」
「え? あ、ああ」
 突然頭の中で囁いてきた女の子の声に、俺はわけもわからずに返事してしまった。
「ありがとう。あたしもあたしの時間もあたしの想いも全部あなたにあげたよ。あなたをもらったよ。だから今度こそ……」
「ちょ、ちょっと、誰なんだ。どこにいるんだ」

 その時、薄暗くなってきた部屋に突然灯りがついいて、ガラッとドアが開いた。
「あなた誰? こんな時間に何やってるの?」
 明るくなった部室に入ってきたのは、30代前半に見える女性だった。たしか、チアリーディング部の顧問の若林先生だ。
「あ、あの」
「まあ、そのマスクは……マスクを取りなさい」
「で、でも」
「取りなさい!」
 外したら、俺が俺だということがばれてしまう。男子なのにチアリーディング部に忍び込んで、女子のチアのユニフォーム着ている。うぁわ、まるっきり変態じゃないか。このままじゃ退部どころか退学だよ。
 でも険しい表情で俺を睨む先生の様子は、とてもごまかせそうにない。俺は意を決して恐る恐るマスクを外した。
「あ、あなた」
俺は肩をすくめ、観念して目をつぶった。
「柏葉さん、体は大丈夫なの?」
「え?」
「キャプテンから聞いたわ、練習中に倒れて医務室で休んでいたんでしょう。お母さんが迎えに来るまで休ませておきなさいって言ったのに、お母さんが医務室に行ったら誰もいないって今帰られたばかりなのよ。全くどこに行ってたの、体調は大丈夫? 気持ち悪くない?」
「は、はあ」
「だったら良いわ。明日はバスケ部の試合の応援でしょう。とにかくこんな時間なんだからもう帰りなさい。お母さんには私から連絡しておくから」
 明日バスケ部の試合の応援?
「あの、明日って?」
「あら、明日はバスケの関東大会でしょう。優勝するまでがんばって応援するって、あなた言ってたじゃない」
 ちょ、ちょっと待て、関東大会はもう終わってるぞ……。
「あの、先生、きょ、今日って何日何曜日」
「変なこと聞くのね、今日は10日の金曜日でしょう」
 違う、今日は14日の火曜日だ。何かがおかしい。
 だが、さっきの険しい表情から一転、優しい表情で俺を見る先生に、おれはこくりと頷くしかなかった。
「それじゃ、早く着替えて帰るのよ」
 そう言い残して若林先生が部室を出ていくと、俺はほっと胸をなでおろした。
 どうしてアニメキャラのマスクをつけていたのか気に留めた風でもないが、どうやら先生は俺をチアリーダー部の女子部員だと思い込んでいたらしい。だったらこの場はそう思わせておいて早いところ部室から退散しないと。
 俺だとばれていたらと思うと、考えただけでも空恐ろしい。

「とにかく着替えて、さっさとバスケ部の荷物を取ってこよう」
 俺はチアのユニフォームから着替えようと自分の体操服を探した。だが、床に脱ぎ捨てたはずの俺の体操ズボンもシャツも、トランクスさえも見当たらなかった。
「あれ? 脱ぎ捨てたままだったよな」
 だが部室の中のどこにも、俺の服は見当たらない。
 このままではまずい。
 そう思いつつ探し回る俺の目に、ふと鏡に映った自分の姿が入った。チアのユニフォーム姿で立っていたのは、どう見ても女子にしか見えない。自分で見ても若林先生が見間違えたのがよくわかる……って、待て、これって誰だ。俺の顔じゃないぞ。
 鏡の中に立っていたのは俺ではなかった。俺の顔はセミロングの女子の顔になっていた。体型も肩幅の狭い線の柔らかいものに変わっている。かわいい女の子が驚いた表情で俺を見返していた。
「ええ?」
 慌てて自分の体を見下ろす。胸がささやかながら盛り上がっていた。触ってみると、柔らかな膨らみができていた。強く揉むと痛みが走る。
「いたっ、いたたた。な、なんでだ……股間は?」
 アンダースコートの中に手を突っ込む。
「な、ない!」
 鏡の前でポーズを取っていた時に興奮していた俺の股間のものは消え失せていた。
「お、俺、女になっちまったのか? どうして? これどうするんだよ」
 鏡に映る、まるっきりチアリーダーにしか見えない自分の姿を唖然と見つめながら、俺は股間を押さえて立ちすくむしかなかった。
「どうしたの~? 柏葉さん、早くしなさい」
 廊下から若林先生が呼んでいる。
 柏葉さん? さっきも俺のことを柏葉って、ん? 柏葉って確かあの制服についてたネームバッジの名前も柏葉。
 ロッカーに入っていた女子の制服のことを思い出した俺は、ロッカーから出してみた。ネームバッジに確かに柏葉三奈美と書かれてある。
「そうか、この制服の持ち主と間違えているんだ」
 ロッカーからハンガーに掛けられた白いブラウスと紺のプリーツスカート、そしてクリーム色のニットのベストを出すと、中にはスポーツバッグも置かれていた。ファスナーを開けると、中にはブラジャーとショーツそして赤いリボンタイと紺のハイソックスが入っている。ロッカー下の靴置きにはローファーも入っていた。
「はぁ~、今はこれを着て出るしかないのか」
 ため息をつきながらも、俺は一式揃っているその女子の制服に着替えることにした。
「でも、これ……着ていいのか?」
 冷静に考えると俺が着ようとしているのは下級生の女子の制服なのだ。だが迷っている暇はない。ぐずぐずしているとまた先生が入ってくる。不審に思われると、今度こそ何を聞かれるかわかったものじゃない。俺はチアのユニフォームを脱ぐと、焦りながらもブラジャーとショーツ、そしてブラウス、スカートと着ていった。下着も制服もサイズがぴったりだった。リボンタイをつけベストをかぶって最後にしゃがんでハイソックスを履いていると、しびれを切らした若林先生が入ってきた。
「何をしているの、着替えは終わったの?」
「は、はい」
「それじゃ、早く帰りなさい。帰り道に気を付けるのよ」
 そう言いながら若林先生は俺の脱いだチアのユニフォームを拾い上げて俺に向かって差し出した。
「はい、これも忘れないで。明日の応援で着るんでしょう。明日は駅前に10時集合よ」
「は、はあ」
 俺は先生からユニフォームを受け取ると、俺は胸についた柏葉三奈美と書かれたネームバッジをそっと触った。
 俺、どうしてこの子になっちゃったんだ。

 スポーツバッグにチアのユニフォームを押し込んでローファーを履く。靴のサイズもぴったりだった。部室棟を出ると、外は日がとっぷりと暮れて星が見え始めていた。柏葉三奈美として女子の制服姿で学校から追い出された俺は、灯り始めた街灯に照らされながら閉まった校門を見つめて途方に暮れた。
「俺、どこに帰るんだ。俺のうち? それともこの柏葉三奈美って女子の家? でも柏葉三奈美の家なんて、知らない……いや、知ってる」
 俺の足は自然と柏葉三奈美の家に向かっていた。自分の家ではないのに、ちゃんとどう帰ればいいのかわかる。俺は俺のはずだ。だが不思議なことに自分の……瀧野俊哉の記憶だけでなく柏葉三奈美の記憶も思い出せるのだ。そう言えば着方を知らないブラジャーや女子の制服をすんなり着られたのも、無意識に彼女の記憶を思い出していたからかもしれない。
 そんなことを考えながら暗い夜道を柏葉家に向かった。

 家に戻ると、母親が玄関に飛び出してきた。
「三奈美ちゃん、あなた学校で倒れたんですって? 大丈夫なの?」
「は、はあ」
「ほんとに心配したのよ。全く、心臓が悪いのにチアリーダーなんていいかげんやめなさい」
「でも明日は」
「ええ、わかってるわ、バスケットの試合の応援に行くんでしょう。言っても聞かないんだから。でも、もし気分が悪くなったらすぐにやめるのよ。今度倒れたら、続けることは許しませんからね」
「は、はあ」
 キッチンの壁に下げられた日めくりカレンダーをちらりと見ると、今日は間違いなく関東大会前日の10日の金曜日、すなわち俺が紅白戦で貧血を起こして医務室のベッドで横になっていた日の4日前だった。不思議だが俺はいつの時点からか、4日前の柏葉三奈美になってしまっていた。

「どうしてこんなことになったんだ。本物の柏葉三奈美はどこに行ったんだ。そういえばあの時若林先生が医務室で休んでいたって言ってたな。あの時隣のベッドで寝ていた女子が柏葉美奈美? そう言えば隣から「欲しい」とか「あげる」とか、頭の中で聞こえたあの声と同じ声が聞こえていたけど、でもどうして消えちゃったんだ……」
 三奈美の部屋に入ってベッドに座り込むと、俺は今までに起きた出来事を整理してみた。
「若林先生が言ってた通り彼女が医務室にいたとしたら、俺が医務室で目覚めた時にはもう10日になっていたって事か。いや、彼女は消えていたからそうとも言い切れない。そうだ、あのまま帰ればまだ良かったんだ。こんな姿になったのはチア部の部室で「あたしをあげる」とか聞こえてきて、「うん」と言ってしまった時だよな。う~ん、今さら後悔しても仕方ないけど、チアリーディング部の部室になんか入るんじゃなかったよなぁ」
 昔の偉い人が言ってたらしい、『後悔先に立たず』と。まったくだった。
「明日は土曜で、もう一度関東大会がある。それを俺が柏葉三奈美として、チアリーダーの一員として応援するのか」
 そこまで考えて、俺はぞくっとした。
「4日前の俺って今どうなっているんだ!?」
 この俺が4日前に遡っているのに、俺の家にも俺がいるかもしれない。ってことは、今、この世に俺が二人いる? あの夢みたいに俺が出場する試合を俺が応援するのか? 本当に俺がもう一人いるのか?」
 試しに俺のLINEしてみようかとも思ったが、恐ろしくてできなかった。

 その夜、俺は記憶のままに柏葉三奈美として着替え、食事を終えると自分の体にどきどきしながらシャワーを浴び、そして明日の応援に備えてベッドに就いた。慣れない体とベッドの中にこもった女性の甘い香りになかなか眠れない俺は、柔らかな羽毛布団の中で再び彼女の声を聞いた。
「あたし死んじゃったの。瀧野先輩のことが好きで一生懸命応援していたのに急に心臓発作が起きて、それから3日後に」
 試合の3日後って、14日火曜日だ。俺は試しに彼女の声に呼びかけてみた。
「ということは、やっぱり君はあの時観客席で倒れた子だったのか。どうして俺はこの姿になったんだ?」
 だが彼女の声は俺の問いに答えない。
「あたし先輩を最後まで応援したかった。優勝したら告白したかった。『好きです』って。それなのに……。病院のベッドの中から落ちる夕陽を見ていたら急に体が軽くなって、気がついたら試合の前日に戻ってこられた。こっちのあたしの体は消えてしまったけど、代わりに発作の起きない体があたしのものになった」
「発作の起きない体?」
「あなたのことよ。あたしのチアのユニフォームを着てくれた変態さん。あなたは今日からあたしになるの。そして優勝したらあたしの代わりに『彼』に告白するの」
「ちょ、ちょっと待て、その『彼』って俺だぞ」
「何を馬鹿なこと言ってるの、あなたみたいな変態さんなんか、あたしの瀧野先輩じゃない。あなたはもうあたし。あたしとあなたはひとつになっているの。あなたはこれからずっとあたしになるの。ああ、瀧野先輩、だいすき」
「そんな、わけわかんねえこと、ひっ」
 俺の手が勝手に体をまさぐりだす。胸を、そして……。
「ひ、ひくっ」
 『その』瞬間体がぶるっと震え、俺の気は遠くなっていった。


 翌日のバスケットボール関東大会の決勝、俺はチアリーダーの一員として観客席から懸命に応援していた。
 眼下のコートで3ポイントシュートを決めたのは瀧野俊哉先輩。
「きゃ~素敵」
 きゃっきゃっと隣の子と手を取り合って叫ぶ。
「ほらまた彼がシュートを入れた。逆転よ」
「やった~」

 そしてタイムアップの笛が鳴った。
 決勝の試合に勝った瞬間、俺は観客席で飛び上がって隣のチアリーダーと抱き合って喜んだ。コートでは俺が汗を拭っている……俺が汗を? あれ、俺って?
「俺? ちがう、どうしてあたし自分のことを俺なんて、それにあそこで汗を拭っているのは俺じゃなくて……」
「三奈美、どうしたの? 今、俺って言わなかった?」
「え? そんなことないよ」
「あんたの大好きな瀧野先輩、大活躍じゃん」
「そうだね、えへへ」
「今日は心臓発作起きなかったね」
「うん、好調みたい。たぶんもう発作は起こらない。大丈夫だよ」

 あたしはコートで整列して観客席に向かってお辞儀している瀧野先輩を眩しく眺めていた。
 「好きです」と告白しようと心に決めて。
 コートに体育館の窓から夕陽が差し込んでいた。

(終わり)

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