はじまりと雪
昔々、砂漠に囲まれたある国で、マライカという女の子がいました。
マライカは本を読むのが大好きで、いつも暇さえあれば学校や町の図書館から本を借りてきては読みふけり、学校の行き帰りに古書屋を訪れては読みふけるので、学校を遅刻することも日が暮れても家に帰らないこともよくありました。
マライカは学校の勉強は好きではありませんでしたが、本からとりいれたたくさんの知識で周りの人たちを楽しませるのが好きでした。とても好奇心が旺盛で、本に書いてあることが本当にその通りなのかどうか自分で確かめずにはいられません。
ある時は、異国に夜空を彩る花火というものがあることを知ると、火薬の作り方をさらに本で調べ筒の中に詰め込んで火をつけてみたりもしました。ですがうまく空に打ちあがらず、秘密の実験部屋にしていたほったて小屋を燃やしてしまったこともあります。
また医学書を読むことに夢中になっていたマライカは、学校で飼育しているロバが後ろ足を怪我したと聞くと、手当てしてやろうと母親の裁縫道具で傷を縫いつけようとしたこともあります。痛みで驚いたロバはマライカを蹴りあげたばかりか、それを見た学友の少年はマライカがロバを解剖していると思いこみ失神してしまいました。
人を驚かせるようなとんでもないことをしでかすので、マライカはいつも親や先生に怒られてばかりです。ですがどれだけこっぴどく怒られ罰を与えられてもマライカは反省するどころか、また町へ繰り出すのでした。
マライカは他の女の子たちのようにおしゃれにもお裁縫や料理にも恋のお話にも興味がありません。町の女の子たちは長く伸ばした髪で色々な編み方をしたり、はやりの衣服に目がないようです。でもマライカはその漆黒の髪を男の子のように短く切り、男の子たちが履いているのと同じキュロットパンツをはいて、いつも服を泥だらけにしては腕や足に痣や傷をつくっていました。近所の弟分たちを率いて森や廃屋で秘密の基地を作ったり冒険したり、実験という名の悪戯をしているため、服から伸びている細い手足は香ばしい匂いがしそうなほどよく焼けています。
そんなマライカのことを町のパン屋さんも町外れの門番も男の子だと思っていました。町の人たちが自分のことを男の子だと思い込んでいることは分かっていましたが、マライカは気にしません。
そんなある日、お父さんが言いました。
「マライカ、よく聞いてくれ。我が家は生活していくのがやっとだ。一日に一度、豆のスープとパン一切れを食べるので精一杯だ。だからね、お父さんは雪の降る国に行って雪を取ってこようと思う」
雪。それはマライカにとって初めて聞く言葉でした。
「雪ってなあに?」
「お父さんも見たことはないが、噂によると雲のように真っ白で氷のように冷たいらしい。そんな珍しいものを持ちかえればきっとこの砂漠の暑さを和らげてくれるだろう。町の人も喜ぶだろうし、売ることができれば幾らかマシな生活を送れるようになるはずだ」
お父さんはどこか寂しそうに笑っていました。その顔を見てマライカはお父さんが遠い所に行こうとしていることが分かりました。
「どこで雪は取れるの?とても遠いの?」
「そうだな。砂漠の海をこえ、荒野をこえ、枯れた川を一つ二つ登り、山を越えると冬の国へ行けるんだ。その国は雪で覆われ雪をもてあましているらしい。だからいくらでも分けてもらえるだろう」
マライカにとってもお父さんとしばらく会えなくなるのは寂しいことです。叱られてばかりでしたが、それでもマライカはお父さんのことが大好きだからです。しょんぼりしたマライカを見てお父さんは言いました。
「お前も雪を見たことがないだろ?それはそれは美しいらしい。お父さんが帰ってきたらお前に一番先に見せてやろう」
お父さんが見たこともない雪を見せてくれる、その約束の言葉がほんの少し寂しさをやわらげてくれたのでマライカは大きく頷きました。
その晩、マライカは雪について書かれた本を片っ端から読み始めました。分かった事といえばお父さんが言っていたことと同じで、世界を真っ白に染めてしまうということと、とても冷たいけれど太陽の光に溶けてしまうということ、そして空から降ってくるということでした。
それでもマライカは雪がどんなものなのかよく分かりません。一度も目にしたことがないので、本当にあるのだろうかと思いました。あったとしても、お父さんや本が教えてくれたことだけでは本当に雪を知っているとはいえません。マライカは早くこの目で雪を見たいと思いました。
次の日、マライカはお母さんと一緒に、家を出て行くお父さんを町の門まで送りました。マライカは寂しくてたまりません。でもお父さんはお母さんと自分のために出掛けていくのだから、お父さんにつらい思いをさせたくありません。マライカは泣くのを必死にこらえて、お父さんの背中が見えなくなるまで大きく手を振りつづけました。
それから三か月が経ちました。お父さんはまだ帰って来ません。便りも届きません。マライカもお母さんも心配です。それでもお父さんが今どこを旅しているのか、町を出たことのない二人には分かりませんでした。ただ待つしかありません。マライカは寂しくてもお母さんを元気づけようといつも笑っていました。
半年が経ちました。お父さんから便りは届きません。マライカは夕方になると決まって町の門の前で暗くなるまで門をくぐり抜ける人々を見守るようになりました。門番のおじさんともいつの間にか仲良くなり、マライカが女の子だと知るとすっかり驚いてすっとんきょうな声をあげるので、マライカはお腹を抱えて笑いました。それでもお父さんは帰って来ません。マライカはずっと待っているしかありません。
一年が経った頃、マライカの心は心配のあまり砂嵐のように乱れていました。お父さんに何かあったのかもしれません。もしかすると、冬の国に雪はなかったのかもしれません。いえ、冬の国にだけでなく雪はこの世に存在しないのかもしれません。それでもお父さんはマライカとの約束を果たすためにずっと雪を探し続け、遠い遠い所にまでさ迷っているのだとしたら……
お父さんが旅に出てからマライカはずっと雪について調べ続けてきました。自分でも雪を作ってみようと何度も試みました。それでもうまくいきません。どうして雪は存在するのか、空からどうやって生まれるのか、その答えが分からなかったからです。答えが分かればお父さんがいる場所も分かるかもしれないというのに、学校にも町で一番大きな図書館にも、マライカが知りたい答えをくれる本はありません。
今まで何でも教えてくれたはずの本が何も教えてくれないことにマライカはがっかりしました。それでもあきらめません。探している答えはきっとどこかにあるはずです。見つけれられるはずです。マライカにも何かできるはずです。
お母さんはお父さんのことが心配で心配ですっかり元気をなくしていました。町で一番美しいと評判のその顔は疲れのあまり輝きをなくしています。料理を作っていた手をとめ、ため息でしぼんだ背中がときどき小さく揺れていることにマライカは気がついていました。お母さんは涙を流すたび、けして丈夫ではない体をすり減らしてしまっているのかもしれません。自分より小さくなってしまったお母さんの背中を見て、マライカの心には決意が灯りました。
あくる晩、マライカはお母さんの背中を抱きしめて言いました。
「お母さん、わたし、冬の国へ行く」
お母さんの背中が一瞬固くなりました。
「何を考えてるの?」
お母さんの声が震えています。マライカはお母さんからそっと離れ、真っ直ぐお母さんの顔を見ました。
「お父さんを探しに行く。お父さんを見つけて、雪を一緒に持って帰ってくる」
マライカがそう言ってもお母さんはとても怖い顔をしています。
「マライカ、あなたが行かなくてもお父さんは賢い人よ?きっと何かあっても必ず帰ってくるわ。それまで辛抱していなさい」
「だけどそんなお父さんが、わたしたちを心配させるって分かってるはずなのに便りひとつよこさないって何かあったとしか考えられないよ。もうとっくに冬の国に着いてていいはずなのに。ほら見て、これ、冬の国までの地図……」
マライカが町の長老からゆずってもらった地図を見せようと差し出した時、お母さんはそれをはたき落してしまいました。
「子供がひとりで旅するなんて無理に決まってるじゃないの!大人でも危険がいっぱいだって言うのに、男の子ならまだしもあなたは女の子なのよ!?悪い人にあったらどうするの?女の子は危険なことなんてしようとしなくていいの。大人しくこの家でお母さんといなさい!」
お母さんは大きな声で怒りました。普段ならすぐに謝るマライカでしたが、この時ばかりは違いました。
女の子だからなんだというのでしょう。男の子だって危ない目にあうこともあれば悪い人にだって会うはずです。悪い人が悪いことをするからいけないのに、どうして何も悪くない自分が女の子だからという理由で我慢しなくてはいけないのでしょう。マライカにはお母さんの言っていることが納得できません。
「女の子だからってどうしてお父さんを助けに行っちゃだめなの!?分かんないよ!どうして男の子はよくて女の子はだめなの!?そんなのおかしいよ!どっちで生まれるかなんて選べたわけじゃないのに、どうして自分が女の子だってこと、恨ませようとするの!?」
マライカはお母さんに負けないぐらい大きな声で言いました。
マライカもお母さんもお互いにゆずりません。お母さんは大きな息をひとつ吐きました。
「とにかく、駄目なものは駄目です。もう部屋に行って寝なさい」
お母さんはマライカに背を向け後片付けを始めました。もうこれ以上マライカが何を言っても聞いてはくれないでしょう。マライカはぎゅっと唇を噛み、床に落ちたままの地図をひっつかんで部屋に駆け込みました。
それでもマライカの中で燃えている思いはお母さんの言葉でめげてしまうほど弱くはありません。マライカはベットにもぐりこむと頭までシーツをかぶり、じっと夜が更けるのを待ちました。
お母さんが隣りの寝室に入り眠った頃、マライカはそっとベットから起き上がりました。そして家にあるありったけのパンを肩掛け鞄につめこみ、家の中で一番大きな革袋に水を入れました。一番丈夫な靴を履き、地図とコンパスを手にマントをかぶればもう用意万全です。
マライカは足音を忍ばせ静かに家を出ていきました。