恋せよ歌姫
これは一国の王女が紡いだ、復讐と恋の物語である。(……多分)
『異世界転生』というワードを入れさせていただきましたが、「念のため~」という感じです
シュテルンヒンメル王国。
豊かな国土と広大な敷地面積を持つ島国で、『王族は神に癒しの力を与えられた』という古い言い伝えで有名だ。その言い伝えを裏づけるように王族は皆、美しい歌声を以って争いを諌め、土地を豊かにさし、生き物の心を癒すと言われている。
そんなシュテルンヒンメルの首都、ガラクシアースにある城にて行われているパーティーに参加していると――事件は唐突に起こった。
「アステル・ヴェレッド・ジェミオス! お前がシュテルンヒンメル王国王女、エンハンブレ・リート様に学園で悪質な行為をしていたことは証拠が上がっている!」
「いくらジェミオス王国のお姫様とはいえ、これは許されない行いですぞ!」
「大人しく処刑されろ!」
輝く涙を目尻に浮かべるリアルお姫様を背中に守りつつ、私に吠える男達。
その姿はさながら番犬ね。けれど、躾がなっていないわ。
他人事のように達観する私に、静まり返ったギャラリーの視線が集中する。それもその筈、この私こそ、不躾な男達に名指しされたアステル・ヴェレッド・ジェミオスなのだ。
名前も存じない殿方に名指しされる筋合いはないのだけど……と僅かに片眉を上げていると、ざわつき始めたギャラリーの中から「待て!!」と聞き覚えのある声と共に複数の男性が私の前に並ぶ。
「アステルが悪質な行為だと? 自ら国の名を汚すマネなど、この娘がやる筈がない」
アクアリオ王国第二王子、ディラン。
「そ、そうです! この場に居る誰よりも王族としての品格を持つアステルさんが、そんな卑怯者同然のことなどしません!」
アリエス王国第三王子、ワイアット。
「証拠が上がっていると言っていたが、まず彼女の情報から洗い直すことを勧める」
サルジタリオ王国第二王子、ブレイデン。
「尤も、紙に書かれた無機質な文字よりも信頼できるものがあると思うがな」
リオン王国第一王子、アイゼアさん。
「アイゼアの言うとおり! 『百聞は一見にしかず』って言葉、知らないの?」
リブラ王国第三王子、ノアさん。
「誰かが他人のことをどう思おうと、それは相手の自由だよ。……だけど、それを分かっていても尚、アステルに言の葉の刃を向ける奴らに怒りを覚えるのは、俺が未熟者だからかな」
そして、私の最愛の弟でありジェミオス王国第一王子、エルネスト。
声に覚えがあるのも当然だ。彼らは私の学友なのだから。
名だたる王族・貴族が自らに足りないものを学び、身につける教育が特色の名門校、シュテルンヒンメル国立ノーチェ学園。私達は皆、その高等部に属する生徒なのだ。
ワイアットは後輩で、アイゼアさんとノアさんは先輩、残る三人は同輩として共に学園生活を過ごしていた各国の王子達。
まるで騎士のように私の前に立ち、相手を睨みつける姿のなんと凛々しいことか。
ギャラリーの女性方が場違いにもうっとりと乙女の顔をするのも無理はない。
特に、くるりと振り返って「大丈夫。アステルは、俺が守るよ」と微笑んだエルネストの美貌は国宝物よね。我が弟ながら、末恐ろしい女性キラーだわ。
「『俺達が』だろ」
「エルネスト、弟とはいえ些か執着が過ぎると思うぞ」
「弟が姉に執着して何が悪いと?」
「いつまで経ってもアステルが嫁に行けなくなるのは十分悪いだろう」
「シスコンも度が過ぎれば厄にしかならないしね」
「ご心配なく。アステルの貰い先がなければ、俺の妻としてどこにも行かないようにします」
「あ、あの、それはやり過ぎかと……」
……と言っても、会話から分かるように、苦言を涼しい顔で受け流すエルネストとは実は血の繋がった姉弟ではない。
私は赤ん坊の頃に故あって実の親と引き離され、育ての親であるジェミオス王国の両陛下にエルネストと双子同然に育てられたのだ。
弟どころか、親とも容姿が似ていないことに疑問を抱いていたのはもう過去の話。
今は真実を知って、それでも家族として扱ってくれる両陛下とエルネストに感謝しつつ、ジェミオスの名に恥じない王女として生きている。……のだけど、血の繋がりはないけれど本当の弟のように思っていたエルネストから先日、「一人の男として見てほしい」と告白された時は流石に取り乱してしまったわ。
男心ってやっぱり難しいわね。あんなに仲睦まじい姉弟のように育ったのに、いったいどこで私を異性として見るようになったのかしら……。
「……ぜですか」
ぽつり、今にも消え入りそうな弱々しい声が私の耳朶を打つ。
友人達にも聞こえたらしく、揃って声の主、エンハンブレ様に顔を向ける。
「何故、貴方達はそちらにいるのですか……?」
「『何故』だと? 愚問だな。俺達は根も葉もない嘘で相手を貶める貴女より、いつだって王族として前を見据える友人が大切だからさ」
「嘘なんかじゃ……!」
「では仮に貴女方が言う悪質な行為が事実だとして、具体的な内容を詳しく教えてもらおうか。ただし、少しでも矛盾点があった場合、俺達がアステルの友人を代表して反論させてもらう」
今にも泣きそうな、悲痛な声で訴えるエンハンブレ様と相対したのは、生徒会長を務めたアイゼアさんだった。
凛とした姿と声色は、生徒会長に立候補した際の演説を彷彿とさせる。
エンハンブレ様は一度ぐっと言葉を詰まらせたものの、すぐに「……分かりました」と表情を引き締めた。
王女としてはまだまだ未熟ですが、彼女の挫けない精神が私は好きだったのですが……何故このような形で敵対しなければならないのかしらね。
「読み上げてちょうだい」
「はっ。アステル様は、エンハンブレ様への暴言をはじめ、私物の破壊・隠蔽、更には暴行をしていたようです。証拠として、こちらに記憶石がございます」
エンハンブレ様に命じられ、番犬の一人が一歩前に出て書面上の文字を読む。そうして懐から記憶石を高らかに出せば、ギャラリーは一層ざわついた。
記憶石とは、文字どおり実際に起こったことなどを映像として記憶する石のこと。日光を吸収することで、半永久的に記憶できるのが特徴だ。原産国はシュテルンヒンメルが主。
アイゼアさんの「見せろ」という言葉に従って記憶石が手渡されると、王子達は輪になって一様に石の記憶を見る。
静かに、そしてじっくり映像を確認していく彼らに番犬達が勝ち誇った笑みを浮かべる。……けれど、
「これはアステルがやったという証拠にはならないよ」
「なっ、何故ですか! 証拠がそのように残っているのですよ?!」
「確かにこれは嫌がらせの証拠だ。だけど、アステルが犯人だという証拠にはならない。何故なら、映像に映っているこのアステルは偽物だから」
これは満場一致の意見だったよと、とある場面で停止させた映像を指し示しながら前に出たエルネストに、相手は息を呑んだ。
明らかに顔色が悪くなったが、諦めが悪いらしい番犬は「し、しかし!」と続ける。
「映像のアステル様が偽物という証拠こそないじゃないですか! 何を根拠に偽物などと……!」
「髪飾り」
「……は?」
「映像のアステルの髪飾りが違う」
「それが、なんだと言うのですか?」
「アステルが普段身につけている髪飾りは、母上がアステルの入学祝いに授けた、ジェミオス王家の女性のみが持つことが許される唯一無二の髪飾りなんだよ。つまり……」
「この世に二つと存在しない。背格好も装飾品もできる限り似た物を使ったようだが、俺達は目利きが良いものでな」
不敵な笑みを浮かべるディランの言葉で人々の視線が再び私に集まる。
私は一つ息を吐いて、そっと件の髪飾りに触れてみせた。
控えめなパールのバチ型の髪飾りは、二人の言うとおりこの世に二つとない、ジェミオス王国王妃であるお母様が私に「お守りに」と授けてくださった物。
いくら精密に模倣しようと、所詮偽物は本物に劣るものよ。
番犬達の顔色はすっかりない。おまけにエンハンブレ様までもが硬直してしまっている。
これは勝負あったかしら。私が出る隙すらなかったけれど……と思っていると、不意に低い女性の声が響き渡った。
「何事ですか」
コツ……とヒールが床を鳴らす音共に姿を見せたのは、シュテルンヒンメル国王の側室であり、
「お、お母様!」
「エンハンブレ、これはいったい何事なの?」
「実は……」
エンハンブレ様の産みの親、ミーティア・レート様。
歳を重ねても変わらぬ美しさを持つ美女でありながら、王妃様が病でお亡くなりになられて十年以上経って尚、王妃様を心から愛していた陛下のご意志により側室という地位に居続けている方だ。いえ、嫌味ではなく。
それはそうと、プライドが高く地位にこだわるミーティア様がこの場にいらした今、面倒な展開になるのが目に見えるようだわ。
「……そう。私のエンハンブレが他国の姫に……」
ちらりと向けられた目は鋭く、蔑みの隠れていない眼差しだった。
怯む意味がないので堂々と向かい合えば、不快げに眉根が寄せられる。
「エンハンブレはこう言っているけれど、事実かしら?」
「失礼ながらミーティア様、私がエンハンブレ様に悪質な行為をしたという証拠は、先ほど論破されました。故に、私は無実でございます」
そもそも、エンハンブレ様とは一対一でお話ししたこともないのです、と続けると、ミーティア様は泣きついてきたエンハンブレ様を一瞥して「そうですか。なら、後で詳しく聞かせてもらいましょう」とひとまず番犬達を下がらせた。
「……ところで、貴女、どこかで私と会ったことは?」
「お会いするのは初めてです」
「そう? それにしては……なんだか初対面という気がしないのだけど」
――ああ、なんだ。一応覚えていてくださったのね。
私は一人、心の中でほくそ笑む。
けれどその笑みを悟られぬよう、気づかれぬよう、飾られた偽りの笑顔で遮った。
「……まあいいでしょう。それよりも貴方達」
パチン! と閉じた扇子の音はさながら、話を変える合図のようだ。
ミーティア様が次に目を向けたのは、今も尚私を守るように立つ友人だった。
「殿方が女性に寄ってたかるのは些か浅ましいと思いません?」
「お言葉ですが、先に男を盾に攻めてきたのはエンハンブレ様です」
「だから自分達も守るために出た、と? しかし先ほどの男達は一貴族の子息で、貴方達は一国の王子なのですよ? 立場も地位も違いすぎるでしょう。……それとも、貴女がそうなるように仕組んだのかしら?」
そこでミーティア様の視線が再び私に向けられた。まだ私に対する疑いは晴れていなかったのね……。
「王女でありながら、男を誑かすなんて……。痴女、と言われてもおかしくないことよ?」
「っ……! ミーティア様! いくら貴女でも、それは侮辱と取りますよ!!」
「落ち着きなさいな、エルネスト」
「アステル……。だけど……!」
「貴方が私の代わりに怒ってくれるのは嬉しいけれど、ここは冷静になりなさい。シュテルンヒンメルも、ジェミオスと不仲になるデメリットを選びたくないでしょう」
声を荒げるエルネストを諌め、下がらせる。とても不服そうな顔だけど、今は構っている暇はないわ。
エルネストがブレイデンとノアさんに拘束されたのを視界の端で確認してから、それにしても……とミーティア様に目を戻す。
いったいどういうことなの? 側室とはいえ、国王に次ぐ権力の持ち主が大勢の人がいる場で他国の王族を侮辱するかしら? 普通。
先ほども言ったとおり、シュテルンヒンメルがジェミオスと不仲になると、メリットよりデメリットが多い。
例えば、ミーティア様をはじめとして、この場にいる方々が身につけている装飾品。そのほとんどは我がジェミオス王国の物だ。良質な飾りは全てそう。
いくら派手な布でドレスを作ろうと、所詮は目が痛い滑稽な仕上がりになるだけ。自らのステータスの象徴たる装飾品が入手できなくなるのは、ミーティア様も避けたい筈。
ではいったい、何が望みかしら……?
「弟が失礼いたしました。ですがミーティア様、先ほどのお言葉を一つ訂正させていただきますと、私と彼らは学友の関係にございます」
「学友……?」
「はい。このノーチェ学園で共に世界を知り、互いの至らなさを指摘し合える存在……それが私と彼らの繋がりです」
おもむろに足を踏み出して、まっすぐミーティア様と対峙する。エンハンブレ様がその後ろで身構えているけれど、残念ながら貴女に話は全くないわ。
俯く必要なんてない。顔を上げて、誇らしく美しく笑ってみせる。
「私のことを痴女と呼ぼうと構いません。けれど、私を支え、今もこうして守ろうとしてくれた友人の評価を、『私に誑かされた』というレッテルを、どうか今この場で撤回していただけないでしょうか」
いつの間にか室内は静まり返っていた。
ミーティア様に向けられた私の声だけが、やけに大きく聞こえる。
大勢の人が集まる場がこうして静寂に包まれると、なんだか居た堪れなくなるけれど、この際そんなことは頭の片隅に置いておこう。
はっきり言って私は、友人が正当な評価をされるのなら、正直他はどうでもいいのだから。
「……おかしいわ」
不意に、ミーティア様の声が静寂を破る。
大衆の視線が一斉にミーティア様に向けられるなり、彼女はことりと首を傾げた。
「おかしいわ。おかしいのよ。どうして貴女はそうなの?」
「はい……?」
「そこに居るのは、本来は私の筈なのに、どうして貴女なの?」
「お母様?」
「ああ、そもそも私がミーティア・リートであることがおかしいのよ。どうして聞いたこともないモブなんかに転生してしまったの? だって私は……わたしは……ああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
唐突に悲鳴を上げたミーティア様に流石の私も、王子達も、誰もが驚き目を見開く。
誰よりも近くにいたエンハンブレ様は、母親の豹変に尻餅をついていた。
無理もない。というか、そうならない方がおかしいと思うわ。
今も尚発狂し続けるミーティア様に、マズイと思ったらしい警備の方々がミーティア様を連れ出そうとするけれど、「いやぁぁぁぁぁ!! わたしは、わたしは悪役令嬢なんかじゃないぃぃぃぃぃ!!」と暴れだす。
警備員が職務を果たそうとしているのを見て、周囲も我に返ってざわざわと落ち着きなく騒ぎ始めた。
周囲を一通り見回して、私はエンハンブレ様の元へと歩み寄る。
「お……かあさま……」
「エンハンブレ様、お気を確かに持ってください」
「わた……わたくし、は……ただ、あの方達に憧れて……同じ場所に立ちたくて。だから、貴女がいなくなった場所にわたくしが入ろうと……」
「……貴女は努力するものを間違えたのです。けれど、これでもう大丈夫でしょう」
「え?」
「失敗は次に活かせるものです。貴女はまた一つ、成長したのですよ」
安心させるように笑いかけると、エンハンブレ様の目尻に溜まっていた涙がポロポロと零れ落ちた。
それをハンカチで拭いつつ、私は本題に入る。
「エンハンブレ様、私がこうして貴女に手を差し伸べるのは他でもありません。今、貴女の力が必要だからです」
「わ、わたくしの……?」
「シュテルンヒンメルの王女である貴女なら、『星々の歌声』を以ってミーティア様を落ち着かせることができるでしょう? このままでは、シュテルンヒンメルは各国中の笑い物だわ」
『星々の歌声』……シュテルンヒンメルの王族だけが生まれながらに持つ、神からの授かり物。
いくら側室の子でも、流石にエンハンブレ様にも備わっているだろう。
そう思って問えば、エンハンブレ様は一度ビクリと肩を跳ね上げて、青い顔で俯いた。……まさか。
「……わたくしには、ないのです。シュテルンヒンメルの王族である証……『星々の歌声』が……」
「そんな……」
「けれど、同じく側室の母を持つ異母弟はその証を持っています。本日は体調を崩していて自室にいるので、少し時間がかかりますが……」
「病人に無理強いさせるわけにはいかないでしょう!」
何を考えているんだとエンハンブレ様の提案を一刀両断して立ち上がれば、「アステル様……? 何をお考えですか?」と不思議そうな声で問いかけられた。
「……あの方は私の大切な人を奪った悪女。憎しみも怒りもないと言えば嘘になりますが――『約束』ですから、仕方ありませんね」
捕まるまいと必死になって暴れるミーティア様を一瞥してから、私はエンハンブレ様に振り返って口角を上げる。
「出血大サービスです、お聞かせしましょう。私が母から……ヴェーガ・リート・シュテルンヒンメルから受け継いだ、『星々の歌声』を」
驚愕の表情を見せるエンハンブレ様をよそに、すうっ……と息を吸いこむ。
吐き出された息は空気を震わせて音となり、紡がれ続ける音はやがて歌となる。
「――――――……」
声が会場中に響き渡ると、周囲は徐々に口を閉じ、視線を私に集中させる。
私の歌に癒しの力があると知ったのは、幼い頃に怪我をしたエルネストを泣き止ませようとした時だった。
歌い終わった時には、周りの草木は著しく成長し、動物が集っていたのだ。当時は何も知らなかったから、エルネストと揃って間抜けな顔をしたのは今でも笑い話だわ。
私を育ててくださったお母様は「アステルの歌声は、わたくしの親友とそっくりね」と言った。まあ、お母様の言う『親友』こそ、私の実母だったわけだけれど。
ミーティア様はいつからかすっかり大人しくなり、床に座り込んで信じられない物を見る目で私を見つめる。
それはそうでしょうね。お母様は私と実母はそっくりだと言っていたもの。長く伸ばした黄金色の髪も、美しく保った白い肌も、王妃様が生きていたという証。
すぐに私が王妃様の血を継いでいると気づけなかったのは、おそらく意図して肖像画を見ず、忘れようとしたからかしら。――それが貴女の最大の過ちよ。
「あ、貴女は……いったい……」
「ああ。そういえば、まだ自己紹介しておりませんでしたね。では、些か面倒ですが改めて」
まるで幽霊でも見ているようにガタガタと震えながら足元で問いかけてきたミーティア様に、にっこりと笑みを浮かべてドレスを摘む。
「お初にお目にかかります。私、ジェミオス王国第一王女、アステル・ヴェレッド・ジェミオスと申します。そして……お察しのとおり、私の実の母親はヴェーガ・リート・シュテルンヒンメル。シュテルンヒンメル王国現国王陛下の正妃でございます」
以後お見知りおきください、とは言わなかった。それが意図することは、いくらミーティア様でも分かるでしょう。
今まで私の歌で静まり、静聴していたギャラリーの誰かが「ああっ!」と納得したとでもいうような声を上げたのを皮切りに、ざわめきが室内を埋め尽くす。
「ヴェーガ様の……娘ですって……?! 何を馬鹿なことを! あの方の子供は誕生死した筈よ!!」
「ええ、そのようですね。ですが、それは私の双子の片割れとして生まれる筈だった子供の話。陛下に寵愛されていた王妃様は、生まれた子供が危険に晒されるのを防ぐため、『子供は無事に生まれることができなかった』と私の存在を隠したのが真実ですわ」
「そんな証拠は……」
「証拠ですか。では、このペンダントに覚えは?」
往生際の悪いミーティア様に溜め息を吐きたい衝動をぐっと堪えつつ、首に下げていたペンダントを取り出す。
翡翠色の記憶石で作られたペンダントは実母の形見であり、王妃様がお母様と親友であったことの証だ。
ミーティア様はハッと息を呑む。つまり、そういうことだろう。
「まったく、不快ですね」
貴女こそ何故、ここにいるの?
「王妃様が病死? 調べさせていただきましたが、王妃様は出産後も五体満足の健康体だったそうですよ?」
貴女のような人が、何故、生きているの?
「元より、王妃様が『子供が危険に晒される』とお考えになったのは、貴女のような物騒な方がいらっしゃるからではないでしょうか」
貴女のような人が、貴女がいるから……。
「更に貴女のことを調べれば、何やら闇医者と度々接触していたというではありませんか。そんな貴女ならば、毒物を手に入れることも容易ですよね? ああ、ご心配なく。全て貴女と関わった闇医者本人から得た情報ですので、嘘偽りはございません。証明書もこのように」
貴女のせいで、あの人は……お母さんは……!
「――さて、ミーティア様。これ以上無駄に足掻き、惨めになることを望みますか? それとも、大人しく自ら処刑台に上がりますか?」
どうぞお好きな方をお選びください? ミーティア・リート様。
「そこまでだ」
凛と低い声が響く。
はっとして顔を上げると――いつの間に戻ったのだろうか?――席を外していた筈のシュテルンヒンメルの国王陛下が玉座の前に立っていた。
誰もが呆気にとられ、慌てて頭を下げる。
「アルテア様!! お助けください……! 私……私!」
陛下の登場でまだ望みがあるとでも思ったのだろう。
先ほどまで生まれたての子鹿のように震えていたのが嘘のように素早く立ち上がり、ミーティア様は陛下に駆け寄った。……けれど、
「これより先に進むことはお控えください」
「な! 無礼者! 私は陛下の側妃なのよ!?」
「その陛下が、貴女様との接触を阻止しろと命ぜられたのです」
「そんな……アルテア様?」
ミーティア様は陛下の目前で、近衛の方に妨害される。
すがるような目でミーティア様が陛下を見るが、返ってきたのは蔑みの眼差しだ。
「馬鹿な女だ。あの娘の逆鱗にさえ触れなければ、私の側室のままで生涯を終えられただろうに」
「ア、アルテア様……? あんな小娘の言葉を信じると言うのですか?」
「信じるも何も、私はお前が犯した罪などとうの昔から知っていた。それでもお前を生かしていたのは、世継ぎを残すためだったが……それももう必要ないな。母娘共々、そして母娘に協力してアステル姫を陥れようとした輩を連れて行け」
「はっ!」
陛下の命令で近衛や警備の方々が一斉に動く。
先ほどはあんなに暴れていたミーティア様は、陛下直々の『用済み宣言』に茫然自失となって大人しく連行された。エンハンブレ様もまた、去り際にやけに晴れ晴れとした笑みを残して。
……なんだか、最後の最後で彼女の素顔を見た気分だわ。
首を傾げて彼女らの後ろ姿を見送っていれば、不意に肩を軽く叩かれる。
「なあ、アステル。俺は一つ……いや、二つお前に言いたいことがある」
「あら。何かしら、ディラン」
「お前やっぱり馬鹿だな! どうしてそう自分を大事にできないんだ!!」
「……なんの話よ」
「落ち着けディラン。……アステル、お前がオレ達の評価を許せないと言ってくれたのは嬉しかった。だが……」
「ご自分がどう言われようと構わないなんて、そんなのダメです!」
「そうだよ! アステルは痴女なんかじゃない、すっごく立派で格好いい理想のお姫様なんだから!」
「どうか、自分のことも大切にしてくれ。そうでなければ、俺達の心臓が保たない」
「それは……申し訳ありませんでした」
騒ぎに便乗するように再び私の元に集まってくれた友人達の怒りと呆れに呆気にとられつつ、素直に謝罪の言葉を口にする。
ふと、一人輪の外にいるエルネストに目を向ければ、にっこりと綺麗な笑みと共に一つ頷かれた。どうやら相当怒っているらしい……。
「というか、どうして皆さんそんなに普通なのですか? 私は……」
「変わらないだろ」
「え……?」
「お前が誰の娘だろうが、『アステル』であることには変わりはないだろう? だから俺達も、何も変わらない」
「ディランの言うとおりだ。お前は『オレ達の同輩』で」
「ぼ、『僕の先輩』で」
「『ボクとアイゼアの可愛い後輩』なんだから!」
「変わる必要など、どこにあるだろうな?」
……ああ、私は本当に良き友人に巡り会えたわ。
込み上げてくる喜びで心が満たされる。これを「幸せ」と言わずして、なんと言うのだろうか――。
「……ディラン」
「あ?」
「ブレイデン」
「どうした?」
「ワイアット」
「はい」
「アイゼアさん」
「なんだ?」
「ノアさん」
「なぁに?」
「ありがとう、ございます。私の友人になってくれて」
少し涙で歪む視界を無視して、心から笑う。
そうすれば、彼らは優しく微笑んでくれた。
「エルネストも、私の傍にいてくれて、本当にありがとう」
「……うん。こちらこそ、俺の姉になってくれてありがとう、姉さん」
流石はエルネストだわ。やっぱり、貴方にはなんでもお見通しなのね。
「アステル姫」
すぐ後ろで呼ばれ、おもむろに振り向く。
目の前に立つのはシュテルンヒンメルの国王陛下、アルテア様。遺伝子上、私の実父であるお方だ。
とはいえ、直接お会いするのは初めてだから、初対面になる。
「お初にお目にかかります、陛下。お会いできて光栄です」
「私も、ようやく会えて嬉しいよ。どうか顔を上げて、よく見せておくれ」
「はい。陛下」
「ああ……今更父親のように言うのもおこがましいことだと思うが、本当に母親に、ヴェーガに似て美しくなったね」
そう言って微笑んだ陛下の眼差しは子供の成長を喜ぶ父親のようで、私のために涙まで浮かべてくださった。
それがなんだかくすぐったく、居た堪れない。
「あの女から守るためとはいえ、貴女を手放してしまった……。私を恨んでくれて構わない、貴女にはその権利がある」
「いいえ、陛下とヴェーガ様が私を守ろうとしてくださったから、私は今こうして生きているのです。それに陛下は、きちんと『約束』を守ってくださったではありませんか。それなのに、どうして陛下を恨むことができましょう」
「……! まさか、記憶石の……!」
胸元のペンダントに触れながら答えると、陛下は驚いた顔をする。
というのも、王妃様の形見である記憶石は一般的な物ではなく、持ち主が定めた条件を満たして初めて記憶を見ることができる高価な物なのだ。
王妃様が定めた条件をなんのヒントもなしに見極め、満たすのは流石の私も苦戦したわ。陛下もそのことで驚いているのでしょう。
けれどペンダントの金具の内側に刻まれた、私の名前を見つけた途端に王妃様の意図を察したの。
Astar、『星』を意味する私の名前。
刹那に閃いたのは展望台だった。ジェミオスには、他国からも多くの人が訪れる展望台があるのだ。
まさかと思ったけれど、かつてお母様と王妃様がそこで天体観測をしたと聞いた瞬間、予想は確信に変わった。
許可を得て夜中に展望台へ赴き、満天の星空に記憶石をかざせば、予想どおり一人の美しい女性が現れる。
もちろんそれは映像の産物だったわけだけど、その時初めて私は実の母親と対面したのだ。
――『貴女がこの記憶を見ているということは、私はもうこの世にいないのでしょう。けれど全てが片づいた時、きっとお父様が貴女を迎えに来てくれます。どうかその時まで、強く優しく生きてください。
大きくなった貴女を見ることも、天寿を全うするまで共に生きることもできないのが心残りだけれど、それでも私は貴女を生むことができて……貴女の母親になることができて幸せでした。愛しています、アステル。私達の最愛の娘……』――
強く優しく生きること。それが、幼い私が実母と交わした最初で最後の『約束』。
そうしていれば、陛下は王妃様が仰るとおり、全てが片づいた時に来てくれた。
だから私は陛下を感謝こそすれ、恨むことなどしない。
そう伝えれば、陛下は涙ながらに私を抱きしめる。
「アステル……遅くなって、すまなかった……!」
耳朶を打つ震えた声につられ、鼓動を刻む暖かい腕の中で私は涙を流した。
* * *
パーティも終盤に差しかかった頃、私は一人中庭に出ていた。
上を見上げれば星々が輝く夜空が広がっている。
「アステル」
「あら、エルネスト。抜け出してきて大丈夫なの? 貴方と踊りたいご令嬢が行列を作っていたでしょう?」
「『アステルと話がしたいから』って言えば、皆ディラン達の方に散ってくれたよ」
「私達はダシに使われたというわけね」
「酷い言われようだね。アステルと話がしたかったのは本当なんだけど」
足音が近づいてくるから誰かと思えば。
エルネストに目をハートにする令嬢は少なくないのだけど、恨まれないかしら。いいえ、その前に令嬢を押しつけられた友人達が先よね、きっと。
先が思いやられるわ……と溜め息を吐くと、エルネストがここぞとばかりに『弟』を利用する。
「……イヤ、かな?」
頼りなく八の字に下げられた眉で寂しげな眼差しを私に向けつつ、僅かに首を傾けるエルネストに、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「アステル……」
「イヤ……じゃない。外の空気を吸いたかっただけだから、話くらいなら構わないわ」
「よかった。じゃあ立ち話もなんだから、踊りながら」
「え」
「ダメ?」
「……いいえ」
『弟』に甘い自分が情けなくて、ふいっと顔を反らしながら言えば、エルネストはすぐに満足そうな年相応の美青年の笑顔を浮かべた。
この男は……。弟に見られるのを嫌がるくせに、こういう時は『弟』を利用するのだから、矛盾しているわ。
呆れ顔をしつつエルネストと身を寄せ合うと、会場から流れ聞こえる音楽に合わせて私達は自然にステップを踏みだす。
「まったく。結局貴方は『弟』と『男』、どちらに見られたいのやら……」
「もちろん、『男』だよ」
「なら先ほどのやり口は控えた方が良いわよ?」
「使えるものは使う。普通でしょ? ……それにしても、そんな忠告してくれるっていうことは、俺のことを男として見てくれるってことだよね?」
「当然じゃない。『弟』のエルネストとは先ほど、別れを済ませたもの」
――俺の姉になってくれてありがとう、姉さん――
あの言葉は、別れの言葉。
姉と弟の別れの挨拶だったのだ。
私は来年、シュテルンヒンメル王国の王女として迎え入れられる。
今は亡き王妃様と陛下の娘である依然に、シュテルンヒンメル王家の証である『星々の歌声』を持っている以上、他国に預けっぱなしというわけにはいかないでしょう。私はもちろん、ジェミオスのお父様もお母様も、こうなることを承知上だったしね。
国が違えば、姉弟と明言することは難しい。それを理解しているから、私は弟に別れを告げた。
だからまあ、そうなると必然的にエルネストを『男』として見るのことになるわけで。
「『弟』という肩書きがなければ、貴方を『男』として見る選択肢しかないでしょう?」
「いいや。『友人』っていう選択肢もあった筈だよ。それなのに……」
「告白されたのに碌な返事もしない上、更には友人として見る? 私はそこまで馬鹿でも鬼ではないわ」
心外だときっぱり言い放てば、これはエルネストも予想外だったようで目を丸くした。
私は人の恋心を踏みにじる悪魔とでも思われていたのかと不安になるわ、その反応……。
そんなことをした覚えは一つも……と記憶を漁っていると、不意に視界が暗くなり、足が止まった。と同時に訪れるのは、温もりと、少し速く音を刻む鼓動。
腰に回された腕の感触と押しつけられた硬い胸板から、エルネストに抱きしめられたのだと気づいて目を見開く。
「エ、エルネスト!? ちょっと……!」
慌ててエルネストの腕の中でもがくけれど、比例して腕の力を強められるだけだ。
「エル……」
「嬉しい」
「え?」
「嬉しいよ、アステル。俺のこと、受け入れようとしてくれて」
「は!? いや、まだエルネストの元に行くって決まったわけじゃ……!」
「でも受け入れる余地があるんでしょう? それだけでも十分。……と言いたいところだけど」
もうそれだけじゃ足りない。と、するりと腰から手へと自らの手を滑らせ、逃がさないとばかりに優しく包み込まれる。
不敵に笑ったエルネストに、私は目を点にした。
「勝負をしよう、アステル」
「え、勝負……?」
「そう。アステルを俺に惚れさせたら俺の勝ち。アステルが別の男に嫁いだら、もしくはシュテルンヒンメルの女王になったらアステルの勝ち。期間はどちらかが結婚するまで。どう?」
どうって……それ、もしかしなくても私に拒否権ないでしょう。
エルネストは一見穏やかな好青年だけど、その実、負けず嫌いな面があるから。仮に私が拒否した場合、不戦勝を語るのが目に見えるわ……。
別段、ジェミオスに嫁ぐのは嫌ではないのだ。ジェミオスの両陛下をまた「お父様」「お母様」と呼べるようになるのは正直嬉しい。
けれど、問題は私の心にある。
実を言うと、私は生まれてこのかた、恋愛などしたことはない。これが一番の問題点。
というのも、相手がつい先ほどまで弟だった男とくれば、告白されたところで伴侶として見れるかどうかは怪しいのが現状なのだ。
ならば彼とは別の人と巡り合う可能性に賭けて、ここは勝負に乗るしかない。
「いいわ。その勝負、受けて立つ」
「よかった。アステルならそう言ってくれると思ったよ」
「貴方の性格は私が一番よく知っているもの。不戦勝をくれてやる気はないわ」
「……そんなに俺と一緒になるのはイヤ?」
「いいえ。だけど私に付き合わせて、貴方が本当の運命の人とすれ違うのが耐えられないだけ」
要はただの自己満足よ、と零せば、不意に捕らえられていた両手が解放される。
しかしエルネストの手は降ろされることはなく、むしろゆっくりと持ち上げられると、そのまま横髪を避けて私の頬を包み込んだ。
そうしてやんわりと顔を上げられた私の視界に月明かりに照らされた彼の整った顔と、まっすぐ向けられるエメラルドの瞳が映る。
すると刹那にドクッと心臓が高鳴って、少しだけ息が詰まった。
「俺の運命の人はアステル、君だよ」
「そ、れは……きっとずっと近くにいたから、そう勘違いしただけで……」
「ううん。近すぎる関係ほど、相手を『大切』以上にはしないものなんだ。だけどどんなに近くにいても、俺にとってのアステルはいつだって『最上』だった」
「さいじょう、って……」
「『特別』なんかじゃ足りない。それが俺の想いで、運命だよ」
……どうして、そんな真剣な顔で歯が浮くようなセリフが言えるのかしら……。それじゃあまるで、物語の王子様のようだわ。
トクトクと心臓が忙しなく鳴り響き、顔にも首にも熱が集まって仕方がない。
なんだかエルネストに見つめられるのが恥ずかしくなって思わず後退りするけれど、すぐさまそれに気づいたエルネストに「逃げないで」と言われる。
「俺は他の誰よりも、どんな男よりもアステル・リート・シュテルンヒンメルを愛してる。この勝負、負けてあげないよ」
だから俺の妻になる準備しておいて、と甘い微笑と共に囁かれたと思ったら、前髪を退けた額に口づけをされた。
そう認識した途端に何故か足の力が抜けて倒れそうになった私を、咄嗟にエルネストが受け止める。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……だと思う」
「ならよかった。だけど、額にキスしたくらいで崩れるなんて思わなかったな」
「だって、私、まだ恋なんてしたこともないし……こんなの、初めてで……!」
エルネストの腕にしがみついたまま、まとまらない思考で口走ればエルネストは「そうなんだ。じゃあ……」と嬉しそうに笑ってみせた。
「アステルの初恋、俺が貰えるんだね。お揃いだ」
「お揃い……?」
「うん。俺も、俺の初恋をアステルに取られたから。アステルにだったら構わないけど」
にっこりと綺麗な笑みを浮かべたエルネストの言葉に、再度息が苦しくなるほど心臓が高鳴ると、私はもう泣きたくなった。
長編小説で書いたら王子達と仲良くなるところから始めなければならないので、ものすごく長くなるやつです。地味に地道に好感度を上げていかなければならない、大した山も谷もない話になるのはお察しなので短編という形で吐き出しました
閲覧ありがとうございました