葉内小鳥 ―人食い図書― そのさん
「図書室って何のためにあるか知ってるか?」
私の人食い図書の話が終わった後、キギはすぐに私を連れて図書室までやってきた。
当然ここに来ることには抵抗があったけれど、早く友人を助けてあげたいという感情があったし、キギがついてくれるという安心感のようなものも、思ったよりも大きかった。
私たちの学校の図書室は、一般的な教室を二つほどくっつけたような大きさで、前半分に生徒が利用するための机と椅子がいくつか設けられている。現在は下校時間間際にも関わらず、数名の生徒が静かに本を読んできた。
「静かに睡眠を……じゃなくてお弁当を食べるところですよね」
「言い直しても間違っているんだな。びっくりだ」
キギにそう言われて気付く、ああ、そう言えば本を読むところだったのかもしれない。
けれど私がそう言い直しても、キギはまだ正解とは言わなかった。
私たちは本を読むためのスペースにある大きめの机の周りに設置されてある椅子に腰かけていた。本来なら六人まで座れるようになっているが、今日も図書室を利用する人数は少ないため、二人でその席を独占していた。
「いや、お前ら生徒側じゃなくて、学校側としての意味でさ。なんで奴らは、こんな空間作ったんだと思う? 授業に使う訳でもねぇのに」
「私辞書忘れたときとかここから借りますよ」
「んなもん職員室にいくつか置いとけばいい話だろ」
むぅ、確かに言われてみれば、図書室の存在理由というのはあまり考えたことが無いぞ。恐らく殆どの学校に設置されているとは思うけれど、何かしらの授業や行事に使うなんて話聞いたこと無いし。
だとすれば、やっぱり学生の内から読書の習慣を身につかせたいとかいう大人の事情的な教育方針なんじゃないだろうか。
そんな風に私がシンキングタイムに突入していると、いつの間にかキギはどこからか本を持ってきていた。おい、人がいるのに本なんて読むなよ。
「あ、それってもしかして私がさっき言ってたやつですか?」
見ればその本は、私が人食い図書の件で話したドラマの原作小説のようだ。時期も手伝ってか結構目立つところに設置されていたから、つい目が行ってしまったのかもしれない。
「面白くねぇな」
「いや、まだ一ページ目ですよね」
「あらすじ読んだ。どうやら怪奇現象も魑魅魍魎も関係のない話らしい」
「滅茶苦茶偏った嗜好ですね」
どうやら彼の趣味は、人とは少し違うらしい。そんなこと分かってはいたけれど。
「いや、どっちにせよこれ、随分頭がハッピーな人間しか楽しめねえぞ。流石だな葉内小鳥」
「うわーい、なんか貶されたぞ」
「で、こんなつまらん本は置いておいて」
本を閉じ、もう興味がないと言わんばかりに机の角へ本を移動させるキギ。
どうやら話の本題、図書室の存在理由へ戻るらしい。
「いや、まあ学校側の意図なんか俺も知るわきゃねぇんだけど」
なんだよ。じゃあなんで答えさせたんだよ。
「それでも俺たちみたいなのの間じゃあ図書室っつーのは、怪奇現象の流刑地みたいな役目があったりするんだ」
「るけいち?」
駄目だ。頭の中で漢字変換が出来ない。
「あー、刑務所」
そんな私の心情を察してか、キギが言い直す。それなら分かる。最初からそう言ってくれればいいのに。
「怪談とかそういう怪奇現象っつーのは、ぶっとばしてさようなら、とはいかないときもある。元がただの噂話出身の時とかがそうだな。そういう奴らは何度消したって人間の興味や好奇心が尽きない限りは何度だって復活するんだ。だから復活させないように、何処かに生き続けさせる場所が必要になってくる訳だよ」
「え、それが図書室ってことですか?」
「全部が全部とは言わねぇけどな。ほら、ここって学校の他の部屋とは雰囲気少し違うだろ?」
「いや、分かんないですけど」
「違うんだよ。本来であれば不必要な空間だからな。実際、この学校生徒にしても八割以上は年に一度もここに来ることないだろうさ。恒常的になら更に然り。だから少しくらい変なもんが混ざってっても気付く奴は少ねぇんだ」
「ってことはあれですか? 今そこの椅子にトイレの花子さんが座ってたりするわけですか?」
「ああ、それはねぇよ。俺、あいつと友達だし」
「……」
これは突っ込むところか? ボケたのか!? 冗談か本気か分かりづらい! つーかなんで女子トイレにしか生息してない筈の花子さんと男子生徒であるキギがお知り合いになれたんだよ!
瞬間、私の中にそんな葛藤が生まれたが、対するキギは私のことなんて全く目に入ってないようで、まだ意気揚々と話を続ける。
「花子さんのことは置いておくとしても、別にそこらに化物の類がいることはねぇよ。ほら、お前の時の人食い図書がいい例、じゃないか。特殊な例だ」
言ってる意味がよく分からないのと同時に、あの恐ろしい事件がいい例なんてことは有り得ないと思うのだけれど。
「怪談は、大抵本に閉じ込める」
「は?」
「わかりやすく言うと封印って奴だな。これは今でも使える手法なんだけれど、とある怪談が起こった時、その怪談についての文章をしたためて、怪談の大本をその文章の中にぶち込む。すると奴らはちょっとやそっとじゃ出てこれなくなり、その怪談を閉じ込めた紙には恐ろしい怪物の絵が浮かび上がってくる。これが俗にいう、挿絵って奴だ」
「え、挿絵ってそう風にできてるんですか。これから本を読むのが怖くなりそうなんですけど」
「いや、別に全部がそうってわけじゃねえ。というか今時例え怪談話の小説でも、挿絵が本物なんて探す方が難しいだろ。今でも使えるなんて言ったけれど、俺も実際に使ったことは無い手だよ。この学校に保管されてる怪談だって、そうだな、いいとこ5つってところだろうな」
何かを探っているかのように周りを見渡すキギ。逆に言えば、この空間には5つの怪談がひしめいているということになるのだけれど。
「その一つがこれな」
そう言ったキギの手にはいかにも古めかしい本があり、更にその本は人間ではない何かの挿絵の部分で開かれていた。
「ぎゃああああああああああああああああああああ!!」
おおよそか弱きティーンの乙女とは思えない悲鳴が上がった。
何事かと、図書室の少ない視線の全てが私に向く。
「な、なななな何を……」
いつもの状態であるなら視線の集中に少しでも恥じらうか弱き以下略であるけれど、今回ばかりは事情が違う。
座っていた椅子を盾にして五歩ばかり下がる。そこまで下がるともう隣の机にぶつかってしまうのだけれど、それも気にせず机ごと下がる。
「おい、あんまり騒ぐなよ。迷惑だぞ」
「原因が何を言う! 早くその本を閉じて!」
「別に開いたくらいでどうってことありゃしねぇよ。言ったろ、簡単には出てこられねぇんだって」
そういう問題ではない。普通にあんな話を聞かされたあとでは怖いのだ。例え挿絵のそいつが出てこないと分かっていても。
「いいから見てみろって」
「くっ……」
キギが見ろ見ろと言い、私がいやいやと断る。そんな押し問答が数分続き、結局私の方が折れた。
恐る恐る手に取ってみる。
そこには、真っ黒の人間の胴が異様に伸び、その胴から何本もの手足が生えている女性が描かれていた。いや、描かれたんじゃなかったんだっけ。
そして感じたのは不思議な生命力。他のページの違う挿絵と比べてみても何か違いがあるとは思えないのだけれど、そこには不思議な生命力が宿っていた。
しかしそこは決して美しい生命の神秘、といったようなものではなく、どちらかと言えば何か粘着性の高いドロドロとした液体が挿絵のページからあふれ出すようなイメージだった。
「そいつは実際に人を殺した怪談だ。二十年かけて二人を殺し、その十年後に一人殺そうとしたところでキギに封印された」
「……」
それを聞いて、納得した。
この気味の悪さは、やっぱり気のせいじゃなかった。この挿絵には確かに、莫大過ぎる憎悪と、鋭すぎる殺意に満ちている。
「……え、っていうかなんでキギは私にこれを見せたのですか?」
「え? 俺って人が怖がっている顔を見るのが好きなんだよ?」
私は持っていた本でキギの頭を殴った。
先輩(多分)に初めて手を上げた瞬間だった。
「いってー……、おいおい、本ってなかなか殺傷能力の高い凶器だって知らないだろ」
「知ってますよ」
だからこれで殴ったんだ。
「まあなんだ、でもお前、人食い図書を読んだ時にはこんな感じなかったろ」
「え? まあはい」
「なら平気だ。まあ最初から分かっちゃいたけれど、人食い図書はそこまでおっかいない類の怪談じゃねえ」
「……」
キギは簡単にそう言ったけれど、私にはそうは思えない。だって人が一人いなくなっているのだ。キギにとって脅威ではないのかもしないが、私にとっては十分恐怖だ。
「そんなに気にあるなら今見に行けばいいじゃないですか。場所が分からないなら案内しますよ」
そういえばキギは、せっかく図書室に来たのに一向に人食い図書を見ようとも探そうともしていない。最初は何か考えがあるのかと思ったが、そろそろ聞くのを我慢するのも限界だった。
「いや、まだいい」
案の定、キギは私の提案を拒否した。
「あれみたいなタイプの怪談は初対面こそ最重要だからな。それは放課後に取っておくよ」
「え、放課後? いやキギはもしかしたら知らないのかもしれませんが、放課後って言ったら生徒は皆帰らなきゃいけないんですよ?」
「阿保か、今日は徹夜覚悟しろっつったろ」
ああ、そういえば。彼の言っていたことをすっかり忘れていた。
「具体的には二時。そこでもう一度ここに来るぞ」
「ああ、はい……」
しかも滅茶苦茶深夜だ。
いや確か深夜二時は丑三つ時とか言って幽霊なんかが出やすいんだっけ?
「因みにこの本みたいな封印された五つの本には葉内小鳥が関わった人食い図書は含まれてないからな。一応」
「ああ、でしょうね」
だって全く封印なんてされてなかったもの。ばりばり活動中だったもの。
「あれは特別な事例で、ここで生まれた怪談だろうな。本を支配してるっつーのが珍しくて、今言った封印方法は使えねぇのが特徴だろうけど、ただそれだけだ」
「え、それって結構まずい事態なんじゃないんですか?」
さっきは大してこと無いなんて言っていたけれど、やっぱり手強いんじゃないか。
だってそれは事実上の敗北宣言なんじゃないかと思った私であったが、どうやらそんなことは無いらしい。キギは最初から吊り上がったままの口角を更に吊り上げ、楽しそうに私に言った。
「まあ、任せとけ」