どうしたものか...
今回を区切りに第三章は終わりです。なかなかにハード内容となりましたが次回から晴れて第四章に移行です。
どうしたものか。
思わずそう呟いたのはアルネージであった。
死神と名乗る不自然な喋り方をする白骨から少年、つまりティアリスに関する話を聞き、自分はどうするべきか。それが今、ふと湧いた疑問だった。
ティアリス少年のことを聞いて自分に何が関係あるのか、奴隷商に捕まってしまった憐れな孤児の事をここまで詳しく知ってしまった自分は何がしたかったのか。
今回の一件の殆どが終わった、元奴隷達の病院への搬送も、ワラゥルの収監も、王への報告も。一応元奴隷達個人の特定とその家族への報告、ワラゥルへの尋問、処罰、“観客”として訪れていた貴族達の詮索とう様々な問題が山積みであるが深夜での強襲で王国騎士は皆疲労が溜まっている。あぁ、怪我した騎士達へのあれこれも残っていた。とまぁ、そうした理由で首都勤めの王国騎士の殆どが今日は一日休日、アルネージも例外ではない。街の警備は前線にはまだ早い新入りや見習い騎士達に任せてある。これも良い実践経験であろうとアルネージはほくそ笑んだ。
して、休日のアルネージには一つ何としても早急に解決しなければならない問題がある。冒頭で話した内容のソレである。
アルネージは悩んだ、どうするべきかを。今、目の前のベッドで寝ている少年に。今、“ギルフリッド伯爵家のベッドで寝ている”少年に。
なぜティアリスは個人の宅で寝ているのか、言わずもがなアルネージが老人(死神)と交わした約束を律儀に守っているからだ。
『我々をヤツと二度と引き合わせないようにして頂きたい』
あれはどういった趣旨の言葉だったのか。そも、老人が何者なのか掴めていない。ただの老人だったのか、死神だったのか。雲のような不定形の存在の言葉を信じ、それを守る必要があるのか。
...なんてことを、アルネージは考えてはいなかった。騎士の一人が気を失っているティアリスを元奴隷達と同じ病院に入れようとしたところをふと止めたのだ。なんとなく、ただなんとなく待ってくれと言ってしまった。
騎士は団長の命令ならばとティアリスをアルネージに渡し、病院へ他の元奴隷達を搬送していった。
残されたのはアルネージと行き場を無くしたティアリスだけ、そこで気付いた。
どうするべきか、と。
そんなこんなで今更病院に連れていくわけにもいかず、とりあえず衰弱しきったティアリスを安全なところで療養すべきだと自宅へ連れたのだ。
結果として約束を守っているだけである。
横たわるティアリスを見つめる人は計四人。アルネージとその妻『マリーダ・ギルフリッド』、そしてティアリスを治療するために呼んだギルフリッド伯爵家専属の治癒師『ジギル・ヴィア』とその弟子であり助手でもある『サレナ・リリース』。
妻のマリーダはともかく、サレナとジギルもこの屋敷に寝泊りしている訳だがその理由はまたいつか。
ジギルは言った。
「アルネージよぉ、この坊主はどうしたってこんなボロボロなんだぁ?」
「あぁ、まぁ、元奴隷でな。そこら辺は本人の同意を得ずして話すのは...」
「はぁ、まあそう言うことなら深くは聞かねぇがよ」
そこへサレナが素直な感想を述べた。
「それにしても生きているのが不思議なくらいね、こんなボロ雑巾みたいになって...なんで生きてるんでしょう?」
「おいおいサレナよぉ、今は寝てるからまだ良いが、起きたらその毒吐く癖、どうにかしとけよ?」
「そうですよサレナさん、貴女いつもその癖で問題を起こすんですから」
多少トゲのある物言いに釘を指すジギルとマリーダ、対するサレナは。
「無理言わないで、昔っからの癖なんだから治しようがないわよ」
伯爵夫妻と一治癒師の会話として少々角が丸すぎる気がするが、これもアルネージの庶民的感覚から来るものである。
そも、アルネージとジギルは昔馴染みで、アルネージが騎士見習い、ジギルが治癒師研修生だった頃、毎日のように青痣や擦り傷を付けて医務室に通うアルネージをジギルが毎日のように治療していたことから今の関係が築かれたのだがそれはまたいつか。
しばらくしてジギルの手から発せられる治癒の光が消え、ジギルはグッと背伸びをした。
「まぁ、今日はこんなもんだなぁ」
「ありがとう」
「いぃっていぃって、三十年来の付き合いじゃあねぇか」
ジギルは照れたように後頭部を掻き、そう言った。
「そんでよぉ、この坊主、どうすんだ?」
「それなんだよなぁ、つい連れてきてしまったがどうしたもんか」
「家族の元へは?」
「この子は孤児らしくてな」
「施設とか、拾った家族とかは?」
「わからない...コレばっかりは本人に聞かないとな」
四人は揃って唸る。
そんな時、外から騒がしい声が聞こえてきた。
『ギルフリッド伯爵!』
その声を聞くや否やげんなりするギルフリッド夫妻。ジギルとサレナの二人も事情は知っているため哀れみの目で二人を見た。
次第に外の声は増えてゆき、老若男女問わずアルネージの事を呼び始めた。
「また、か...」
「また、ですね...」
「あ〜オレが言うような事でもねぇがよぉ...ご愁傷様」
「もぅ、あんな連中アルネージさんの力でちょちょいと出来ないの?」
「無茶言うなサレナ、あんな連中でも一応この国を支える貴族の人達だ。不当な態度を取れば我が家の悪い噂がそこかしこで聞こえるようになる...」
「私、貴族になんてならないし嫁ぐつもりもなくなったわ」
「どぉだろうなぁ、オマエは中身を除けばそれなりに欲しがる連中がいるだろうよ、見た目もそうだがオレの助手を務めるくらいの治癒魔術の使い手だしな」
「後半は素直に嬉しいけど、中身を除けばってどういう意味?」
ジギルの言葉にサレナは反応、黒い何かが見え隠れしていて非常に危ない。
外でアルネージを呼ぶ彼らの理由はアルネージの跡継ぎ問題である。
ギルフリッド夫妻もそれなりに歳を取っており、今更新しい子を産もうなんて気にはならず、そこへ畳み掛けるようにアルネージの陞爵。伯爵ともなれば跡継ぎを作らないわけにはいかず、そこへテスィシート王国中の中小階級の貴族達が「息子を養子に!」や「娘を副妻に!妾でも!」などなど・・・。跡継ぎを作らせて伯爵家を内から動かそうと言う考えが見え見えの勧誘が今のソレである。
ギルフリッド夫妻はもううんざりしており、国王に直談判して止めさせてもらおうかと思っている程である。
そんな時、サレナ呟いた。
「この坊やを養子に取れば良いじゃない?」
唖然。
夫妻はもちろんジギルも含めて皆唖然。次第に事の有用性に気づき、指を口に添えて考え始める。
「...確かに、そうすれば一番早いのかもしれない...」
「この子...孤児ですものねぇ...」
そこに待ったを掛けるジギル。
「いや、いやいやいや!坊主の意思は!?アルネージオマエ言ったよなぁさっき、本人の同意が云々ってよぉ!」
「確かに言ったが...これは願ってもないチャンスだと思わんか?」
「そりゃあ降って湧いたような話だがよぉ...」
「まぁ俺とて無断で養子にするつもりは毛頭ない」
「そ、そうか...ならぁ「絶対に断れないように誘導するまでだ」......え?」
アルネージの目に宿る真っ赤な炎は力強く、赤竜退治の時よりも気合が入っている様子だ。
「......ま、マリーダさんは!?」
「良いじゃないですかサレナ、ナイスな案です」
「そお?ふふ、照れるわねぇ」
「―――ぁ、あの二人は!?フィヴィオちゃんとショーリアちゃんは!?」
「あの二人なら大丈夫だろ、弟が欲しいって嘆いてたしな」
「つい昨日も手紙が届きましたよ」
「...............」
ジギル完敗。何も言えない。もう夫妻の目に諦めると言う選択肢は映ってなく、ティアリスを引き入れたいと言う感情を隠す気もなく晒している。
ジギルは哀れみの目で眠るティアリスを見て小さく呟いた。
「坊主...オマエはこれから悪い大人の道具として扱われちまうよぉだ、スマン、オレには止められなかった...」
「あぁ、安心しろ!悪いようには扱わない。むしろ奴隷から貴族の生活にランクアップしたことで安定した生活は約束しよう」
「聞いてたのかよ」
「ジギルは声がデカイからな」
☆★☆★☆
四日後、ギルフリッド宅正午。
「...んぅ...」
ティアリスが寝返りをうつと不自然な感覚が全身を包んでいた。
「ッ!?」
本能的にかティアリスはバサリと布団を巻き上げてベッドの上で立ち上がった。
「ッ!?ッ!?グゥッ!?」
周囲を見渡し二度驚き、唐突な痛みが目を襲い変な声を出してしまう。
「〜っ!」
片手で痛む目を抑えて再び柔らかな布団に蹲るティアリス。
そこへ男女の話し声が近付いてきた。
「くっ」
ティアリスは未だ痛む目を抑えて窓を開けた。そこから逃げるつもりなのだ。しかし。
「...たっか.........」
今ティアリスがいる部屋は三階。飛び降りれない高さではないが、今の身体で飛び降りれるのか疑問だった。
「ちっ」
無駄に命を削る必要は無いと判断し、ティアリスは部屋の何処かへ身を潜めた。
ガチャ。
ドアノブが回され、入ってきたのはアルネージ達四人である。
「あれ?いない...?」
マリーダがそう言うや否や後ろに控えていた三人もぞろぞろと部屋に入り込んでくる。
「坊や...どこに行ったのかしら?」
「まだあの怪我だ、そう動き回れやしねぇはずだぞ!?」
「なぁ、窓が開いているんだが...」
アルネージの言葉に一同一斉に窓へ向くと、白いカーテンが風ではためいていた。
「ここ三階だぞ!?」
「飛び降りたの!?」
ジギルとサレナが窓に近付き下を覗く。後ろからアルネージとマリーダも顔を出すが、下にそれらしき跡は見当たらない。その時。
「誰だ!!」
大きく叫んだアルネージは疾風が如き速さで剣を引き抜き背後の壁に向けて投げた。
ふぁさ...
その先には黒髪黒目の少年、ティアリスだ。壁に突き刺さった剣はティアリスの長い前髪を切り落としていた。
「あ、君は...」
「...ここ...は、どこ...だ」
絞り出すような声でティアリスはアルネージに問う。
「ここは俺の家だ。俺の名前はアルネージ・ギルフリッド、テスィシート王国の王国騎士をやっている」
「...なぜおれは...ここに」
「俺はつい先日君が捕まっていたワラゥル商会に攻め入り、君達奴隷を開放した。君はそこから救出されて今ここで治療を受けている」
アルネージの言葉を受け止めたティアリスは疑問を浮かべた。
「ほかの...連中は...なぜ、病院じゃ...ない?」
痛い質問であった。まさか10にもなっていない少年に「奴隷たちから君とは一緒に居たくないと言われたから」なんてキツい答えを出来るわけがない。
アルネージがどう答えるか悩んでいると、問題発言担当が口を挟んだ。
「坊やは他の人達から怖がられていて、一緒の病院には居られないって言われたのよ」
ドストレートな答えをぶつけるサレナ。絶句するアルネージ、マリーダ、ジギルをよそに話を続ける。
「だから行き場の無い坊やをそこのオジサンが引き取ってくれたの」
「そう...か...」
小さな声。だがその声に悲しみは含まれておらず、冷静に自分の今の情報を吟味しているようだった。
「あなた...たちは...敵では...ない?」
「えぇそうよ、少なくともここに坊やを害するような物はないわ」
「そう...か...」
ティアリスは顎に手を添えてヨロヨロと歩き始め、最初に寝ていたベッドに腰掛ける。
「怪我人は...ねて、ない、と...」
「うんうん、いい子ね」
ティアリスにもう敵意は無い。警戒心は解いてないが安全と分かったのか身体に力はこもっていない。
「ほら、今なら話せるでしょう?」
「え?あ、すまない、サレナ」
呆気に取られていたアルネージはサレナの言葉で再起動した。
「君、改めて自己紹介だ。俺はアルネージ・ギルフリッド」
「よろ...しく」
「こっちは妻のマリーダ」
促されたマリーダは一歩前へ出てお辞儀をする。
「マリーダ・ギルフリッドです、よろしくね」
「さっきの女性はサレナ」
サレナは微笑みながら。
「サレナ・リリースよ、サレナって呼んでね」
「それでこのオッサンが...」
「誰がオッサンだ!お前だって変わんねぇだろうが!」
オッサンにオッサン呼ばわりされて怒るジギル。それを受け流すアルネージ。
「いいから挨拶」
「ぐぅ...、ジギル・ヴィアだ、この家の専属治癒師で寝ているオマエを治していたのもオレだ」
「そうか...アンタ...が。ありが...とう」
「ガキが気にすんなって」
ジギルはそう言うとティアリスの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「じゃあ、俺も...ティアリス...姓は...無い」
四人からよろしくと言われ、左手で握手をするティアリス。その細い手を握ったジギルが一言。
「アルネージ、飯を用意してやれ、消化に良い物だ。暖かいスープとかも作ってやれ、いきなり肉とか出すんじゃねぇぞ?」
「あぁ、わかった。今作ってくる」
アルネージはそう言うと部屋を後にした。
「...家主が...作るのか?」
「おぉ、アイツは飯を作んのがメチャクチャうめぇからな、飯だけは嫁さん泣かせだよ」
「そうですね、私も一通りの家事はマスターしたつもりでしたが料理だけはあの人には敵いませんね」
苦笑する二人にサレナがティアリスの考えていることを伝える。
「そうじゃなくて、なんで家主本人が作るのかってことよね」
「そう...、こんな...大きい家提供とても...一般...家庭、とは、思え...ない。王国、騎士、つまり...身分が...それなり。使用、人...いないのか?」
ティアリスの言葉にマリーダとジギルは驚く。
「坊主...案外賢いな」
「よく分かりますね」
「これだけ...揃ってれ、ば。誰でも...分かる」
確かに誰でも分かる。しかし二人が驚いているのはなんの教養も無い子がなぜ分かるのか。それに尽きる。
奴隷以前の事は知らないがアルネージの話通りなら彼はまだ九歳。奴隷生活が二年間ならば奴隷以前はまだ七歳。貴族の子供であれば四、五歳から英才教育を受けるだろう。普通の平民の子でも十を過ぎれば親から色々と教わるだろう。しかし彼は孤児で、二年間も奴隷で、教師がいたわけでも親がいたわけでもない、そんな彼がこれ程賢しい事に驚いた。
アルネージが料理をしている最中、ティアリスの事をよく知らない三人は彼に色々と訊ねた。
「ティアリス君、奴隷の時ってどういう生活だったんですか?答えにくかったら言わなくてもいいですよ」
「奴隷...そうだ...なぁ、例えば...」
ティアリスは奴隷生活をざっくばらんに説明した。地下で寒いこと、食事が不味いこと、水浴びが週に一回あるかないかとかあまり古傷を抉らない程度のことを話した。
「それはまた...」
「ひでぇ話だ」
「かわいそうに...」
三者は顔を顰めてティアリスを憐れむ。
「これ...でも。まだ...ゆるい」
「ゆるっ!?坊主は一体どんなに生活を送ってきたんだ」
「それ、は...ちょっと。いえ、ない」
ティアリスにとっては封印したい記憶である。特に道楽のこと、長い時間触れ合ったあの三人のこと。ティアリスはまだ、他人に話す気にはなれない。
「す、すまねぇ、いきなりだったな、それは...」
「いや...いい。他に...なに、か?」
続いてサレナが聞く。
「孤児って話を聞いたけど、奴隷の前はどこに住んでいたの?」
「まえ...」
ティアリスは思い返す。イェラやチターナ、シャスティナ、サマド、ジャリオ、木爺、そして花子。
楽しい思い出だ。あの頃の記憶が胸の奥をしんみりと締め付ける。だが、あそこはもう出た身、花子とジャリオに強くなったらまた来ると約束した直後に捕まった。強くなったどころかむしろ弱くなっている。まだ戻るわけには行かない。
「ちょっと...いえ、ない」
「そう...」
少し空気がしんみりしてしまった。ティアリスの声に悲壮感が垣間見えたせいである。どうにか場を繋ごうと焦るマリーダとジギルに救世主が現れた。
「料理が出来たぞ、ドア開けてくれ」
アルネージだ。マリーダがドアを開けると湯気の立つお椀の乗った盆を持ったアルネージが入って来た。
「ジギルの言う通りスープを作ってきた。病人用に身体に良いものをこれでもかと詰め込んだやつだ。味は薄味だが...これでいいんだろう?」
「おう、バッチリだ」
香り立つスープがティアリスの前に用意された。
細かく刻まれた何種類もの野菜が入ったお椀と木製の匙を手に取ろうとする。そこであることに気付いた、片腕ではお椀を持って飲むことが出来ない。
それを見かねたサレナは匙とティアリスの持つお椀を手に取り、それを掬って口へ運んだ。
「はい、あーん」
ティアリスは多少の小っ恥ずかしさを胸にスープを飲んだ。
「おい...しい...」
素直な感想である。
その優しい味が全身に行き渡ると、ついさっきまでの小っ恥ずかしさなどとうになくなり、野菜のスープをペロリと平らげてしまった。
その時。
「え?あれ?ティアリス君、なんで泣いているんだ?」
「え...?あっ」
ティアリスの目からホロリと涙が一滴。
「な、なにか不味いものでも入ってたのか、すまない」
「そうじゃ...ない...」
なぜ、なぜ泣いているのか。本人もすぐには分からなかった。
そして思い出した。
「(サマドの家でもスープ、美味しかったな...)」
味も食材も違う。ただ、スープという共通点が懐かしく、それはもう懐かしく感じ、彼の心に大きな波紋を生んだ。
改めて理解すると涙があふれでた。止める事は出来ない。
こうして気持ちが高ぶってしまえば思い出したくない物もそうでない物も表に出てきてしまう。思い出す順番に規則性は無く、ただただ頭に浮かんだ事を涙ながらに吐露する。
「ごめん...なさい...ごめん......マミ...19、番...ごめん、守れな...かった...、21番も、ごめん...お礼も...ろくにっ!」
最初に浮かんだものはここ二年間の記憶。名前も知らぬ親しい友人と全てを聞いた愛しい人のこと。
「俺に...守る...力が、無い...無かった、から、誰も、何も...っ」
何も出来なかった。
マミュリエが連れていかれる時も、21番が道楽に向かう時も、19番が呼ばれた時も。
自分はただ指をくわえて見ている事しか出来なかった。
そんな悲しい記憶。
「チターナ...イェラ...みんな...元気か、な?花子と...ジャリ、オが...守って、くれて、でも。俺は...」
ウェリナ村に残した、否、捨てた記憶。
強くなったら帰ってくると伝えてその本音自分の弱さに嫌気が差したから逃げ出し、自分を愛してくれた人達の記憶ももう無い。帰ったところで追い返されるだけ、そもそも入ることすら出来ないのかもしれない。
そんな馬鹿な記憶。
「ありが...とうも。ごめんな、さいも、何も言えな、かった。こんな...俺に...あんなに...優しく...っ」
前世の話、地球で親しくしてくれた友人達は有名の死を聞いたのだろうか、自分の死を、聞いたのだろうか。感謝も謝罪も別れの言葉も何も言えなかった。これも全部己が弱いから。
そんな誰も知らない記憶。
「全部...全部...全部俺が...弱かった、から...弱いから......」
とめどなく涙が溢れ、布団は濡れてゆく。
悲しさが近付き、辛さが顔を出し、悔しさが肩に手を掛ける。圧倒的なまでの無能感に押し潰されそうになる。
今もそう、男の癖に、生まれ変わって中身だけなら三十近いのに、泣いてしまう。情けなさが自分を責める。
そんな情けない男の頭をゴツゴツとした手が乱暴に撫でる。
「弱いなら強くなれ、もっと鍛えろ、身体も、心も。自分の手で誰でも守れるようになれ、そのためなら俺は手伝うことを一切惜しまない」
「てつ...だう?」
「あぁ、これでも王国騎士統括だ、力のつけ方くらい知ってるし、教えることも出来る。そっちが良いならこのままココに住んでいってもいい。出たくなったら好きに出ろ。どうだ?たまには人に頼ってみるのも悪くないんじゃないか?」
「たよる......」
頼るという言葉はティアリスにとって衝撃だった。
今まで色々と一人で抱え込んでいた節がある彼にとってその言葉はあまりに無縁の長物、協力でも共闘でもなく、頼る。己の全てを他人に任せる行為を、ティアリスはしたことがなかった。
ティアリスは言った。
「たよる...、おれ...を、つよく...もっと...強くっ」
ティアリスは貪欲なまでに力を求めた。アルネージに縋ったのだ。
それを聞いたアルネージは柔らかく微笑むと。
「任せろ、君を誰でも守れる強い男にしてやる」
ティアリスはその言葉を噛み締めるように聞くと、乱暴に涙を拭った。
「ありがとう...」
☆★☆★☆
その後、ティアリスは2、3杯のスープを飲み干してすぐに眠ってしまい、食器を片付けるために部屋をあとにしたアルネージとそれに付いていくサレナ。
「どう?あの子」
サレナが訊ねた。その言葉の真意をアルネージはすぐに察する事が出来た。
「かなりマズイな、あの眼は...」
彼らが見たティアリスの眼。
口からこぼれる言葉の数々はしっかりと理性と知性を兼ね備えたごく普通のそれだった。
しかし懸念すべきは彼の眼。光は無く、どこまでも深い深い闇。
「あの眼に俺達は映っていない。あの眼には、敵しか映っていなかった」
「敵...ねぇ」
「二種類だ、二種類の“敵”があの眼には映っている」
「二種類?」
「あぁ、“有害な敵”と“無害な敵”だ」
「私達はどっちなのかしら」
「さあな、無害だと信じたいがな」
アルネージはそう言って、月明かりの覗く窓の外を眺めた。
「...それにしても」
「ん?」
「王国騎士様の言うことはまた違いますねぇ〜」
間延びする声でサレナがアルネージを茶化す。
「なんだ、別にいいだろう、臭いセリフなのは俺が一番よく分かっている」
「いいえ〜?お国の騎士様のトップが言うことですもの、多少臭くたって様になるわねぇ〜」
「あれは俺の本心だ、あの少年...ティアリスが心の内を語ってくれたんだ、大人の俺がそれに応えなくてどうする。これは騎士だからじゃない、俺の思う大人って言うものの当然の義務みたいなものだ」
「またまたぁ、泣き崩れるあの子にちょうどいいタイミングであんなこと言って、イイ感じに養子に取ることを誘導したんじゃないのぉ〜?」
サレナはさらにつつく。
しかしアルネージは。
「え?」
「え?」
沈黙。廊下の歩み止めてキョトンとした顔でお互いを見合う。
「も、もしかして...ホントに無意識であんなこと言ってたの!?」
「だから最初っからそう言ってるじゃないか!」
「うっわ、恥ずかしっ」
「うっさい!」
拗ねるアルネージは足早に廊下を進む。その後ろ姿をサレナは一歩遅れて追いかける。
「ま、まぁイイじゃない、良かったわよ、さっきの...」
「もういい、掘り返さないでくれ、恥ずかしい」
かくしてアルネージは養子を、ティアリスは衣食住と強くなる手立てを手に入れたのだった。
二章から三章への移行はかなり無理矢理というか高低差の激しいことになりましたが、四章への移行はもう少し緩やかにしようと思います。なのでダークな雰囲気がもうちょっとだけ続くんじゃ。とでも言いましょうか。




