四頁 本音協奏曲
おひさしぶりです
「それじゃあ、後はその米俵ね」
「あいよ」
終の『店』、その地下にある貯蔵庫からミーシャとリィの二人がかりで必要な食材その他を運ぶ。米俵や小麦粉袋、果物のつまった段ボールなどの重いものはミーシャが、反物や毛糸といった軽いものをリィが担当し、オサムは注文リストと二人が持つものがあっているかどうかを照らし合わせる。勿論、盗難などを疑っている訳ではないが、他にも外注やオサム自身の生活に必要な品も貯蔵しているため、念のためにだ。
「で、リィさん、なんだけど……」
「……はぃっ」
気まずそうに振り返った少女はすでに涙目で、半歩でも彼が近寄れば卒倒しそうなほど顔面蒼白だ。狭く荷物がたくさんある地下蔵では、頑張っても2メートルほどしか距離を置けないのだ、仕方ないのだが。
「えっ……と。そこの壁際の料理酒をお願いします。それで、ラストなんで」
「は、はいっ!」
指示を聞くや否や、指定の品をもぎ取るように棚から取り抱え、階上へと走り出した。少女の背中を目で追って、覚えずため息をつく。
と、その俯けた後頭部に、硬いものが投げつけられた。
「いてっ」
反射のように声を上げるが、実のところ大して痛くはない。違和感の残る後頭部を撫で付けつつ振り返れば、壁際に寄りかかった金髪の少女が林檎をかじっている。こちらを見る目はうろんだ。
足元に目をやれば、やはり林檎が一つ転がっていて、それが得物だったと分かる。
「気にするな」
吐かれたのは唐突で、オサムは数度無言で瞠目した。ミーシャは乱暴に林檎をかじる合間に、
「あ(・)れ(・)とて、いつまでも男嫌いのままでいられると思っているわけじゃない。だからこそあたしに引き摺られないで今回はこっちに出向いたし、今も同じ空間で作業しているだろ―――一分も持たないけれど」
「……庇いたいのか貶したいのか、どっちだよ」
不器用な守護獣のフォローに脱力し、終は自分がいつの間にか力んでいたことを知る。それは、出合い頭から涙目、顔面蒼白当たり前の紫髪の少女と行動することによる緊張で……。
「……なあ、真白」
終が名付けた、こ(・)の(・)世界での彼女の名称で呼べば、幾つかめの林檎から彼女は目を離さず問い返す。
「あ?」
「俺、向いてないと思うんだよ。リィさんのリハビリ相手」
「なんで」
「だって、リィさんがミーシャの注文した食料を受け取りに来て、そのとき透さん……先代が留守だったから俺が応対した三ヶ月前の初対面。あれから度々、真白の陰謀で鉢合わせたり狭い部屋に閉じ込められたりしてるけど、大体彼女が逃げるか気絶するかで決着ついてるじゃない。成長どころか悪化させてる気しかしないんだけど」
「だからって向いてない、ってこたあネえだろ」
「向いてないよ。職場に入って三ヶ月で、大抵の人はそこに自分が向いているか理解する、って世の中じゃ言うけれどね。俺もそう思う。三ヶ月経って、モルモットに俺は適していないって思い知った。だって、俺―――」
うつむきがちだった顔を、終は勢いよくあげ、告白する。
「面倒くさいって、悪いけど思っちゃった。リィさんの相手するのは疲れる、とても」
その、相棒を傷つける残酷な言葉に、守護獣は。
「そいつぁ、よかった」
にこりともせず、そう言い放った。は、と息を吐き疑問符を浮かべる少年に、続けざま守護獣は「計画通り」と笑ってみせる。唇を片方だけ持ち上げる、器用な笑い方だった。
「先代が居なくなってから、お前は腑抜けてた。誰に対しても平等な優しさ、なんていえば聞こえがいいが、要は執着がなくなったってことだ。外界に興味がないから接客も機械的になるし、悪辣なクレーマーも腰が引ける鉄壁の営業スマイルになる」
「……いいことじゃん、少なくとも誰にも、迷惑はかけてない」
「ああ。誰にも迷惑かけてねえ、代わりに役にも立ってない。わかっているか?お前の店は、あたし達のような異世界と輸出入をするのと同じくらい、人間たちの邪気に敏感でないといけない。そのためには、他人の感情機微を悟れないと、もっといえば関心がないと、意味がない。けどお前は、透のいねえこの世界なんざどうでもいいから、その目を曇らせたままでいる。―――仕事云々以前に、お前の人間としての質も、落ちているぞ」
「…………」
「めんどくさいな、って思ったろ。それすら、三ヶ月前のお前にはなかった感情じゃ、ないか?」
「……だったら、なに」
「別に。お前に『嫌だ』とか『めんどくさい』って思える感情の種を植えたのは、あいつだけど。それに関して感謝しろとも言わんよ、あたしも、あいつも。ただ―――」
「あのっ!」
守護獣が更に何かを言いかけたとき、終は背後から呼びかけられつい、振り向く。と、
「……リ、ィさん?」
が、いた。相変わらず青い顔で、目を潤ませ一定の距離を保っている。
けれど、頬だけは赤く染まっている。涙もこぼれはせず堪えているようで、距離もいつもよりはずっと近い五歩分といったところ。初対面の人間なら、このくらいが普通じゃなかろうか。
「あああの、三ヶ月間お世話になって、思ったんですけどっ。わたし、終さんと同じ空間にいるだけで、心臓がバクバクなっちゃうんです!その日食べたもの全部戻しそうになるし、酷い時はめまいや、気絶だってしちゃいます!今だって、ここに立ってるのキツいし、多分ゼッタイ鳥肌たってます!」
「………………」
何を、言い始めたかと思えば、まさかの陳情。自分の予想以上に彼女は自分を嫌悪していた(男嫌いなど関係なくむしろ嫌われている気もする)のだと知り、そっと落ち込む終であった。
「分かった。とにかく、君は俺が苦手ってことだよね?」
「そうです!オサムさんの目線が、口が、大きな体が、硬い手が、細いけど頑強な脚が―――怖いんです」
怖い、と彼女は言う。
その言葉選びに、ふと思う。『嫌い』とはっきり言われるのも確認するのも(なぜか)おそれて選んだ『苦手』という表現にリィは頷き、さらに恐怖と自分の四肢顔面に抱く感情を表した。怖気は嫌悪と近しいが、「言葉」にまつわる職の彼女は殊更にその選びに慎重と聞く。ならば。
終が思考の沼に落ちかけたとき、深呼吸していたリィが、き、とこちらに向き直る。その空色の目にもはや水分はかけらもない。情念の炎で散らしたかのようだった。
「でも。あなたの目の色は好き。あなたの声は落ち着く。あなたの匂いは、ほっとする。あなたという存在を―――出会えてよかったと、この縁を切りたくないと、思う。だから、とても勝手なお願いだけれど。私と、付き合ってくれませんか?」
ついには、顔中真っ赤に染めて言うのを見つめながら、終は凍りつく。
「……告白みたいに、なってんぞ」
「……え、あ!?えと、付き合ってっていうのはリハビリにってことで、その恋愛感情を束縛しようとかそういう意味ではというかわたしが恋愛だなんて身の程知らずだし」
ゆうに十秒たってから、ため息交じりに守護獣が指摘しなければ、そのままずっとこう着状態が続いたであろう。リィがひたすら弁明と自戒につとめるのを流し見ながら、金髪の少女を見やる。
「狙って、話した?いろいろと」
「さあな」
そっぽを向き、わざとらしく林檎の咀嚼を再開した偉大なる守護獣の頭を数度、終は乱暴に撫ぜた。それだけで、通じる。
だから終は、まだそこまでの信頼を築けていない、新米守護獣に声をかける。
「あの、リィさん」
「はふぁひゃい!?」
すぐ隣り、という近さと声に驚いてかすぐさま飛びのいたリィは、すぐさま唇をかんで俯いてしまった。今までなら、それも目を合わせたくないがゆえの回避行動だろうと終は落ち込むか呆れるかしていたろう。
けれど、先の激白を越えてなんとなく理解した。耳元でささやいた瞬間、震えたのは恐怖ではなく感じたからだということ。顔面も距離に気付くまでは頬の紅潮の方が目立っていたということ。唇をかむのは無意識下の回避をした自分への罰で、それを見られたくないがために俯いた、というのは少々好意的に見すぎただろうか。
でも、半分くらいは当たっているんじゃないかと思う。当たっていれば、いいと思った。
「パソコンって、廻廊にありましたっけ?あと、インターネットができる環境」
「っへ」
ぽかん、と文字通り呆けたリィに、終はにっこりとほほ笑んだ。それは営業用でも鉄壁でもない、ただの友人に向けるそれ。
「声は平気なんでしょう?テレビ電話とかから、毎日、でも少しずつ続けて、慣れていきましょう」
「え……いいんですか?それも、毎日だなんて……」
自ら願い出たこととはいえ、嫌がっていたはずの自分の世話(という自覚はある)を彼から、破格の条件付きで言ってもらえたことにリィは逆に不安を覚えた。けれど、そんな猜疑心からの問いにも崩れない彼の笑みに、常の線引きをするための表情でないことを知る。
「もちろん。考えてみれば、こういうことはコツコツ続けるのに意味があるわけで。それに。思ったんです。俺、もっとあなたのことが知りたいし、俺のことも知ってほしい。そのためには、会話が必要なんだなって」
先代が去ってから、喪失していた世界を見る目。何重にも壁を作って隠していたのに、いともあっさりと彼女は取り出してみせた。その澄んだ眼差しと、先代がはじめて自分をほめてくれた、あの言葉で。
『君の目の色と声は、嫌いじゃあないよ』
『でも。あなたの目の色は好き。あなたの声は落ち着く』
自分が嫌いなこの金と銀の目と、憎い父親そっくりの声を肯定してくれた君のことを、もっと知りたいと思った。
と、気付けば目の前の少女は頭のてっぺんからつま先まで、痙攣させている。すわ常の恐怖症かと思いきや、その目はこちらをじっと見開いて捕らえ離さず、顔も全域が夕焼け色だ。空気を求めるように桜色の唇を何度もぱくつかせている、と思えば急に、ばたりと背後に彼女は倒れてしまった。
「っリィさん!?!?」
やはり無理をさせたか、それとも距離かと焦りつつ、触れることをためらっていると林檎の籠を急に脇から押し付けられた。といってもほとんど空だったが。
「お疲れ。あとは任せとけ」
15歳ほどにしか見えない小柄な体で、同年代のそれも魅惑的な矮躯をこともなげに抱えた守護獣の少女は、上の階に上がっていく。
「っあの、真白!」
「あ?」
振り返らず、上り続ける彼女の背中に終は宣言した。
「俺、本当に続けるから。目の色と、声と、匂いと存在まで嫌われないうちは、だけどさっ」
「―――目線と、口と手足も好かれるよう、努力してみろ」
ぶっきらぼうにそう返した、その一瞬だけ横顔で振り返った彼女の唇はつりあがっていた。けれど今度は、片方だけじゃない満面の笑みならいいと、そう思いつつ終も彼女たちのあとを追う。
こんなペースですが、よろしくお願いします。