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終電、ふたり分だけ遅れていく

作者: 星恋
掲載日:2026/05/09

この物語は、「終電を逃した夜」というたったそれだけの偶然から始まります。

けれど、夜というのは不思議で、帰れない時間ほど、人の本音や距離感をゆっくりほどいてしまうものです。


もしも、画面越しにしか存在しなかった誰かと、同じホームに立ってしまったら。

もしも、その人が“ただの推し”ではなくなってしまったら。


そんなありえないようで、どこか現実にも紛れ込んでいそうな一夜を切り取ったお話です。


終電は、ただの門限ではなくて。

時々、関係の形を変えてしまう“境界線”になることがあります。


この物語が、あなたの中の静かな夜に、少しだけ明かりを灯せたら嬉しいです。

朝の色は、思ったよりも淡かった。


ファミレスの窓ガラスに、ぼんやりと自分たちの影が重なっている。夜の名残みたいに、眠気と現実がまだ仲良く混ざっていた。


「……朝、来ちゃったね」


ミナトさんがそう言って、ストローをくるくる回す。氷の音が、やけに大きく聞こえる。


私はうなずくことしかできなかった。終電を逃した夜は長かったのに、朝は一瞬で来る。そして、終わらせ方が分からない。


「ねえ」


彼女がこちらを見た。その目は、テレビ越しで見ていた“完成された表情”じゃなくて、少しだけ迷っている人の目だった。


「昨日のこと、夢じゃないよね?」


「夢だったら、もう少しまともな夢にしてます」


「ひどい」


笑った声が、やけに近い。


駅に向かう道は、まだ人が少なかった。コンビニのシャッター音、早朝配送のトラック、少し冷たい風。夜の続きみたいな朝だった。


「私、今日どうしようかな」


ミナトさんが歩きながら言う。


「仕事、午後からなんだよね。でも今帰るのも変だし」


「普通に帰るのが一番では」


「それ、正論すぎてつまんない」


そんなことを言う人だったっけ。いや、画面越しに見ていた“白瀬ミナト”とは、そもそも違う人なのかもしれない。


そのとき、彼女が急に立ち止まった。


「ねえ」


「はい」


「昨日さ」


一拍置いて、少しだけ言葉を選ぶように続ける。


「私のこと、ただの“推し”って思ってた?」


胸の奥が、ちくりとする。


正直に言えば、そうだった。ずっと画面の向こうの人で、届かない存在で、それで十分だった。でも昨日から、それが少しずつ壊れている。


「……最初は、そうです」


「うん」


「でも今は、ちょっと違います」


「なにそれ」


「説明すると、たぶん変なことになります」


ミナトさんは少し黙って、それから小さく笑った。


「いいよ。変で」


その一言が、ずるい。


駅のホームは、昨日と同じ場所なのに違って見えた。あの夜と同じベンチ。同じ自販機。同じ風。


でも、もう“終電を逃した場所”じゃない。ただの、朝の駅だった。


「じゃあ、ここで解散だね」


ミナトさんが言う。


その言葉は正しい。正しすぎて、少しだけ痛い。


私はうなずこうとして、止まった。


「昨日のこと」


「うん」


「なかったことに、します?」


自分でも驚くくらい、弱い声だった。


ミナトさんは一瞬だけ目を伏せて、それから私を見た。


「しないよ」


即答だった。


「だってさ、なかったことにしたら」


少し笑って、


「私、昨日のファミレスで初めてちゃんと人と話したことになるんだけど」


「それは……」


「それは、ちょっと嫌」


電車が来る音がした。


風がホームを撫でて、髪が少し揺れる。


ミナトさんは一歩下がって、私の顔を見た。


「ねえ」


「はい」


「また、終電逃したらさ」


言葉が一瞬だけ途切れる。


「いや、逃さなくてもいいんだけど」


「どっちですか」


「どっちでもいい」


そして、少しだけ照れたように続けた。


「会ってくれる?」


その問いかけは、ファンサでも台本でもなかった。ただの、人の声だった。


私は小さく息を吸って、うなずく。


「……はい」


たったそれだけで、世界が少しだけ形を変えた気がした。


電車のドアが開く。


ミナトさんは乗らなかった。


「仕事は?」


「遅刻しても怒られない範囲にする」


「いいんですか、それ」


「うん。今日くらいは」


今日くらいは。その言葉が、妙に胸に残る。


電車が走り出す。窓の向こうで、彼女が小さく手を振った。


私は、気づく。


あの夜は終わったのに。あの関係は、まだ名前がないまま続いている。


ただ一つだけ確かなのは。


終電はもう、理由にならない。


次に会う約束だけが、静かに時間の中に置かれていた。

書き終えてみると、この物語は「恋が始まる話」というより、「距離が名前を失っていく話」だったのかもしれません。


推しという存在は、遠いからこそ安心できる。

でも、ほんの偶然でその距離が壊れたとき、人はその“安全な好き”の扱いに迷う。


終電を逃すというのは、ただ電車に乗り遅れることじゃなくて。

その夜だけ、日常のルールから少し外れてしまうことなのだと思います。


そこで出会った言葉や視線は、翌朝にはもう“なかったこと”にできそうで、でも完全には消えない。


この作品は、その「消せなさ」の話です。


読んでくれてありがとうございます。

もしあなたの中にも、まだ名前のついていない夜があるなら、

それはきっと、まだ続いている途中なのかもしれません。

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