疎通
所詮世界の殆どが百聞は一見にしかずの世界なのだと思い知らされました。
実際に目で見て、手で触れて、生の音や声を聞いてから初めてそのものを理解出来る。
「いま、どんな気持ち?」
【太陽】【暖かい】【気持ち良い】
でも、現実はそれ以上に衝撃なことで満ち溢れている。
たとえ自分の身で実際感じ取ったとしても世界は未知と不思議で溢れ返っている。
同種族の中でも凶暴や攻撃的なイメージの強いこの生き物は見た目に反して思慮深く、とても優しい生き物だ。
人より大柄な体は黒色の毛足の短い毛に覆われ、発達し盛り上った腕は他の生き物の命を容易く屠れる。
そして、直ぐ寝込んでしまう。うっかりで殺してしまったら最後、あまりのショックで寝込んでしまう繊細さを持ち合わす。
この生き物が持つ力は他を排他する為では無く守る為に使われる。故に暴力沙汰を極力避けたい平和主義であるのと同時に大事な群れや家族の為ならばその力を存分に振う勇猛さを兼ね揃える。
とてもとても仲間思い家族思いに満ち溢れた生き物だ。
ひょんな事から一緒に暮らすことになって随分経った。
暖かい日差しに誘われて芝生で寝転んでいた彼の隣に腰を下ろす。
すると、起き上り座り直した彼が私に自分の気持ちを伝えようと指を手を動かした。
手話。声や言葉でのコミュニケートが図れないならばと考えに考えた苦肉の策。まさか本当に会話が成立するなんて思っていなかったけれど、初めて会話が成立した時の感動は今でも鮮やかに覚えている。
私が昔の思い出に上の空だったから、黒い手が何度も肩を【話】【聞いて】と促す。
この手だって力加減をしてくれていなければこちらの肩なんてとっくに壊されている。そんな力を持っているのに、肩を叩く力加減は強からず弱からず丁度よい。
「ごめん、なに?」
【空】【命】【川】【流れている】
「えーっと。空の上に命の川が流れている?」
【たくさんの】【生き物】【流れている】
「でも貴方は以前、死んだら苦労のない穴にさようならって。」
肩を叩いていた黒い手が指差す先に広がる青空。
どうやら彼曰く沢山の生き物の魂が川のように流れているのが見えるらしい。
懸命に目を凝らして見ても私の目に映るのは何処までも続く青い空だけだった。
困り顔の私を見て彼はさらに続ける。
【眠る】【苦労のない】【穴に】【さようなら】【空】【川】【流れる】
青い空にまるで線を引くようにつーっと横に動かされる黒い指。
きっと命の川をなぞっているんだろう。
残念なことに私の目には見えない命の川。きっと幻想的な川なんでしょうね。
慈しむように細められた優しい目が一度私を見てからまた空に戻された。
【死ぬ】【悲しい】【大好き】【命】【川】【戻る】
「…そう。あの子も其処に行っているのね。」
不意に過る悲しい記憶。彼の大事な親友だった子猫の死。
その子が死んだ時の彼は悲しみのあまり会話をしたくないほど落ち込んでいた。死について理解しているのにも驚いたけど、子猫の死を悲しんでいる彼の感情の豊かさに胸を打たれました。
見下していたわけではありません。でもまさか此処まで理解しているとは思ってもみませんでした。
肩に寄り掛ってきた黒い頭を優しく引き寄せ撫でました。手話をしなくなった黒い手をやんわり握れば同じくらいの強さで握り返してくれました。
思わず彼の顔色を窺いました。憂いを帯びた目をしているなんて勝手に思い込んでた所為もあって、…彼の直向きな視線に息を飲み込みました。
ずっとずっと続く蒼穹を仰ぐ真剣な眼差し。そして私も彼が見続ける命の川の方へ視線を向けました。たとえ見えなくても同じ気持ちになりたくて彼が新しい本を読んで欲しいと強請るまでずっと眺めていました。
些細なことで怪我をしてしまった事がありました。
間接的に彼の所為でもあるけれど、だからと言って彼を責め立てたりしない。そもそも私の所為でもあったから。
前にも述べたけど彼らはとても繊細な生き物。うっかりゴリラパワーで殺ろうものなら…。
「お願い、機嫌なおして?」
機嫌を直して、なんて言い方自体おかしいかもしれない。でも実際に彼は私を傷付けてしまった事で私から距離を置いている。
追い掛けども追い掛けども逃げられ、近寄られるのを頑な拒んでいます。
挙句、『自分に近寄ったら怪我するぞ!』アピールまでしちゃい始める始末。わざと大きな音を立て、辺り一面を駆け回る。野生なら大きな木の枝や石を振り回しながら引き摺り回る。此処だと何処から引っ張り出したのかドラム缶を担ぎあげて必死にアピールしていました。
何処まで心優しいのだろうこの生き物は。
「何で駄目なの?」
一定の距離をとってコミュニケーションを計る。
すると、彼はちょっと急ぎ気味に手話を返す。
【力】【違う】【怪我】【怖い】【怖い】
「本当に? 怪我させちゃうのが怖いから――、私から逃げてるの?」
沈黙。あれだけ騒いでいた彼がピタリと止まった。
極力刺激を与えないように彼に近付き、彼の手が届く距離で私は腰を下ろした。
少しいきり立った彼の目と合う。私は逸らさず、ずっと見詰めていた。
瞬間、彼の手が私の頭に伸ばされ髪を引っ張られた。髪の毛は抜けていない。頭ごと掴まれぐわんぐわん揺さ振られた。
これが彼の本気だなんて思いもしない。思うなんて毛頭無い。
暫くして気が済んだのか私の頭を揺さぶっていた勢いが弱くなり、終には止まった。
ちょっとばかり目が回る世界に映る彼は何処か寂しそうな申し訳そうな視線を向けている。
「ね? 私は貴方を嫌ったりしない。貴方を怖がったり、…拒んだりしない。」
間髪入れず黒い手に引っ張られ、気付けば彼の腕の中にいた。
力強くて暖かい優しい檻。ちょっとぐしゃぐしゃになってしまった私の髪を整えてくれる指の愛おしさに心がまた暖まる。なんて心優しくて愛おしい生き物なのだろう。
宥めるように黒い背中を撫ぜた。指先から掌から伝わる人とは違う感触。でも人と同じ温もりに私は目を閉じ、彼の首元に顔を埋めた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品は別の投稿サイトに投稿していた作品を修正したものになります。はじめましての方は、はじめまして。この文章どこかで…って思った方引き続きよろしくお願いいたします。
では、異種間恋愛が三度の飯より大好き担々狸の作品今後ともどうぞごひいきに。




