再起
ひなのが言った。
その目には、まだ涙の跡が残っている。だが、奥には静かな火が灯っていた。
「何すればいい?」
俺は思わず目を丸くした。
「何よ」
その反応が気に入らないのか、ひなのが眉をひそめる。
「いや……だって」
俺は少し苦笑する。
「ちょっと意外で」
「あんた、状況考えなさいよ」
ひなのが真面目な顔で言葉を遮った。
「一層、二層。三層の状況」
指を折るように数えながら続ける。
「乗客の数も、神谷の様子も、今ここで一番情報を持ってるの、あんたなんだから」
そして腕を組んで、俺を睨む。
「その上で指示するのは当然でしょ」
「仕方ないから協力してやるって言ってるの」
少し顎を上げて言った。
「文句ある?」
……さっきまで泣いていたとは思えない態度だ。
少しはしおらしくなったかと思ったが、やっぱりこいつはこいつだ。
そういえばこいつ、俺を追放した張本人だったな。凛と出会って前向きに受け取ったつもりだったが、今さらながら思い出す。振り返るとまだ胸の奥に、わずかに引っかかるものがあった。
それでも。
「いや、ない」
俺は小さく息を吐いて言った。
「正直、めちゃくちゃ助かる」
「頼りにしてるぞ」
ひなのの目が一瞬だけ見開かれる。
泣き腫らして赤くなった目が、わずかに揺れた。
「……ふん」
鼻を鳴らす。
だが次の瞬間、表情が引き締まった。
「……恵の仇、取らないとね」
ひなのは前を向いたまま言った。
そして、少しだけ声を低くする。
「さっき私達を襲った奴もまだどこかにいる」
「……あのバケモノ、絶対に許さない」
短く吐き捨てるように言った。
その声には、さっきまでとは違う熱が混じっていた。
俺は肩をすくめて小さく笑う。
「…まぁ、今は生き残る事を優先しようぜ」
「分かってるわよ」
即答だった。
そして俺たちはホームを歩き出した。
⸻
歩き始めて数分。二人の足音とホームを吹き抜ける風の音がやけによく響く。時折電灯のチカ、チカという音と点滅が聞こえるくらいで変わったことは何もなかった。
「一応、生存者を確認したいんだけど」
頃合いを見て、俺は言った。
「ここで他に生きてる奴はいると思うか?」
ひなのは少し考えたあと、首を振る。
「…いない」
少し間を置いて続けた。
「恵と一緒にいる時に突然バケモノに襲われて、二人で別の方向に逃げたの」
「私はあっち…四層側に逃げた」
向かってきた方を指差す。
そして俺を見てから、くるっと親指で反対側を差した。
「だから今あんたがここに来るまで誰にも会ってないなら、もう人はいないか」
「……死んでるか、ね」
そう言いながら、ひなのは自分の唇を強く噛んだ。
「分かった」
俺は短く頷く。1秒でも早くここを抜けたかった。生存者がいないなら、ここに留まる理由はない。
レイス一匹にあれだけ手酷くやられた後だ。先程「新しい手札」を手に入れたとはいえ、今の自分は満身創痍。ひなのも親友を失ったショックは大きいだろう。極力、戦闘は避けたい。
「一度、二人で一層まで戻ろう」
「そこから坂城と合流して、次の作戦を立てる」
向こうの様子も気になる。坂城は上手く皆を守れているだろうか。無事帰れたら、ひなのも交えてきちんと話ができると良いのだが。
「しょうがないわね」
ひなのは小さく頷いた。
そして、少し迷ったような顔をする。
「ところでさ、昨日から思ってたんだけど」
俺を見る。
「なんであんた、ギプスなんかしてるわけ?」
「あぁこれか」
俺は右腕を軽く上げて見せた。
「もう治りかけなんだけど」
「一昨日潜ったダンジョンで、ちょっとな」
軽く振ってみせる。
「何カッコつけてんのよ、雑魚のくせに」
ひなのが呆れた声を出す。
「どうせあの女に良いようにおだてられて、ラッキーアイテムと荷物持ちしてただけでしょ」
前に凛に諌められた事を根に持っている言い草だった。自分でも意外だったが、その言葉だけはやたらに胸がざらついた。
自分を馬鹿にされるのはまぁいい。…だが、凛まで侮辱された気がした。それに、それは今までひなのが俺にしてきた事だ。
「お前なんかと凛を一緒にするな。」
…そう言い返したくなった。だがここでそれをいっても始まらないので、言葉をグッと喉の奥に押し込んだ。
そして返事の代わりに、少しだけ大袈裟なため息をついた。
「何よ」
ひなのがまた不満そうにいった。
——————————
そこから暫く、二人とも何も喋らなかった。相変わらず足音だけがよく響く。二人は並んで歩いてはいるが、先ほどよりお互いの距離は少し遠くに感じられた。
一向にモンスターも出る気配はない。
警戒は怠らなかったが、今はそれ以外他にやることもない。何か、攻略のヒントになる物があるかもしれない。あまり期待はしなかったが、俺はホームの壁に掲げてある看板や掲示板を眺めながら歩いた。
ふと、一枚の掲示板が目に入った。
掲示板のポスターには、この世のものではない文字とともに、ホームから人が飛び降りている様子や電車に轢かれて手や足が血まみれでバラバラに飛び散っている様子が、クレヨンで小学生が描いたような絵で何枚も貼ってあった。なんとも悪趣味だが、何となく目が離せない。
描いてる内容さえ健全なら、交通安全の標語のポスターのようだった。
「見ない方がいいわよ、その絵」
突如、ひなのが振り返った。いつの間にか、二人の距離は20メートル近く離れていた。自分でも気づかないうちに立ち止まっていたらしい。
「呪いだから」
そう言い終わると、ひなのが小さく、「爆ぜろ」と唱えた。その瞬間、ボンッと看板が燃える。
オォォ…‼︎
看板の絵が小さい呻き声のような断末魔を上げた。その瞬間、俺は背筋が震えた。しかし看板はそれ以上何かすることはなく、そのまま直ぐに塵になった。
ひなのが続ける。
「この層が人の負の感情を大きく孕んでいるからか、残滓がこういう看板なんかに呪いとして発露してるみたいね。注意しないと引っ張られるわよ」
俺は身震いした後、駆け足でひなのに追いついた。
やはり性格は悪いが、言うだけのことはある。知識と魔力感知なら、シーカーズでもひなのが一番だろう。
俺が礼を言おうとひなのの方を向くと、ふいに目があった。
ひなのは少し顔をしかめたが、何か迷うような仕草をした後、おもむろにリュックを下ろし始めた。
ごそごそと中を探る。
ひなのの突然の行動がわからず、俺はただ眺めていた。
「あった」
やがて、取り出したものを俺に差し出す。
「これ飲みなさい」
ハイポーションだった。
俺はまた目を丸くする。
「……いいのか?」
「勘違いしないで」
ひなのが、即座に言った。
「こっちはあんたを介護して、一層まで戻らなきゃいけないの」
「次さっきみたいにモタモタされたら迷惑だから、迷わず置いていくわよ。自分のことくらい自分でどうにかして」
腕を組んだまま言った。
「だから、さっさと治しなさい」
……本当に変わったな。
そう思いながらも、口には出さない。
「時間が惜しいわ」
「早くして」
「あぁ……ありがとう」
俺はハイポーションを受け取り、一気に飲み干した。
薬液が体の内側へ染み込み、骨と筋肉が再生されていく感覚が広がる。ジンジンとした痛みが消え、体が軽くなる。
「生き返るな」
思わず口に出してしまう。
――しまった。
言った瞬間に気づく。
俺は慌てて口に手を当てた。
ひなのは一瞬だけこちらを見た。
何か言いかけて、やめる。
「……本当、バカね」
小さく吐き捨てるように言った。
だが、その声はさっきより少しだけ柔らかかった。
ひなのはリュックを背負い直し、それからは振り返らなかった。
「行くわよ」
一歩一歩、踏みしめるように歩き出す。
その背中は、さっきまでより少しだけ強く見えた。
追いかけるように、俺も歩き出す。
そのときだった。
視界の端に、かすかな違和感が走る。
――何かいる。
俺は足を止めた。
「……待て」
ひなのが振り返る。
「何よ」
「静かにしろ」
俺は小さく言った。
耳を澄ます。
さっきまでなかった気配。
だが、確かにそこにある。
「……この先、何かいる」
ひなのの表情が一瞬で引き締まった。
「モンスター?」
「分からん」
俺は目を細める。
嫌な予感がした。
「でも――」
一瞬だけ、言葉を切る。
「普通じゃない」
通路の奥の暗闇が、じっとこちらを見返しているような気がした。




