導く
俺はゆっくりと乗客たちの方へ向き直った。
まだ恐怖が完全には抜けていないのだろう。誰もが不安そうな顔をしている。血の匂いも、まだ消えていない。
「大丈夫です」
できるだけ落ち着いた声で言った。
「俺はギルドの探索者です。救助に来ました」
その言葉を聞いた瞬間、乗客たちの空気がわずかに緩んだ。ほっとしたような顔をする人もいる。
だが俺はすぐに周囲を見回した。
まず確認するべきは怪我人だ。
「大きな怪我をしている人はいますか?」
少し間があった。
やがて何人かが首を振る。
「……大丈夫、だと思います」
「少し擦りむいたくらいで……」
致命的な怪我人はいないらしい。
それを確認して、胸の奥の緊張がわずかに緩む。
だが安心している時間はない。
「ここは二層です。モンスターも出る。今みたいな奴がまた来る可能性も高い」
乗客たちの表情が引き締まる。
「一層に仲間がいます。そこまで行けば、今よりずっと安全です」
周囲を見回す。
「急ぎましょう」
その時だった。
人の輪の中から、若い男が一歩前に出た。
大学生くらいだろうか。俺をじっと見ている。
「……あの」
少し迷うような声だった。
「シーカーズの神谷さん……ですよね?」
俺は一瞬、言葉を失った。思わず男の顔を見る。
「……知ってるのか?」
「はい」
男は頷いた。
「大学の探索サークルですよね。動画とかで見たことあります」
なるほど。そういうことか。少しだけ肩の力が抜ける。
「……まあ、そうだ」
短く答えた。
「今はそんなことより」
俺は通路の奥を指さす。
「一層には、シーカーズのリーダーがいる。坂城だ」
ざわ、と空気が動いた。
名前を知っている人もいるのだろう。
「そこまで行けば大丈夫だ。だから――」
その時だった。
「あの!」
別の声が上がる。
振り向くと、中年の男性が焦った様子で口を開いた。
「さっき……向こう…三層の方に、はぐれた人を探しに行った人がいます」
空気が一瞬で凍る。
「家族が向こうにいるかもしれないって言って……それで、何人かで探しに行ったんです」
別の乗客が続ける。
すぐに別の男が声を荒げた。
「よせ!」
「今そんなこと言っても仕方ないだろ!」
そして視線が俺に向く。
「神谷さんも一緒に来てください!」
周囲の視線が一斉に俺へ集まった。
期待。不安。そして助けを求める目。
俺は少しだけ目を閉じた。
考える。
三層へ向かった人間がいる。だが、ここにも十人の乗客がいる。そして一層には、坂城がいる。
数秒。
それだけ考えて、俺は決めた。
「……分かった」
そう言って、俺は一人の学生を見た。さっき話しかけてきた男だ。
「君」
「はい」
俺は手に持っていた金槌を差し出した。
「これを持ってろ」
男は一瞬戸惑った。だが、すぐに両手で受け取る。
「さっきのやつが来たら、レンズを狙え」
俺は自分の目の辺りを指さした。
「そこがコアだ」
学生は緊張した顔で頷く。
「複数来たら戦うな。逃げろ。一匹なら、落ち着いてやれば一般人でも勝てる」
学生は金槌を強く握りしめた。
「……はい」
俺は周囲の乗客を見回す。
「一層の入り口まで案内する。一本道だ。そこまで行けば、坂城たちがいる」
通路を指さす。
「着いたら振り返るな。できるだけ急いで進め」
乗客たちは小さく頷いた。
恐怖はまだ消えていない。だが、さっきよりはずっと動ける顔をしていた。
俺は通路の入り口まで誘導した。
そして立ち止まる。
「ここから真っ直ぐだ。急げ」
乗客たちは、恐る恐る歩き出した。やがて一人、また一人と通路の奥へ消えていく。
その時だった。
「……あの」
声がした。
振り向く。
さっき助けた親子だった。
母親が深く頭を下げる。
「助けてくれて……ありがとうございました」
小さな女の子が、俺を見上げている。
そして。
「あなたは英雄です」
そう言った。
一瞬、言葉に詰まった。
英雄。そんなものじゃない。ただ状況的に動いているだけだ。
だが女の子の目は、真剣だった。
少しだけ息を吐く。
「……そうか」
小さく呟いた。
もし、その言葉で誰かが前を向けるなら。今だけは、英雄でも、何でもいい。
そう思った。
乗客たちの背中が通路の奥へ消えていく。
静かになる。
俺はゆっくりと振り向いた。
三層へ続く暗い通路。その奥を見る。
坂城も、ずっとこんな気持ちだったのか。
ふと、そんなことを考えた。
小さく笑う。
「……さて」
俺は一歩踏み出した。
三層へ向かって。
救出は、まだ終わっていない。




