ミスリル
「やれるか?」
他人任せにすることに若干の後ろめたさは感じたが、この少女は既に俺が戦力にならない事を知っている。その上でいけると言ったのだから、今はその勝算に賭けるしかない。
「分かりました」
その瞬間、岩陰からぴょんと跳ねた銀色のスライムが、逃げるどころか勢いよくこちらに飛びかかってきた。
完全に臨戦態勢だ。この無機質なゼリー状の生物に感情があるとしたら、間違いなく血気盛んな部類だろう。俺は慌てて後ろに飛び退いた。
だが、スライムの攻撃がこちらに届くことはなかった。
スライムの動き出しと同時に、凛が地面を蹴った。一瞬で距離を詰める。低い姿勢から、目にも止まらぬ速さで短剣が閃き、宙に浮かぶスライムコアの芯を正確に薙いだ。衝突の刹那、切り上げられた衝撃でハンドボールほどのスライムのコアが、宙に浮いたまま一瞬止まったように見えた。
ギンッ!
鈍い金属音が通路に木霊して、スライムが後ろに仰け反る。
「硬い……!」
凛が攻撃から転じて、すかさず距離を取った。余程の衝撃だったのだろう。短剣を左手に持ち替えながら、先程突いた手を痛そうに振る。
聞いていた通りの頑丈さだ。あの速さで切り付けたのに傷一つない。凛の実力は一連の動きを見て確信したが、短剣一本では余りにも分が悪かった。
そのときだった。手に持ったランプの灯りに反射するスライムコアに、微かな違和感を覚えた。確証はない。だが、試してみる価値はありそうだ。
「凛!」
「コアに僅かに歪みがある!同じ場所を狙え!」
悠長に話す暇はない。最短で必要な情報を伝える。凛が一瞬だけ目を細めた。
「…分かりました!」
少女の予想外の反撃に驚いたのか、ミスリルスライムが横に跳ねた。
その瞬間を凛は見逃さない。今度は着地の瞬間を狙って、もう一度一飛びで間合いを詰める。
今度は閃光のような鋭い突きが疾る。先程と寸分違わず同じ箇所を突いた。
そのまま怯むスライムに再度距離を取りつつ、一撃、もう一撃と、精密機械のように同じ手順で攻撃を加える。
数発叩き込んだところで、遠目にも分かるほどにコアの歪みが大きくなり、やがて――
ピシッ。
歪んだスライムのコアが、衝撃に耐えきれずヒビが入った。
「ヒビ……?」
…これで片付いたと思ったのか、ほんの一瞬だけ凛の肩の力が抜ける。
その時、ミスリルスライムが体を震わせた。
「まだだ!」俺は叫んだ。
凛はハッとなり、重心を落として最後の一撃を放つモーションに入る。
だがその瞬間、ひび割れたスライムコアの中から、凛めがけて勢いよく液体が飛び出した。
「…っ!!」
間一髪のところで横に飛び退いて躱す。
放たれた液体が床や岩壁のあちこちに散らばった。
ジュッ、ジュジュッと音を立てて液体が付着した地面が溶け出し、すぐに大きな窪みが出来た。
「溶解液……!」
浴びれば装備ごと溶けてなくなってしまうだろう。
凛は腕の立つ探索者だ。一度のミスが終わりに繋がることをその威力で確信していた。
再び、ミスリルスライムが体を震わせる。
凛は避けようとするが、連撃の疲労と先ほど無理な姿勢からかわしたせいで、着地のバランスを崩してしまっていた。
体を捻って避けようとするが、間に合わない。
「くそ……!」
マズい――
そう思った瞬間、俺は反射的に背中の荷物袋をつかんでいた。
躊躇している暇はなかった。
コアから液体が噴き出す瞬間を狙って、中の荷物ごと袋を思いきりスライムに投げつける。
放出された液体を荷物袋がすべて受け止め、そのままジューッと音を立てる。やがて袋は泡のようになり、跡形もなく溶けていった。
予想外の出来事に、スライムの動きが一瞬止まった。
「今だ!」
体勢を立て直した凛が踏み込み、飛びかかって最後の攻撃を加えた。逆手に持ち替えたナイフで左手を支えにして思い切り突く。ヒビの入った場所に、銀色の軌跡が重なった瞬間――
…バキッ。
コアが割れる音。
ひしゃげたコアに大きな穴が開き、それと同時にミスリルスライムの体が崩れ落ちた。
通路には、凛の荒い息遣いだけが響いていた。お互いにギリギリの攻防だったことを物語っていた。
その時だった。
コロン。
という乾いた音がした。戦いの激しさに気を取られてすっかり忘れていたが、アイテムがドロップしたらしい。
落ちた場所を覗き込む。
銀色の結晶と、指輪。そしてナイフ。
「「……三つ?」」
俺と凛はお互いに顔を見合わせた。
凛が俺の知らない間にもう二匹スライムを倒していないのであれば、一匹のモンスターから三つのアイテムが出たことになる。こんな事は前代未聞だ。
俺はすぐに鑑定を開始する。
【ミスリルコア】
アイテム素材。市場価値90万
【英雄の腕輪】
筋力+10、敏捷+10
【ミスリルナイフ】
攻撃力+28
複数ドロップの驚きと、その品々に思わず笑いが溢れた。面白いというよりも、自分の理解が及ばないことが起きた時の防衛反応のようなものだ。
「…すごいな」
凛も口をあんぐりと開けて呆然としている。先程まで凄腕の狩人だった探索者も、こうしてみると普通の少女のようだ。なぜだか妙に可愛らしい。
「ミスリルスライムって、こんなにドロップするんですか?」
「いや…実際倒した人の話を聞いたことがないからなんとも言えないが…普通は一つなんじゃないのか?」
「三つどころか、二つも聞いたことがない」
凛が少し考えるように俺を見る。
「もしかして…神谷さんのスキルは、アイテム毎に判定があるのかもしれません」
それにしたって、宝くじが当たるような確率だ。もしそうなら俺は今日、一生分の運を使い果たしたのかもしれない。
「そして……さっきの指示」
凛が向き直る。
「初めの一撃から、コアの歪みが見えてたんですか?」
「…まあ、なんとなく」
正確には、何か役に立てることはないか観察していただけだ。光に照らされて反射されたコアに、ヒケのようなものが見えた。凛の一撃で付いた傷かどうかまでは分からなかったが、結果的に役立てたなら良かった。
気をよくした俺は凛に言った。普段から褒められていないから、こういう時にすぐ口が滑るのは自分の悪い癖だ。
「そのアイテムは凛が全部貰ってくれ。元々凛が一人で倒したんだし、気にしないでくれ」
その言葉を聞いて、少しだけ笑っていた凛がふっと真顔になる。
俺はしまった、と思った。当たり前のことを偉そうに言って嫌な奴だと思われたら、今度こそ本当に置き去りにされるかもしれない。
荷物袋も無くなった今、生還の可能性はいよいよ絶望的だった。
だが、凛は違うことを思っていたらしい。
「やっぱり前のパーティ、見る目がなかったんですね」
床のドロップを見ながら言う。
俺は目を丸くした。
「このスキル自体もそうですが…神谷さんの洞察力。後、袋を投げつける判断力。経験を積めば良い探索者になれると思います」
耳が熱くなっていくのを感じた。
こんなに褒められたのはいつ以来だろう。役立たずと言われ続けた俺が、ずっと誰かに言って欲しかった言葉だった。
「…褒めすぎだよ」
俺は肩をすくめて少し俯く。だが、少しだけ目頭の奥が熱かった。
「違います」
凛はきっぱり言った。
「合理的な判断です」
そう言うと、ミスリルナイフを拾って刃の輝きを確かめるように見つめた。
ランプの光を反射して、淡い青みがかった刃がうっすらと輝く。凛の黒い髪と瞳にその光が反射して、幻想的な光景だった。思わず心臓が脈を打つ。
凛はそのナイフの切れ味を確かめるようにヒュン、と軽く振ると、向き直ってこう言った。
「神谷さん。このダンジョン、二人で探索してみませんか?」




