群衆
『ダンジョン化を確認』
『乗客は車両から移動しないでください』
無機質なアナウンスが車内に響く。
だが、その言葉がほとんど意味を持たないことを、俺は知っていた。
電車の内装は、すでに元の形を保っていない。
床や壁の境界が歪み、金属だったはずの部分が、岩とも木ともつかない奇妙な質感へと変わっていく。
蔦のような植物が天井から垂れ下がり、手すりの形状は完全に変質していた。
まるで、別の世界が列車の内部に侵食しているようだった。
ダンジョンが形成されている。
その変化は、わずか数秒で終わった。
車両の端がぐにゃりと歪む。
次の瞬間、視界が真っ白に染まった。
重力が一瞬だけ消えたような感覚。
そして――。
足元に硬い地面の感触が戻る。
目を開けると、そこはもう車内ではなかった。
広い空間だった。
岩肌のような壁。不自然に整った天井。
床は灰色の石で覆われている。
そして――。
周囲には、さっきまで同じ車両にいた乗客たちが集まっていた。
数百人はいる。
ここは――。
「第一層だな」
思わず呟く。
ダンジョン化の事例は、これまでにも数多く報告されている。
特に今回のように、電車や建物が丸ごとダンジョン化するケースでは、ある程度の傾向が確認されていた。
電車の場合。
車両の編成数が、そのまま階層数になることが多い。
つまり、この列車が六両編成なら――。
このダンジョンは六階層。
そしてもう一つ。
ダンジョン化が完了した直後、魔素量の少ない生物は、ほぼ例外なく第一層に集められる。
人間。動物。
つまり、普通の乗客はほとんどここに落とされる。
逆に、魔法の素質があったり魔素量が多かったりすると、二層や三層に飛ばされることもある。
ただ。
幾ら素質があろうが、丸腰の一般人が三層に放り込まれた場合、生存はほぼ絶望的だ。
「さて……」
俺は周囲を見渡した。
「どうするか」
振り返ると、群衆が広がっていた。
何百人もの乗客が、突然見知らぬ空間に放り出されている。
落ち着いていられるはずがない。
「ダンジョン化ってやつ?」
「どうなってるのこれ!」
「ヤバいんじゃないの!?」
「落ち着いてください!落ち着いてください!」
あちこちで怒号が飛び交う。
人が人を押し、悲鳴が連鎖する。
こういう状況で一番危険なのは、モンスターではない。
人間だ。
恐怖が群衆に伝染すれば、あっという間にパニックになる。
そしてパニックは、簡単に暴動へと変わる。
俺は深く息を吸った。
肺いっぱいに空気を取り込む。
「落ち着いてくださーい!」
声を張り上げた。
だが。
まったく届いていない。
群衆の声に完全にかき消されている。
自分の声がちゃんと出ていたのかすら分からなかった。
「……だめか」
こういう場面で人の注意を引ける人間は限られる。
少なくとも、今この場では俺じゃない。
状況を見ることはできても、人をまとめる力は無い。
今、こうしている間も――。
二層や三層に飛ばされた人間がいるはずだ。
もし一般人がそこにいたら。
時間がない。
焦りが胸の奥で膨らみ始めた、その時だった。
ゴオオッ。
低い振動が足元から伝わった。
群衆の前方で、地面が大きく盛り上がる。
岩が、ゆっくりと隆起していく。
巨大な石の柱のようなものが、地面から突き出した。
その瞬間。
さっきまでの騒音が、嘘のように止んだ。
人々の視線が一斉にそこへ向く。
俺も、思わず同じ方向を見た。
岩の上に、人影が立っていた。
その姿を見た瞬間、俺は目を見開く。
「 皆んな! 落ち着け! 」
よく通る声だった。
群衆の上から、はっきりと響く。
隆起した岩の上に立っていたのは――。
坂城だった。




