No.009:社会からの圧力
発端は、ひとつの記事だった。
外部ネットワークに流れた、短い報告文。
――「X地区における生活インフラ不安定事例について」
断水。
作物の損失。
影響規模は限定的。
どれも事実だった。
誇張はない。
だが、文末に添えられた一文が、空気を変えた。
「本件は、管理不在区域における自主判断の限界を示す一例である」
悠真は、その文を何度も読み返していた。
否定できない。
だが、同意もできない。
「……限界、か」
その日の夕方。
X地区の集会スペースに、人が集められた。
強制ではない。
だが、参加率は高かった。
中央管理局からの「説明会」。
来たのは、人ではなかった。
大型表示端末。
定型化された音声。
感情を含まない合成の声。
――制度の窓口。
画面に、グラフが浮かぶ。
事故件数。
復旧時間。
生活影響指数。
どれも、X地区は平均より高い。
「ご覧の通り、自由裁量区域では、
小規模トラブルが蓄積する傾向があります」
声は穏やかだった。
「これは、住民の能力や努力の問題ではありません」
フォローの言葉。
だが、続きがある。
「判断を個人に委ねる構造そのものが、
リスクを分散できていないのです」
誰かが、小さく舌打ちした。
別のグラフ。
管理介入区域との比較。
事故率は、半分以下。
損失は、統計上「無視できる範囲」。
「私たちは、自由を否定しません」
その言葉に、ざわめきが起きる。
「しかし、社会全体としての安全性を考えた場合、
一部の不安定要素は、調整される必要があります」
――調整。
直接的な言葉は、使われなかった。
廃止。
解体。
管理下移行。
どれも、口にされない。
代わりに、こう言われた。
「段階的な支援強化を検討しています」
支援。
聞こえは、いい。
「手順の標準化」
「判断支援AIの導入」
「安全確認プロセスの義務化」
それらはすべて、
“善意”として提示された。
説明が終わったあと、質問の時間が設けられた。
だが、誰もすぐには手を挙げなかった。
反論は、難しい。
数字は、正しい。
論理も、破綻していない。
ただ。
そこに、X地区の「感触」はなかった。
現場の空気。
人の勘。
曖昧だが、確かに機能していたもの。
それらは、どのグラフにも載っていない。
ようやく、ケンが口を開いた。
「それで、俺たちはどうなる?」
端末は、一瞬の間を置いた。
「現時点では、変更はありません」
即答だった。
「ただし、今後も同様の事例が確認された場合、
より強い管理措置が必要になる可能性があります」
――可能性。
それは、警告ではない。
だが、予告だった。
説明会は、静かに終わった。
帰り道。
誰かが言った。
「別に、悪いこと言われたわけじゃないよな」
「安全になるなら、いいんじゃないか」
反論は、少ない。
不安は、もっともだった。
説明は、丁寧だった。
社会は、正しい側にいる。
だからこそ。
X地区は、
「少し危うい存在」になった。
その夜。
悠真は、端末を見つめていた。
新しい通知。
[X地区:要観察区域]
ただ、それだけ。
行動制限もない。
指示もない。
だが。
“見られている”という事実が、
はっきりと刻まれていた。
自由は、まだ残っている。
だが。
それはもう、
無条件のものではなかった。
社会は、敵ではない。
社会は、合理的だ。
だから。
圧力は、
静かに、確実に、かかってくる。
悠真は、その重さを感じながら、
画面を閉じた。
選択の余地は、まだある。
だが、
その幅は、確実に狭くなっていた。




