No.008:自由の代償
X地区では、事故は珍しくない。
設備は古い。
手順は統一されていない。
判断は、それぞれに委ねられている。
それでも、致命的なことは起きてこなかった。
――これまでは。
異変に気づいたのは、昼過ぎだった。
「……水、出ない?」
誰かの声。
それが合図のように、ざわめきが広がる。
「こっちもだ」
「給水ライン、死んでるな」
中央の掲示端末に、エラー表示が浮かぶ。
[供給系統:停止]
[原因:不明]
悠真は、その表示を見つめていた。
胸の奥が、嫌な形でざわつく。
「……魔導晄炉じゃない」
電力は生きている。
照明も、端末も動いている。
問題は、水だった。
給水制御用の副系統。
あまり使われない、古いライン。
「誰か、昨日触ったか?」
返事はない。
触っていない。
だから、誰の責任でもない。
ケンが、遅れて現場に来た。
「詰まりか?」
「分からない。
数値も、警告も出てない」
覗き込んだ制御盤は、静かだった。
異常はない。
ただ、動いていない。
「……手動で切り替えるか」
誰かが言う。
「いや、待て」
ケンが止めた。
「ここ、力任せに触ると逆流する」
悠真は、そのやり取りを聞きながら、動けずにいた。
違和感は、あった。
でも――
確信ほど強くはなかった。
数値は正常。
挙動も、安定している。
あの時のような、
「今すぐ止めろ」という感覚はない。
だから、言えなかった。
結果的に。
復旧は、遅れた。
夕方になって、副系統の一部が完全に死んでいることが分かった。
古い管路が、内部で破断していた。
修理には、時間がかかる。
予備はない。
「今日は、断水だな」
誰かが言った。
責める調子ではなかった。
事実を受け取る声だった。
だが、その夜。
小さな事件が起きた。
畑区画で育てていた作物が、枯れた。
水を必要とする品種だった。
量は多くない。
だが、次の配給を補う予定だった分だ。
「……ダメか」
管理担当の老人が、静かに首を振った。
「明日じゃ、間に合わん」
誰も怒らなかった。
誰も叫ばなかった。
ただ、沈黙が落ちた。
悠真は、その場に立ち尽くしていた。
もし、あのとき。
もし、違和感を口にしていたら。
――いや。
それは、分からない。
結果論だ。
誰にも、責任はない。
自由だった。
だから、判断は個人に委ねられていた。
そして。
誰も、守ってくれなかった。
夜。
X地区は、いつもより暗く感じられた。
「落ち込むな」
ケンが、隣に座る。
「ここじゃ、よくある」
「……分かってます」
悠真は答えた。
だが、声は少しだけ重かった。
「自由ってのはな」
ケンは、空を見上げて言う。
「失敗しても、誰も代わりに謝ってくれない」
「でも、誰も代わりに決めてもくれない」
悠真は、何も言わなかった。
ただ、胸の奥で、何かが沈んでいくのを感じていた。
評価がない。
指示もない。
だから。
小さな損失は、
そのまま現実になる。
自由は、楽じゃない。
自由は、軽くない。
それを、
悠真は初めて、身体で理解した。
翌朝。
配給は、少し減った。
誰も文句を言わなかった。
ただ。
「自由であること」の重さだけが、
X地区に、静かに残った。




