トリオ
いつからこうなってしまったのか…。
俺は喫茶店のブックスタンドに立っていた角がボロボロになった音楽雑誌を古びたテーブルの上に投げ捨てる様に置いた。
汗をかいたアイスコーヒーのグラスの中で、小さくなった氷がクルクルと回っているのを見ながらタバコに火を点ける。
もうタバコの吸える喫茶店も多くは無い。
俺が知る限り、この喫茶店が無くなってしまえば、この界隈でエアコンの効いた場所でアイスコーヒーを飲みながら座ってタバコが吸える場所はもう無い。
俺は投げ出した雑誌を今一度手に取ると、友人の笠原が載っているページを開いた。
一端のジャズピアニストとして彼は雑誌の紙面を飾っていた。
笠原とは大学に入ってすぐに知り合い、旧校舎の端に追いやられたジャズ研究会の部室でいつも自分の好きな音楽を語っていた。
新校舎の二階の防音設備まである部屋は流行で倍以上に部員の増えた軽音楽部が占拠し、それまでその半分を使っていた俺たちは黴臭い旧校舎で捻くれていた。
あれから二十年。
雑誌の中の笠原は目の下にくまを作り、ある意味病的な表情で、視線を鍵盤に向けていた。
「笠原……」
俺は無意識に笠原の名を口にしていた。
ピアノを弾く笠原とベースを弾く俺、それにドラムを叩く鈴木。
俺たちはトリオで学祭やライブハウズ、時にはジャズの大会にも参加して、それなりに名の知れたバンドだった。
あの事件の日までは…。
部室とは名ばかりの汚い部屋で、ゴミ捨て場で拾って来た表面がひび割れた革張りのソファと日に焼けたテーブル、それにスチール製の机の一番下の段の大きな引き出しを外した吸い殻入れがそこには有り、先輩たちが置いて行ったバーボンのボトルが部屋の隅に並べられていた。
「今日は鈴木、遅いな……」
カラス窓を叩きつける雨が止む事も無く、不規則なリズムを作っている。
「何か、秋山先輩に呼ばれたって食堂で会った時は言ってたけどな」
俺は咥えタバコでコントラバスの弦を張りながら笠原に言う。
「秋山先輩……」
どうやらそれが引っ掛かった様だった。
笠原はピアノの前から立ち上がり、ソファに座る俺の傍に来た。
「お前、秋山先輩の話、聞いてるか」
「秋山先輩……。何かあったのか……」
俺は、弦を張り終えて、ソファの脇にコントラバスを立て掛けた。
笠原は俺に顔を近付けると小声で言う。
「あの人はヤバいぞ……。何か薬……、みたいなモン使ってるらしい」
俺は笠原の顔を見て、眉を寄せる。
「薬……」
「ああ、この間一緒にライブやった女子大の子、その被害に遭ったらしいって噂だ」
笠原はテーブルの上に置いたバーボンをストレートのまま口にして顔を顰めた。
「噂だろう……。そんなモン。大学生がそんな薬なんて……」
「でも火の無い所に……って言うだろう……」
笠原はテーブルの上に投げたしていたタバコの包みを取ると、オイルライターで火を点けて、紫の煙を吐いた。
俺たちの部室には酒とタバコの匂いが薄く開けられた雨の気配を含んだ風に煽られていた。
俺はそんな笠原を見て、脇に立てたコントラバスを手に取り、練習中の曲のベースラインを指で弾いた。
燃え尽きそうになっていたタバコの灰が油を敷いた床に落ち、俺は慌てて、テーブルの横に置いてあるスチール製の引き出しの吸い殻入れにそれを放り込んだ。
笠原もバーボンのグラスを手にピアノの前に戻った。
そして静かに笠原のピアノは旋律を鳴らし始めた。
それはそれに合わせて心地良くベースを漂わせ始める。
突然部室のドアが大きな音を立てて開き、その向こうには雨でずぶ濡れになった鈴木が立っていた。
「鈴木……。遅かったな……」
俺は顔を上げて鈴木を見た。
しかし、その鈴木の表情はいつもと違い険しい事に気付く。
俺と笠原は立ち上がり、入口に立つ鈴木に近寄る。
「どうしたんだ……」
笠原はテーブルの上に置いてあったタオルを取り鈴木に渡すが、鈴木は滴る雨水を拭こうともせずに肩で息をしていた。
そしてそのままソファへフラフラと歩き、腰を落とした。
「何かあったのか……」
俺は鈴木が握るタオルを手に取り、濡れた彼の頭を荒々しく拭いた。
笠原は伏せてあったグラスを取り、そのグラスにバーボンを注ぎ、鈴木に渡す。
鈴木はそのバーボンを殆ど一気に飲み干して、ソファに身体を沈める様に座り直した。
「……が、刺さ……た」
俺にも笠原にもその鈴木の声が良く聞き取れず、少し身を乗り出す。
「秋山先輩が刺された……」
確かにそう聞こえた。
俺と笠原は顔を見合わせて、今一度鈴木を見た。
鈴木は自分でバーボンのボトルを取り、空になったグラスに注ぐと、また一気に飲み干した。
落ち着いて来た鈴木は、俯きながらゆっくりと話を始める。
どうやら秋山先輩が薬を使っていたのは事実の様で、先日、一緒にライブをやった女子大の女に薬を盛ってレイプしたらしい。
その女が会いたいと言って来たので、友達も連れて来いと秋山は言い、「今日もやれる」と意気込んで待ち合わせ場所に向かった。
鈴木もそれに誘われた様だった。
しかし、待ち合わせ場所には彼女一人しかおらず、しかも、のこのこと現れた秋山はその女に刺されてしまったらしく、その場は騒然となってしまったと鈴木は言う。
「俺、知らなかったんだよ……。女に会いに行く途中で秋山先輩に聞かされて……。やばいと思ったんだけどさ……。俺、俺……」
俺と笠原はタバコを咥えたまま、黙り込んでいた。
どうしたら良いのかわからず、思考回路は完全に停止していた。
すると部室のドアをノックする音が聞こえた。
「はい……」
笠原が立ち上がりドアを開けると、そこには二人の男が立っていた。
「何でしょう……」
笠原がそう言うと二人の男は警察手帳を出して、ソファに座る鈴木をじっと見ていた。
「すみませんね……。そこの鈴木さんにちょっと……」
二人の男は部室の中に入って来て、項垂れる鈴木の前に立つ。
「鈴木正隆君だね……」
鈴木はコクリと頷く。
「とりあえず一緒に来てくれるかな」
男に支えられながら鈴木はゆっくりと立ち上がった。
そして引き摺られる様に部室を出て行く。
一人の男が振り返り、俺たちを見て、
「事情を訊くだけだから……」
そう言うとドアを閉めた。
俺と笠原はその場にどのくらい立ち尽くしていたかわからなかった。
翌日、ジャズ研究会の部室には多くの警察が入り、捜索された。
使っていなかったドラムの中や、ウッドベースの中から大量の薬が発見され、俺たちも警察に出頭させられた。
蓋を開けてみると知らなかったのは俺たち数名で、先輩たちを中心に多くの部員がそれに加担していた。
勿論、ジャズ研究会は廃部となり、大学始まって以来の大事件になった。
俺と笠原はその後、ジャズバーなどでプレイしていたが、しっくりと行かず、俺は一人ベースを辞めた。
鈴木とも疎遠になり、彼は少し遅れて卒業した様だった。
ジャズバーでピアノを弾き続けていた笠原だけが、その道で飯を食っている事がわかったのも、この雑誌を見たからだった。
俺は薄くなったアイスコーヒーを飲み干して席を立つ。
「今日はもう帰るのかい……」
白い髭を蓄えたマスターが俺を見て微笑む。
「ああ、久しぶりにマイルス・デイヴィスでも聴いてみようと思ってね」
俺はそう言うとポケットに手を入れて店を出た。
外に出ると小雨が降っていて、俺は肩を濡らしながら、すえた臭いの街を歩いた。
この街も変わったな……。
目の中に落ちて来る小雨を見ながら俺は、その路地の真ん中で立ち止まる。
いや、変わっててしまったのは俺の方か……。
俺はおかしくなり、周囲を見渡しながら微笑んだ。
その路地を曲がると、昔何度か笠原と鈴木と一緒にステージに立った事のあるジャズバーがあった。
薄汚れた階段を下りてタバコの煙で目が沁みる程の汚れた空気が充満した空間。
当時の俺たちはそれこそがジャズの為の場所だと豪語し、咥えタバコで酒を飲みながらプレイした。
まだ、あったのか……。
懐かしく思い、その店の階段の前に立つ。
「覗いてみるか……」
そう呟いて、俺はその階段を下りた。
マスターの拘りで金をかけた大きな木のドアが時間を止めたままそこにあった。
俺はその重いドアを開ける。
そして、あの頃と何も変わらないその空間を覗き込んだ。
薄く開けたドアの隙間を擦り抜ける様に中に入り、薄暗いそのジャズバーを見渡す。
「すみません。まだ営業時間前なのですが……」
そんな声がして俺は振り返る。
大事そうに二本のボトルを抱えた白髪のマスターが立っていた。
「おや、懐かしい顔だね……」
マスターは俺の横を通り、カウンターの中に入り、抱えていたボトルをカウンターの上に立てた。
「久しぶりだね。少し早いが、おまけしておくよ。どうぞ」
マスターは自分の前の椅子を指差した。
俺はマスターに頭を下げて、その椅子に座る。
「すまんがもうノアーズミルは入手し辛くなってね。今は置いてないんだ」
当時俺が好んで飲んでいたバーボンをマスターは覚えてくれていた。
「はい、知ってます。高くもなりましたしね」
俺は上着のポケットからタバコを出し、カウンターの上に出した。
昔と変わらずマスターは銅製の灰皿を俺の前に出した。
マスターは磨いたグラスを俺の前に置き、一本のボトルを立てた。
「ボブ・ディランは好きかな……」
マスターはそのボトルのコルクを心地良い音と共に開けて、グラスに注いだ。
「ディランの前ではジャズだのフォークだのロックだのというカテゴリーは無い。神に捧げるモノと言う意味では全てが同じなのだろうね」
マスターは俺の前にそっとグラスを差し出す。
「ヘブンズドアのリバイバルだ。きっと気に入ると思うが」
俺は微笑んで、そのグラスを手に取った。
「ありがとうございます」
マスターはニッコリと笑うと、
「このバーボンはディランが企画に加わったそうだ。彼の拘りが詰まったボトルだよ」
そう言ってタバコを咥えた。
「笠原君だったかな……」
俺はその言葉に顔を上げた。
マスターは微笑んで、
「彼はたまに来てくれるよ。この先のホールなんかでプレイしている様だしね」
マスターは何気なく俺の事を覚えているのではなく、笠原とプレイしていた事も覚えているのだろう。
勿論、鈴木の事も。
「君は辞めてしまったのかな……」
俺はそのマスターの言葉にグラスを止めて、小さく何度か頷いた。
「ええ……」
「そうか。良いプレイをしていた記憶があるんだがな……。残念だな」
俺は苦笑してヘブンズドアを口にした。
少しスモーキーな酒を俺は口の中で転がす様に飲んだ。
三人で演奏出来なければ意味が無い。
あの頃俺はそう言ってベースを辞めた。
若気の至りなのかもしれない。
そうやって楽器を置く事が美学だったのかもしれない。
そう、言わば俺は逃げたのだった。
風の噂に鈴木は楽器メーカーで働いていると聞いた事があった。
音楽から完全に離れてしまったのは俺だけだった。
どんな演奏を聴いてもしっくりと来ず、それを鼻で笑って小馬鹿にして生きて来た。
まだ俺たち三人の方が上手く演奏出来る。
そんな妄想をずっと抱いて生きて来た。
もうその楽器さえも手元には無い癖に……。
あの頃、指先に作っていたタコも完全に消えて、今ではベースが弾けるかどうかもわからない。
そんな自分が映るボトルを見て俺はまた苦笑した。
マスターの独特なタバコの香りが漂って来る。
その香りは昔から同じだった。
このバーで俺と笠原と鈴木の三人で前後不覚になるまで酒を飲み、音楽を語っていたあの頃を思い出す。
「だからさ、あそこは一拍置いてから入ると深みが増すんだよ」
「何言ってんだよ。別にピアノソロに入る訳じゃないんだよ。それならベースに余韻を持たせるのが正解だろうが」
「うるせえよ、お前らは……。酒が不味くなる」
俺たちはそんなミュージシャンぶった会話をしながら、バーのカウンターで音楽論の様な会話をしていた。
「わかったから、他の客に迷惑だろうが……」
と、若き日のマスターが俺たちの空になったグラスに酒を注いでくれた。
それでヒートアップした俺たちが黙る事を知っていたのだろう。
「懐かしいな……。いつもあのカウンターの端で三人で騒いでたな」
マスターはタバコを消して、カウンターに両手を突いてそう言う。
「ええ……。若かったんですね。俺たちも」
マスターは微笑み俺に頷く。
「若さか……。どれだけ金があってもそれは買えないモンだ。どんな過去でもいい思い出だろう……」
マスターは手を洗ってグラスを磨き始める。
「そうですね……」
俺は俯いてそう言った。
その時、バーの入口に付けられたカウベルが鳴った。
マスターはドアの方を見ると、
「おお……。いらっしゃい」
と言い、俺の肩を叩いた。
俺も顔を上げて、入口の方を見た。
そこには笠原が立っていた。
「笠原……」
久しぶりの再会だった。
俺は彼の事をさっき雑誌で見た所だったが、もう二十数年ぶりの再会だった。
笠原も俺を見て騒ぐでもなく、昨日も会ってたかの様に手を挙げた。
「久しぶりだな……」
笠原は俺の横に座りながらそう言う。
俺もグラスを手に持って小さく頷いた。
「マスター。俺にも同じモノを」
笠原はそう言うとカウンターに肘を突いて俺を見た。
「おいおい、良いのか……。今日も演奏あるんだろう」
マスターは笠原の顔を覗き込む様に見ながら言う。
「ああ、少しアルコール入れるくらいの方が指が動くんだよ……」
笠原の言葉にマスターは苦笑しながら、ヘブンズドアをグラスに注いだ。
そしてそのグラスを笠原の前に置いた。
「失敗してもうちで飲んだって言うなよ」
マスターはカウンターを指先でトントンと叩いてそう言う。
「わかってるよ……」
そう言って笠原はグラスに手を伸ばした。
その手が震えているのが俺には見えた。
そして、俺はその笠原の手首を掴んだ。
「笠原、お前……」
笠原は俺の手を払い除ける様にして、グラスを手にすると殆ど一気にその酒を飲み干した。
そして息を吐くと、
「お前の言いたい事はわかる……」
そう言って、空になったグラスをマスターの前に出した。
「マスター、もう一杯くれ」
「大丈夫なのか……」
マスターは眉を寄せながらそのグラスに酒を注いだ。
俺も酒を飲んで、視線をカウンターに落とした。
マスターはタバコに火をつけて、カウンターを照らす光に煙を漂わせる。
笠原はカウンターの上の俺のタバコを見て、
「一本くれないか……」
と言いながら手を伸ばした。
俺は黙って頷く。
「タバコは止めたんじゃなかったのかい」
マスターはグラスを出して、俺の前に置いた。
「私ももらって良いかな」
俺は無言でマスターに微笑んだ。
「たまには吸いたい事もあるさ……。旧友に再会した時には特にね……」
笠原は震える手でタバコに火をつけていた。
アルコール依存症。
ミュージシャンの多くがそれを患ってしまう。
昔のミュージシャンは多く患っていたと言うが、現代でもそれは同じで、多くのプレッシャーから逃れるために酒に溺れてしまう。
それだけならまだ良い方で、それに飽き足らず薬に手を出してしまうミュージシャンも多くいる。
ようやくタバコに火がついた笠原は、急ぐ様にタバコを吸い始めた。
「何か……おっかなくてよ。いや、演奏が始まってしまうと平気なんだよ。だけど、演奏が始まるまでのこの時間がな……」
マスターは笠原の言葉から目を背ける様に、ボトルを棚から取り磨き始めた。
笠原はまだ長いタバコを折る様に灰皿で消した。
俺は笠原の左手を掴んで、シャツを捲った。
そこには明らかに注射痕が残っていた。
「お前……」
笠原はその腕を隠す様にシャツを元に戻した。
「最初は軽い気持ちだったんだ……」
小さなその声はBGMで流れるジャズの音にもかき消されそうだった。
マスターのタバコから漂う甘い香りが俺と笠原の間を擦り抜け、その距離を広げていく様にも思えた。
「秋山先輩……、覚えてるか」
勿論忘れもしない。
俺たちトリオを壊した張本人だ。
「秋山先輩がさ。俺の演奏を聴きに来ててよ……。久しぶりだったんで、一緒に飯を食いに行って、酒を飲んだんだよ」
俺は黙って酒を呷った。
「プレッシャーで圧し潰されそうだって話をしたんだよ……。そしたら良いモノが有るって、くれたんだ……」
笠原の声は徐々に大きくなって行った。
「最初は魔法の薬だと思ったよ。手の震えも無くなって、考えてる事の幾つも上を行く演奏が出来るんだよ」
俺の腕を掴んで、笠原の声はヒートアップして行く。
そして、突然正面を見て顔を伏せた。
「でもよ……。それもどんどん効かなくなって来てよ……。量が増えて」
俺は笠原を見ずに溜息を吐いた。
「止められないんだよ……」
そう言って笠原はカウンターを拳で叩いた。
「助けてくれよ……」
笠原はそう言うとカウンターに伏せて泣き始めた。
マスターは俺を見て、首を横に振った。
俺は小さく頷いた。
気が付くと笠原はカウンターに伏せて眠ってしまっていた。
「寝ちまったか……。こんなんで演奏出来るのか……」
マスターは俺のグラスに酒を注ぎながら呟く。
「秋山ってのはこの辺りの半グレを仕切っている……。この辺りに蔓延する薬はその秋山が流しているって噂だ……。彼も金蔓にされたんだろうな……」
俺は唇に酒を付けると舐める様に飲んだ。
「マスターは知ってたんですか……」
俺は笠原を見ながら訊いた。
「一昨年の暮れくらいからかな……。多分、その頃からだな。本当は会わせたくなかったが……」
俺はじっとマスターの顔を見た。
「思い出ってのは綺麗なままって訳にはいかないんですね……」
俺はそう言ってカウンターの上に金を置いた。
俺は音楽を辞めた後、酒とギャンブルに溺れた。
ある日、街の雀荘でこっ酷く負けて一緒に卓を囲んでいたヤクザに半殺しにされた。
そしてそのままそのヤクザの舎弟として働く事になった。
働くという言葉が正しいかどうかわからないが。
そしてその兄貴分が刑務所に入り、俺は兄貴分の凌ぎを引き継いで、今の地位まで上った。
そして自分の組のシマで薬を捌いている奴らをようやく見つけた。
大学時代からの因縁の秋山だった。
しかも、トリオで一緒に演奏していた笠原を薬漬けにしていた。
俺は秋山に鈴木と笠原の二人を奪われた事になる。
俺は秋山が居るというビルの前に立つ。
古い雑居ビルで、そのビルの二階に秋山は居るとマスターは言っていた。
薄暗い階段を上り、俺はそのドアを蹴り開けた。
「何だ、お前……」
威勢の良い数人の男が俺の前に立った。
「秋山は何処だ……」
俺はそう言うと、傍に立掛けてあった木刀を手にした。
俺はフラフラと笠原が演奏するホールへと入り、席に座った。
開演直前で、俺が座ると直ぐに幕が上がった。
笠原が来てないんじゃないかと心配だったが、スポットライトに照らされたステージのピアノの前には、ちゃんと笠原の姿があった。
俺はその姿を見て微笑んだ。
演奏が始まる。
フライミー・トゥ・ザ・ムーン
笠原が軽快に鍵盤を叩く。
上手くアレンジされたその曲は自然と俺を笑顔にした。
何だ、ちゃんとやれてるじゃないか……。
俺はじっと笠原を見つめる。
「貴様……」
秋山の事務所の大半を一人で倒した俺は、奥の部屋に居た秋山と対峙した。
「久しぶりだな……。先輩」
俺はそう言うと秋山の腕に木刀を振り下ろした。
骨の折れる音が秋山の叫び声と共に響く。
そして容赦なく、倒れた秋山の頭に何度も何度も木刀を振り下ろした。
身体を小刻みに震わせながら、秋山は息絶えて行った……。
俺は秋山の事務所を出て、雑居ビルの外でタバコに火をつけ、煙を吐いた。
その時、俺の背中に尖った痛みが走った。
若い男が俺の背中に短刀を突き立てていた。
俺はその男に微笑むと、震える男からナイフを奪い、男の胸にその短刀を突き立てた。
俺は足元に溜まる血を見ながら夢を見ていた。
「なあ、そこはこうじゃないか」
笠原は手垢で黄ばんだ鍵盤に指を落した。
「何言ってんだよ、こうだろ…」
鈴木は二重にしたシンバルを叩きながら笑っている。
「勝手な事言うなよ。これで良いんだよ」




