8 散歩
私のニュースアプリの楽しみ方は、人とは少し、違っているかもしれない。気になったニュースを読むのは当たり前なのだが、その他にも、興味のないものがどのくらいあるかを確かめたくなってしまうのだ。
興味があることが多ければ、なんとなく、社会と自分の嗜好がマッチしている気がする。興味のないものが多かったのなら、自分は社会から弾き出されてしまったのかと、ちょっぴりのセンチメンタルを感じてアプリを閉じる。
偶にタイトルを見て気になって読んでみたら、記事の内容がなんとも薄くて、興味が満たされないこともある。そんな時は、関連する記事を探してスクロール。
所詮、私にとってニュースは暇つぶしなのだろう。その記事が自身の現実に侵食してくるまで、きっと、私はそう思うに違いない。
ニュースアプリの記事の中に、彼の国の情報はなかった。直接的な交易があるわけではない異世界なのだから、記事がない事自体は、おかしなことではない。
けれど、尚更自身に降り注いでいる問題が、現実離れしているように感じていまう。
「本当に、お父様もお兄様も亡くなったのかなぁ」
ソファーの背もたれに、自身の体重を預けて天井を向く。ライトに光は灯っていないが、つい先程まではついていたような気がして、私は静かに息を吐いた。
キッチンに出て、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。水道には浄水器が付いていて、水道水でも美味しく頂けるのだが、ローリングストックをしているために、こうして偶にミネラルウォーターが冷蔵庫に入っていることがある。
マメな人だなぁ、と感心しながら半分ほど残っていたものを飲み干すと、空のペットボトルを片付けた。
このミネラルウォーターを開封したのは、未明の頃だったか。その頃に明かりを消して眠りについたのだけど、気が付けば昼も近い時刻だった。散々悩んでいる割に、しっかり眠るんだなぁ、と感心したものだ。
ナルの姿はどこにもなかった。おそらく買い物に出ているのだろう。広い家に、たった一人だけの時間。子供であればワクワクしただろうか。それとも、不安で一杯になるだろうか。私は、前者だった。
「たまには、廊下でボウリングでもしようかなぁ」
ペットボトルを片付けなければよかったな。そう思いながら、ラキの玩具でも借りようと、エレベーターホールまで移動する。
用事があったのは、お互い様であったらしい。
サンダルを履いてエレベーターホールに出ると、待ち構えていたようにラキが立ちはだかった。口には束ねられた紐が咥えられており、ポトッと目の前に落とされる。
リードであった。
「散歩に行きたいの?」
返事は元気だ。毎朝ナルが散歩に連れ出している筈なのだが、今日はまだまだ動き足りなかったのだろうか。仕方がないと、待つように声をかけ、部屋まで戻って身支度をする。
デニムのパンツにオーバーサイズのTシャツ。洒落っ気はないが、個人的にはこのような格好がデフォルトだ。たまにスカートを履いて出かけると、なんとも奇妙なことが起こる割合が高い。
ユニコーンが電車の中で吊り革と戯れていたり、公園でケルベロスがジャングルジムの上に鎮座していたり。
「入国管理はどうなってるんだろうなぁ」
たまに気になることはあるが、彼らは別に、悪いことをしているわけではない。自身がいた世界を離れることで、新たな楽しみに目覚めることもあるのだろう。
ブーツを履いて、変哲もない散歩道でありますように、と願いながら家を出た。
マンションを出て、正面の道路を道なりに歩く。駅は南。向かうのは北。十分ほど歩くと川があるので、流れを遡るようにして堤防を歩く。夏休みの小学生だろうか。何人かの子供が集まって、水鉄砲で遊んでいる。
たまに私が散歩をする際、すれ違うことのある女性が何人かいて、こちらに向けて手を振っていた。子供がいたのだろうか。それとも、近所に住んでもいるから、見守っているだけなのか。気になりつつも、手を振り返してそのまま進む。
水深は浅く、川幅もそこまで広くはない。大雨の際には増水することもあるが、今年は今のところ穏やかだ。
いくつかの橋を通り過ぎると、左手に公園が見えてくる。今日は、ケルベロスは居ないらしい。
「寄ってく?」
ラキの返事はノー。立ち止まったものの、見向きもせずに歩き出す。夏場は川で遊ぶことも多いと、ナルに聞いていたのだけど……、今日のラキは随分とクールだ。
少し歩いた先で、駄菓子屋に立ち寄る。ここには犬が水を飲めるように、店先に皿が置かれている。自動販売機で水を買って皿に注ぎ、残りは自分が飲んだ。
「あらまぁ、ミクリィちゃんが散歩とは珍しい。子供の頃以来かねぇ」
「おばちゃん、久しぶり。まだまだ動き足りないみたい」
水を飲む犬に気が付いたのだろう。店番をしていた老婆が近寄ってきた。子供の頃から利用している駄菓子屋のため、彼女のことはよく知っているのだが……。
「相変わらず、見た目が変わりませんね」
「永遠の七十代じゃからの」
もともと駄菓子屋を営んでいた夫婦が高齢で引退をしたため、異世界からやって来た彼女が引き継いだのだ。彼女の姿は、その夫婦の奥様の姿である。
「しかし、今朝も元気に散歩をしておったのにのぅ。もしかしたら、家にいたくなかったのかもしれんな」
「危険でも察知したんですかね? だとしたらラッキーだったなぁ。ナルも買い物に出ていたんです。帰ってくるのは昼過ぎですかね。昼食を買ってくるでしょうし」
そう考えると、なんだか嫌な予感がしてくる。
水を飲み終わり、駄菓子屋で買ったガムを噛みながら散歩を続ける。少し意識して周囲を確認してみるけれど、特に何の異常もない。ラキも、周囲を警戒している様子はない。
気の所為だったのだろうか。散歩道は川から離れ、路地の方へと入っていく。
川の流れは斜めに走っているが、基本的にはこの住宅街は碁盤の目のようになっている。だから、あと一つ角を曲がれば、私達が暮らすマンションの近くまで一直線だ。この後の寄り道スポットと言えば、ゲートボール場があるくらいか。ボールドッグよろしくボールを運ぶラキは、みんなのアイドルのようだとナルは語っていた。
「あれ、どうしたんです、こんなところで」
反対側の白線の外を、見知った顔が歩いてきたのが見えたので、思わず声を掛ける。カララギだ。
「ちょっとオババ様に会い」
「オババ様?」
「あー、駄菓子屋の人。物知りな人なんだよ。ちょっと意見を聞こうとね」
「車はどうしたんです?」
「この辺の駐車料金は高いからね」
どこも同じだと思うけどなぁ、と曖昧に笑う。
この町、と一括りに言っても、環状に延びる鉄道の駅に合わせて、十二の町が存在するのだ。それぞれ干支の名を冠する駅をそのまま町名にしていて、ここは巳駅町。比較的高級住宅街ではあるが、隣の辰駅町からはランクが落ちる。
「まぁ、駄菓子屋まではそんなに道も広くないですし、車だと不便かもしれませんね」
「川を渡れば走りやすい道が続くんだけどね。駅近ってやつは、本当に」
徒歩十分を超えてもなお、駅近と表現されているのは、それだけに歩くのを気にした人が多いからだ。武闘派が多いとも言い表すこともできる。
駅近がすべて道が狭いわけではないだろうが、ヘビの名を冠するだけあって、このあたりの道は狭い。だからこそ、安心して犬を散歩させられるのだけど。
「でも、こうして会えてよかった」
「ロマンチックな物言いだね。運命を感じたかい? 夢で見たとか、テレビの占いで暗示されていたとか」
「占いとか、信じているんですか?」
「信じる信じない、という話ではないだろう。占いというのは、道路標識と同じだろう? まっすぐ進めと言われたら、そりゃ、進まなきゃ気持ちが悪い。左折禁止と書かれた標識を、無視するバカはいないさ」
「それ、信じてるってことですよね」
「認識の違いだ。占いの結果で、犯罪を犯せ、なんて指示はないだろう? 従って悪いことにならないのなら、従わないだけ損じゃないか」
「でも、頼り切りになってしまったら駄目でしょう?」
「依存するほどの成功体験は、裏に怪しい影を見てしまうからね。詐欺師と占い師で共通することは何だと思う?」
「指示すること?」
「いいや、マニュアルがあることさ。そうするべきだという統計。手相なんかだと分かりやすいかな。皺の形とその人の人生。それらを照らし合わせて導き出している。詐欺だってそうさ。過去の成功体験を元に、この人ならこう誘う方が効率的だと導き出す。どちらも歴史によって成り立つものなのさ」
「占いの悪口を言ってます?」
「表裏一体と言っているのさ」
本当に、個人の感想をもっともらしく言う人だ。それを面白がっている私も、同じ穴の狢、なのかもしれないが。
「それよりも先生、煙草を一本くださらない? そこのゲートボール場に、灰皿があるんです」
「あぁ、それは確かに運命だ」
分煙が叫ばれて久しいこのご時世で、偶然そのスポットに知り合いの喫煙者が現れたのだから、これを運命と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。
アイドル犬の姿を確認しつつ、私は一服した後、帰路についた。何事もない、穏やかな帰路を。




