6 それは滅茶苦茶な
今日は、とても太陽の頑張っている日である。風もほとんどなく、纏う衣もないほどの晴天。この日差しの中では、運動をする気も起きないだろう。出来る運動といえば、日陰を求めて彷徨うこと、か。
「こんな日に限って、日傘を忘れるんだもんなぁ」
いつもは鞄の中に入れている日傘は、現在手元にはない。何故かといえば、ほんの少し、遊びが過ぎたから、と言えるだろうか。
我が家の愛犬、ラキに芸を仕込もうと、鞄の中から指示したものを取り出せるように教えていたのだ。何度も指をさして、実際に咥えさせ、ひとまず別の場所に隠して取りに行かせる、なんてこともした。
そう、その結果、鞄に仕舞い忘れて現在に至る。
今頃ラキは、その日傘を玩具にしているのだろうか。
日差しから逃れるように、校舎へと入る。今日は特に受けたい講義はなかったのだが、昨日、ついに読むことのできなかった小説が気になってしまい、こうして足を運ぶことにしたのだ。
一体どのようなトリックが繰り広げられるのだろうか。そもそも、別段トリックなどはない、文章自体に様々な仕掛けが施されているのか。ファンタジーと称されたことも気にかかる。
廊下を歩きながらも、頭の中は未知なるものへの想像力で満たされていた。
子供のように、ワクワクと想像をする自分。自分を楽しませる存在を今か今かと待ち構える自分。それを冷めた視線で見つめる自分。
少し、頭痛がした。
大人になったからだろうか。二十歳を超えて一年ほどしか経ってない若造のくせに、そう言い切るのは薄ら寒くも思えてしまうが、成人と言うのだから、大人と言っても差し支えないだろう。
子供の頃に、漠然と想像していた大人像。それには到底及んでもいないだろうが、その時の想像のことを考えても、どこか、別の思考が働いている気配を感じる。落ち着かない。それが溜まりに溜まると発散したくなってきて……。一本頂戴、となるわけだ。
自分でもよく分からない。けれど、これが煙草を吸うようになった原因である。なにか、自分でも分からない感情が渦巻いている。安寧、憧れ、嘲笑。ともすれば、それらは愛情へと繋がっている。
意味が分からない。けれど、愛情を持っているからこそ、それらの感情は悪いものではないと理解している。
自分の知らない何かがある。それを、自分は感じ取っているのだ。
気が付けば立ち止まっていた。窓ガラスの向こうには広々とした広場が見える。青々とした芝生が太陽に照らされ、眩しくて目を背けてしまうたくなるほどだ。
――それでは抽選会を始めます!
――代表者は前へ!
ガラスが揺れるのを錯覚するほど、拡声器により肥大した声が響く。
そうか、今日は学園祭における出店場所を決める日だったか。この日差しは、九月を超えても続くだろう。そんな開催日に広場なんかに放り出されては、地獄を見るのは目に見えている。人気は、解放される教室に集中すると見た。
しかし、ただのくじ引きだというのに、どうしてあんなにも盛り上がっているのだろうか。私には、いまいち理解しづらいところがあるのだが、まぁ、友達と楽しいひとときを過ごしたい、という気持ちは分かる。その範囲の広さは、人によって異なるのだ。羨ましいという気持ちも、多少はある。けれど、このスタンスも、それはそれで心地よい。
「こんなところで、どうしました?」
振り返ると、そこにはとてもユニークな見た目をした人物が居た。第一印象としては、太っている、だろうか。しかしそれは、彼が人間であれば、の話だ。
ファンタジー学園富士キャンパスに居を構える、学園長のラタタ。彼は豚の頭を持った種族であり、無論、この世界から見て異世界の人物だ。
普段は此処と、北海道にあるキャンパスをと行ったり来たりしているために、目撃するのも稀ではあるのだが、二校で学園祭が行われる時期がズレているため、こうしねこの地に留まっているのだろう。祭りの開催は、彼の掛け声で幕を開けるのだ。
「お久しぶりですね、学園長」
「本当に。君が子供の頃は先生の家でよく顔を合わせたものだ」
先生とは私の後見人をされている人物のことで、学園の設立にも大きく関わっている人物だ。カララギがここで教授職に就いているのも、まぁ、遠慮せずに言えばコネである。
「入学してからは、ほとんど会わなくなりましたね。お忙しいのでしょう?」
「まぁ、趣味のようなものです。日本で暮らすのは心地よいですからね。元の世界にいたら、私などは討伐されるのが落ち。こうして逃げ延びた先で職を得たのですから、先生には感謝してもし尽くせません」
「あの方は、そういうものに興味はないと思いますよ? 好奇心の塊ですから」
「確かに。豚人間がどこまで出来るか、面白がっているのでしょうな」
はははっ、と豪快に笑う顔は、優しげで癒やされるものがある。これが魔物として恐れられてきたのだから、世界が変われば人も変わるのだろう。
ほんの少し、見習いたい気持ちが湧いた。
「ところで、近々王位を継ぐこと聞いたのですが、本当ですかな?」
「……誰から聞いたんです? ナルは、言うはずないですよね」
「ええ。大臣を名乗る人物が、先日現れましてな。彼の国には直接的なパイプはないので、今のところ確認が取れていませんが……、事実で?」
「さぁ、ナルが問い合わせているようですけど、なかなかどうにも……」
「まぁ、君たちの立場を考えると、気軽に連絡が取れるものでもないか」
まさにその通りである。一応、生贄の代わりとして世界から追放されている立場であるのだから、基本的には連絡は取れない。ごく偶に、娘を捨てるのを忍びなく思った親バカな王が、視察と称して会いに来るくらいなのだ。
だから、基本的にこちらから連絡を取るのは難しい。連絡を取れることが民に知られたら、追放した意味がないと追及されるかもしれないから。
ナルが行っているのは、かなり回りくどい方法。彼の国へ観光へ行った人に調べてもらうという、いわゆるスパイのようなものだ。
「……もしも、それが真実として、だ。仮に君が王に、女王になるのだったら、少し頼みたいことがあるのだがね」
「コーヒーの一杯でもあれば、話くらいは聞きますよ」
それは良かったと、安堵のため息も共に学園長室へと案内された。小学生の頃だったか、誕生月の生徒を集めて開かれた食事会で訪れて以来だろうか。
それなりの空間を隔てて、立派なデスクと革張りの椅子が置かれていた。右側の壁にある扉の先が、応接室らしい。
二人掛けのソファーが二つ、対面に置かれている。壁際にはコーヒーメーカー。
「秘密基地、みたいですね」
「実際そうだよ。ここに客を招くなんて殆どない」
「じゃあ、誰とコーヒーを楽しむんです?」
「大人の付き合い、と言えばいいかな?」
「男の愉しみ、と仰っしゃればいいのに」
「それは勘違いだ。よく見たまえ」
太い指が向けられたのは、ソファーに挟まれたテーブルだった。よく見ると、その形は正方形をしている。そして、ガラスの板が乗っているだけ?
「ソファーはカモフラージュだ。隅に四脚の椅子があるだろう? そして、このテーブルのガラス板を外して、上へと持ち上げると――」
「あ、麻雀卓」
「そう。大人の付き合い、だよ」
「なるほど。なら尚更、秘密にしたほうがよろしいですね」
「それも勘違いだ。これは遊び。息抜きだ」
「はいはい」
「ふぅ。こういうものを信じさせるのは、本当に難しいものだ」
やっていないことを証明するのは、いつだって難しいものだ。例えば夏休みの宿題を本当に家に忘れてきたとしても、やっていないだけなのではないかと疑われてしまう。次の日に持ってきたとしても、一日で終わらせただけではないかと疑われる。本当に、期間中に終わらせていたのだとしても、その証明は難しい。
私は常々、家まで取りに来てくれないかと思っていたくらいだ。やたらと多い宿題を、学校へ持っていくのは本当に面倒だった。
「それで、頼み事ってなんですか?」
研究室で飲むものとは、少し違った味わいのコーヒーを楽しみつつ、本題に入る。
「私はね、常々思っていたことがある。富士山キャンパスと北海道キャンパスにはね、学園祭において大きな格差があるのだよ。知っているかね? 北海道キャンパスの学園祭がいつ行われているのかを」
「十二月ですよね。師走によくやるなぁ、と思っています」
「そう、十二月だ。けれどね、それは、ある思惑があってのことなのだよ。雪の時期には、雪山を求めて世界中から客がやって来る。いわゆるインバウンドだね。冬の北海道は特に人気であるから、そういった層をも取り込もうと、そういう時期に行っているのだ」
「なるほど。では、富士山キャンパスでは夏に行われているのは、夏山登山の客を取り込もうと?」
「その通り。この辺りのシーズンに関わる観光資源は、そのくらいしかないからね。海沿いとのアクセスは良いのだが、空港とは方向が違うために長距離客は呼び込み辛い」
話が面倒な方へと傾いていくのを感じる。
「つまり、何が言いたいんです?」
「君には是非、王となって学園祭に参加してもらいたい。それで、もしも決めかねているというのなら、君が決断を下すまで、学園祭は延期しようと思う。まさに、祭りをしようじゃないか、という話なのだ」
はぁ……。あんな光景、窓から見るんじゃなかった。




