5 始まりの予兆
翌日。私は研究室を訪れていた。
研究室と言っても、実験器具などが置かれた物とは違い、パソコンに向かい合って資料とにらめっこをする人たちが集まっている場所だ。
五台のパソコンが並び、五人の人物が向き合っている。忙しなく指が動き、何らかのデータを入力している。とても集中しているのだろう。私が入ってきたことに、気が付いたものはいなかった。
不用心だなぁ、と思いつつも、ここがどんな学園なのかを忘れてはならない。いくらインテリぶってキーボードを叩いていたって、一度不審者を前にすれば、どんな魔法が飛び出すのやら。
「おー、怖い怖い」
無意味に口に出た冗談も、誰も拾ってはくれなかった。
長方形に奥へと伸びた研究室の右手には、ここの主である教授の部屋がある。私は軽くノックをしたが、返事を確かめるよりも早く、空いたドアの隙間にその身体をねじ込んだ。
「相変わらず、殆ど開かないドアですね」
入り口のドアは、床に置かれた段ボールによってその性能をほとんど発揮できていなかった。だから、私は狭い隙間に入り込むように、身体を押し込まなければ身ならないのだ。身体の出っ張り次第では、無駄な労力を使わなければならなくなるだろう。
そう言えば、と研究室にいた五人の姿をそれぞれ思い浮かべる。太った人は見当たらなかった。
「資料は溜まる一方だからね。君が頻繁に来ないのが悪い」
長い前髪から覗く細い目が、僅かに私を捉えた。
「ついでに、お茶を淹れてくれたら助かるけどね」
「はいはい」
既にその目は手元へ向いている。それでも、私の返事はきちんと耳に届いている筈だ。彼は、私がよく受講する〈異世界と日本の共通項、類似点における発展の違い〉を教える教授、カララギだ。
私とナルファスがこの地で暮らすための、後見人を務めてくれている人物の息子である。そのため、幼い頃から親交があり、こうして仕事を手伝うこともよくあるのだ。
見てわかる通り、彼はあまり人当たりが良くない。悪い人物ではないのだが、接し方に問題があるため、誤解を与えやすい人物と言えるだろう。
その本質は、単なる面倒臭がりであり、自分の興味のあることにしか食指が動かないという、ものぐさ。女房役、なんて言われるのも、もう慣れたものだった。
けれど……。ちょっと意地悪をしてみたくもなる。
「コーヒーと紅茶、どちらにします?」
「君は何を言っているんだ? 僕は今、お茶と言ったんだ。お茶を淹れてくれたら良いんだよ」
「ふふっ。はい。ですから、問いかけたんです」
「はぁ、君が飲みたいというから、わざわざインスタントのコーヒーやティーバッグを置いたのだけどね。僕は緑茶しか飲まない。茶葉も、お気に入りの物だけだ。迷う理由はどこにもない」
「でも、お茶淹れて、だけでは勘違いされても仕方がないのでは?」
「それは、僕の嗜好を解っていると判断した上での言葉なのだけどね。それとも、君は普段の行いを忘れてしまうほどアホなのかい?」
「ええ、アホですよ。ですから、うっかりコーヒーを淹れてしまうかもしれません」
「……はぁ。緑茶を、淹れてくれないか」
こうして折れてくれるところは、年上らしくていいのだけれど。会話の内容は、まぁ、触れないでおこう。
「それ、今回はどんな資料なんです?」
パーテーションで区切られた簡易的なキッチンに向かい、薬缶に水を入れて置き、コンロの火を付ける。沸くまでに、ダンボールの中身を確かめておきたい。
「……様々な世界のおとぎ話」
「あー、絵本」
残念ながら、ダンボールを開けるほうが早かった。
一冊抜き出して手に取ると、柔らかいタッチで描かれた絵が表紙を埋め尽くしている。タイトルは『神様と強い子』。パラパラと捲ってみると、挑戦を繰り返す強い子を、神様が見守るという話らしい。
「製本の感じは、日本とそう変わらない感じですね」
「そういったものを選んだ。その方が、類似点が感じやすいだろう」
「そこから何か分かるんです?」
「同じである、ということが分かると良い」
「書物で読んだことを学んで、人格が形成される。それが絵本であるなら、幼少期の思考に影響を及ぼすことも考えられる。では、絵本というものに類似点があるなら、異世界の子供と日本の子供は、ほぼ同一の道徳を学んで成長する可能性が高い」
「そういうのは専門外だね。僕達は、類似点を探し出し、何が要因で似通っているのかを調べること。人格だの道徳だのは、他の人に任せればいい」
そういうものなのか。
とは言っても、これが本屋に置かれていたら、日本で生まれたものだと勘違いしてしまうだろう。それくらい、日本で育った私には、違和感が持てない作りである。
これらを本棚に詰めるのが私の仕事であるのだが、果たして開いている場所はあっただろうか。なければ、必要性が薄くなったものを、この部屋の隣にある保管庫へ移さなくてはならない。
「Aの棚は、もういい」
先を見越した返答には、素直に感謝をしておこう。その上で、素直じゃない私から一言送るとすれば……、自分でやったほうが早いのでは?
本棚は入り口から見て左側にあり、キッチンとは反対側。部屋の中央には乱雑に資料が置かれた長机が二つ平行に合わさるように置かれていて、彼のデスクはその奥にある。
キーボードを叩く音が忙しない。
「あ、これ、どこのミステリーです? この表紙は見たことないなぁ」
「つまらなかったよ。犯人は最初から丸分かりだった」
昨日に引き続き、関わる男のデリカシーがなさすぎるのはどうにかならないものか。ため息を吐きながら、部屋の隅に置かれていた台車と、空になったダンボールを運んでくる。
ここまで準備をしておいて、何故やらないのかが理解できない。
「そういう事は言わないのがお約束ですよ。もしかしたら、私にはヒットするかもしれないじゃないですか」
「ないね。断言する。もしあったら、君はミステリー同好会を辞めたほうがいい」
「随分言いますね。そう言われてしまうと、むしろ、さわりを聞きたい気分になってきます」
「ファンタジーだね」
まさかのジャンル違いの疑い。タイトルの文字は殆ど読めないのだが、確か、前に似たような本を彼に紹介されたことがある。その時に習った殺人事件と言う文字が、この本にも記されていたからてっきりミステリーだと思ったのだけど。
いや、しかし彼の言葉から察するに、ミステリーであることは間違いないのだろう。となると、まさにファンタジーな突飛なトリックだったのか。俄然、内容が気になってきた。
ものは試しと表紙を捲ろうとすれば……、それは薬缶から出る笛の音で遮られてしまった。
昔の刑事ドラマでよく見かけた、懐かしい薬缶だ。
手早くキッチンに戻り、火を止めて湯飲みを準備する。茶葉はパーテーションに接するように置かれた棚の中にある。本来は湯飲みもここに収納するはずなのに、いつ飲んだのだろうか。洗ってはあるものの、シンクの隣の作業用のスペースに置いたままであった。
「そう言えば、今年の学園祭について、会長何か言ってました?」
「デート」
そういうことではないのだけどなぁ。笑いながら茶葉を急須の中に入れる。量は少し多め。濃くなるように淹れなければ、雨あられのような愚痴が降り注ぐ。
「たまには、自分たちで書いてみたらいいのに」
「そういう君はどうなんだ? 意外な文才が現れるかもしれない」
「意外ってなんです? 経験がないだけで、筆使いは一流かもしれませんよ」
「才能は経験の裏打ちだ。経験がなければ三流にも満たないな」
「でも、天才なら幼少期の何気ない文章も立派に見えるのでは?」
「価値がある者の過去に価値があるのさ。何者にもなっていない者の過去を評価する者はいない」
「それがきっかけで、と言っているのです」
「きっかけなんて砂漠の砂より多いものさ。掬い上げたところで掌に残る保証はないし、簡単に風で飛ばされる」
直ぐに否定したがる人でも、教授という役職でいられるのだから世の中分からない。少なくとも教壇に立つ役目を負っているのだから、もう少し人を乗せる物言いをしてもいいと思うのだけど。
まぁ、売り言葉に買い言葉というのか、私も誘導しようとした発言は多少あった。そこは反省しよう。そもそも、投げかけたのはあちらの方なのだから。
自分の言ったことを棚に上げて、よくもまぁ、舌の回るものだ。
「先生は、学園祭、どうするんです?」
「騒がしいのは好きではない。だから、そうだな。フィールドワークにでもいくさ。アポイントは取ろうと思えば取れるからね」
「異世界旅行ですか。いいなぁ。私も行こうかしら」
「……一つだけ、言っておく」
「なんです?」
「君は、何にでもなれるんだ。その権利を持っている。ここにいたって、やるべきことはいくらでもある。どこにいたっていいんだ」
いったい彼は、私の言葉から何を読み取ったのだろうか。私の言葉には、特に裏はなかった。心の内を、込めるようなことはなかったはずだ。
「どうしたんです? 急に」
「いや……、少し、小耳に挟んだことを思い出しただけだ」
それから、彼が言葉を発することはなかった。その言葉の意味を私が理解できたのは、翌日のことになる。




