4 少しばかりの抵抗
「えー、ということで、まぁ、現在確認されているすべての世界で、言語の発音が日本語と共通していることは、日本にゲートが誕生したことに関連しているのではないか、という説が有力というか、検証課題というか――」
甘いマスク、というほどでもないが、整った顔を長い前髪で隠した教授の話を、私はノートを広げながら聴いていた。
説だとか、検証課題だとか。その手の話を始めた時は、愚痴が始まる前兆だ。二年も講義を聴いていれば、教授の特徴は把握済み。ここからは聴き逃しても問題はないだろうと、自然と視線は後方へと移る。
教室の最後列。その角に陣取っているのが、このファンタジー学園において知らない人などいないのでは、というほどの有名人。唯一、現役の王でありながら、世界を離れて学園で授業を受ける稀有な存在だ。
曰く、賢王。長く続いた戦乱を終わらせた武闘派であり、良き政治により民に安寧を招く王。
その実態は、優秀な部下に恵まれた天性の人誑し。などと呼ばれている。
長く見つめていたからであろうか。こちらの視線に気が付いたようで、彼の赤い瞳に私が映ったのを錯覚してしまう。甘いマスク、と言うに相応しいだろう。スポーツが得意なアイドル、といった印象を受ける。
指が真横を指した。その方向にあるのは、廊下へと続く扉しかない。
――抜け出すの?
口が動く。武闘派の王様ならば、読心術くらい使えるのではないか、という希望。
次に、前方に指が向かう。
時計の針がその意図を指した。
「あー、良いところでチャイムが鳴るなー。まぁ、いいや。今日はこれまで。愚痴を聴いてくれた諸君には、特別に単位をやろう。試験は気軽に受けるがいい」
この講義を受ける人は、主にこの目的が多い。適切なタイミングで講義を受けられれば、無条件で単位がもらえるのだから。
それよりも、と視線を時計から離す。王様は既に席を立っている。慌てて机の上を片付けて、その後を追った。
「余に熱い視線を向けるとはな。そなたなれば、格は充分だろう。……神の血を引くのだろう?」
王に連なるもので、いま日本にいるのはこの二人だけ。その中で、明確に神の血を引くとされているのは私だけだ。王家にもそう伝わっているし、現に、血液検査をした際には、人間ではありえない情報だって表れている。
隣を歩く王様は、その点で言えば普通の人間なのだろう。
「私としては、普通の日本人、って感覚なんですけどね」
「ふむ。悩みはそこか。ときに、お主はいける口か?」
二本の指が、唇に当てられた。
校舎を移動し、実習室が集まる棟へ入る。目的地は、陶芸を学ぶ人達が戯れに作ったもの、灰皿が数多く置かれた喫煙室だった。
この喫煙室は、自分の出した吸い殻は自分でゴミ箱に捨てなくてはならない。その手間を嫌がってか、皆、他の喫煙室に向かうのだろう。そのため人が殆どいない、本当に灰皿を置くためにある場所としか思えないほどに閑散としている。
「やはり、誰も居らぬな。密談にはうってつけだ」
王様は慣れたように紙巻き煙草に火を点けると、美味しそうに煙を吐き出した。そして、ケースを開けたままこちらに向けて待っている。
「では、一本」
そのうちの一つを摘み、唇で挟む。顔を向けると、火は彼が着けてくれた。
メンソールの爽快感が口いっぱいに広がる。重さは殆ど感じない。滅多に吸わない私でも、これなら咽るようなことはなかった。
肺に煙を取り込んだこの感覚は、どこか自分の世界に閉じこもったように感じてしまう。意識的に深呼吸をしているようなものだと考えれば、一息つくという言葉にしっくりくるだろう。
こうした感覚を持つからこそ、マナーを悪くする人が現れるのかもしれない。そこは、気をつけなければならないことだ。気を付けてさえいれば、これほど気晴らしになるものはない。
「本当に吸うとはな」
「こんなの、レアですよ? 本当に、滅多に吸わないんですから」
納得したように頷かれる。滅多に吸わないということは、余程のことがあれば吸う。その意味合いを分かってもらえたということだ。
はっきりと言わせてもらえば、煙草を吸うのは駄目ことだと思う。そんなものに逃げたところでなんにもならないし、なんなら、吸わないことで溜まるストレスを恐れるくらいなら、手を出さないほうが賢明だ。
なのになぜ、私がごく偶にでも煙草を吸うのかと言えば、それはひとえに……、反抗の意思を示すため、であろうか。
もちろん、こんな行為をナルファスが許すはずもない。だから、煙草を吸う事は誰にもバレないようにしていた。知っているのは、たまに煙草をもらう人物だけ。その人に相談できれば手っ取り早かったのだろうが、まぁ、このタイミングは避けたほうがいいだろう。
どうせ、今会いに行けば愚痴の続きを聞かされるだけなのだから。
「こんな事を隠れて行う自分は、王家にとっては相応しくない、と?」
「言葉にするのは野暮です。デリカシーがないって、よく言われるでしょう?」
「言葉にしなくては伝わらぬこともある。そうでなければ、誰もついては来ぬからな」
含蓄のある言葉だ。
「お主は、言葉にしたか?」
煙を吐き出しながら、考える。言葉にはしていない。それは、そこまで否定するほどの事柄ではない、と思っているからだろうか。
王位を継ぐこと自体を、自分は拒んではいない、のではないか。
「夢があるわけではないし、なりたい何かがあるわけではないし。だから別に、王様になったっていいんだと思う」
煙を追って彷徨う視線は、自分の気持ちを探そうとしている表れか。
「今までの生活が変わるとか、一緒に過ごしてきたメイドがどうなるのか、とか。そこは本来、問題ではないと思う」
そう、目の前に参考にすべき人物がいる。
「王様になったって、此処にいていい。メイドだって、変わらず自分に付かせておけばいい。そのくらいのわがままを言うもんでしょう? 王様って」
「ははっ、答えにくい質問だな」
笑って済ませられるのなら、それは正解と言っているようなものだ。
ならば、私は何を問題でしているのだろう。なぜ、こんなにも煙草に逃げてしまいたいほどの、ストレスのようなものを抱えているのだろう。そう、おそらくストレスを抱えているのだ。そうでなければ、煙草なんて吸うもんか。
「答えてください」
「答えを求めるか。自身で既に、答えを出しているとも知らずに」
かけられた煙に眉をひそめながら、この言葉の意味を考えてみる。自分の中で、という意味ではないだろう。出しているということを彼が言っているのだから、それは、私がこれまでの会話の中で既に発言しているということだ。
そもそも、私の質問はどういったものだったか。いや、改めて考えるまもなく、単純に、わがままを言っても良いものだろう? ということだ。
そのことについて、私は答えを出したのだろうか。私が彼に言ったことと言えば……。
「ずるい人。自分ははっきりとものを仰らないのですね」
「棘があるな。拗ねているのか?」
返事は煙として返しておこう。彼の言う、私が既に答えを出している、というのは正しくはない。正しくは、彼が言ったことだ。
私は、王家として相応しくないのだろう。それは行動や思想などと言ったことではない。もっと、心の奥底。自分では認識できないくらい、本能的な面で、だ。
「――。ふむ、仕返しか」
「ええ。仕返しです。けれど、私の吐息はお礼にはなりません?」
「ははっ、いいぞ。そのくらいの言葉でなければ、余は物足りん」
形はどうであれ、お礼をあげたい気分なのには代わりはない。お陰で、自分の気持ちに向き合うことができた。
そう、私は王家には、王族としては相応しくないと思っている。それは、捨てられただとか、追放されただとか、そう言ったこととは関係ない。除け者にされたことに腹を立てているからでも、こうして、ナルファスから隠れて煙草を吸っているからでもない。
そう、これは――。
「一つ、分かりました。私は、理由は分からずとも王家の中にいることに腹を立てている。それが自覚できないことを、不安に思っていたのです。そして、そのモヤモヤに親しい人を巻き込むのではないか、とも。あとは、そう、自分の意志を蔑ろにされている。それに反抗する自分と、それの感情に不安がる自分がいる。そんな面もありますね」
「よろしい。自己分析は正しく出来なくてはな。では、どうする?」
「私は私。話がこじれるようでしたら、煙でも吐いてやりますわ」
それでこそだ。そう彼は笑った。
彼の名はグラナルード・カンラ・サルファーナ。彼のことは名前で呼ぶべきだと、自分の感情を理解した私の本能が、そう訴えている。彼は、王であるのだから。




