2 憩いの一時
夜。ダイニングテーブルの上は、様々な料理によって彩られた。ミートソースのスパゲッティに、白身魚のフライ。サラダにはたっぷりの粉チーズが振りかけられている。
異彩を放っているのは、こんがりと焼き上がったベーコンだろうか。皿に盛られたそれは、先に挙げたラインナップからしたら、些かワイルドに感じると思う。けれど、これはメイドなりの気遣いなのだ。
「ミクリィ様は、ビールに合わせるならお肉ですからね。ちゃんと用意しましたよ」
愛嬌のある笑顔で瓶ビールの栓を抜く彼女、名前ははナルファス。私を含め、多くの人からナルと呼ばれている。今年で三十代も後半になるが、よくぞここまで私の世話をしてくれたものだと、自分のことながら感心してしまう。
「ありがとう」
傾けられる瓶を、よく冷やされたグラスで受け取る。流れ落ちる黄金色の液体は、見事な白い泡を作って綺麗な二層を生み出した。お互いのグラスが満たされたのを確認すると、軽く持ち上げて乾杯の音頭を取る。
「謎の展開に――」
「乾杯」
まずは一息に飲み干す。それほど大きくはないグラスではあるが、この飲み干しようには驚かれる事がある。曰く、その見た目に反する飲みっぷりだと。まぁ、それは自分でも感じることだ。私の第一印象は、自分でもよく感じ取れる。
大人しく、窓辺で本を読んでいるのが似合いそう。そんなところだ。
「カリカリで、脂が溢れて……。くぅー、ビールで流し込むのが最高すぎるわー」
「ミクリィ様。それは少し、はしたないですよ」
「えー、じゃあ、ナルの感想も教えてよ。ビールとベーコンでこんな反応を見せない人なんていないから」
「そうですか。では……。ええ、とても良いマリアージュです」
「真面目めー」
二人して声を出して笑い合うと、箸を置いてフォークを手に取る。左手に備えたスプーンと共にスパゲッティを混ぜ合わせ、そのままフォークに巻き付けて口に運ぶ。
ひき肉の食感が楽しく、噛む度に脂が溢れ出して舌にまとわりつく。けれどベーコンの物とは違い、トマトの酸味が混ざった奥深い味わいだ。ビールのような苦みと合わせるよりも、もう少しフルーティさを感じる、果実由来の酒がよく合うだろう。
よく気が付くメイドは、直ぐにワイングラスに白ワインを注いでくれた。赤は苦手な私がよく飲むもので、この他にはシャンパンとシードルが常備されている。
「ありがとう。あー、お酒がすすむわぁ。本当に、もう、嫌になる」
「急な話でしたものね。まさか、お亡くなりになるなんて」
ナルも信じがたい様子であった。普段ならば笑顔が絶えない、今日一日に起こったことの報告会で済まされるような夕食の場には、少々不似合いな話だ。
「確かに、就職とかは全然決めていないんだけどさぁ。急に王様になって? は、ちょっとないでしょ」
「あら、ついこの間までケーキ屋さんになる、なんて言っていたのに」
「いつの話よ」
私の記憶が確かであるなら、それは小学校に通っていた頃の夢だったはずだ。このマンションの近くにケーキ屋さんがあって、下校してきた私はよく、そこのショーケースを齧りつくように眺めていた。宝石のように色とりどりなそれを眺めているだけで、なんだか満たされていたように思う。
そう言えば、ナルはそこの店主と仲が良かった筈だ。嫌な話を忘れるついでだ。少し、からかってやろう。
「あらら? そうやって直ぐにケーキが出るなんて、なんか怪しくない? すぐそこのケーキ屋の、人と、結構親しいそうだけど?」
クエスチョンマークの連打に、私の頬は緩んでいく。このジャブは、ガードの固いメイドを崩せるかな?
「そのケーキをお土産に、告白されたのはどなたでした?」
「またその話かー」
そういう出来事があったから、最近の私はあまり、あの店に近寄らないのだ。高校の卒業式の翌日だったか。故郷に帰るという魔法使いからの告白だったのだけど、その殺し文句がいただけなかった。
「ケーキのように甘いひとときを過ごしませんか? なんて言われて、頷く人なんているのかねぇ。ナルはどう返事をする?」
フライにフォークを突き立て、ナイフで切り分けながら問い掛ける。サクサクとした美味しい音色を背景に、ほろ酔いの私は笑みがこぼれる。きっぱりと断った時の彼の顔は、恥ずかしそうに赤くなっていたのを覚えている。
照れるくらいなら、いっそ素直な言葉を使ったほうがよっぽど良い。
「ケーキの代金は甘くはない、なんてどう?」
「どんだけ食べるのよ。ケーキで満腹なんて、翌日のことを考えたら甘くはないし」
「若いんですから、まだまだそんな事を考える必要はないと思いますよ」
「もう二十一歳ですー。十代とは違うのですよ」
「なら、三十代はどうかしら」
「変わらないでしょー」
お世辞と言うよりは、願望だろうか。この白身魚のフライのように、いつまでも瑞々しくありたい。
「ふふ、ありがとうございます。さぁ、それよりもまずはサラダを食べないと。食事はバランスよく、ですよ」
「言われなくたって、もう残したりしないって。昔はレタスとか嫌いだったなぁ」
「苦いの嫌、なんて言ってましたものね。値の張るものなら苦みも少ないだろうと、品選びには苦労しました」
それでも食べなかった私を変えたのは、きっとビールの苦味を覚えたからだろう。これでコーヒーすらも飲めるようになったのだから、人間、何がきっかけになるのか分からないものだ。
しかし、何がきっかけになるか分からない、か。
咀嚼したフライを白ワインで流し込みながら、私はサラダを取り分けるメイドを眺める。もしも仮に、私が王様になったとしたら。この生活も終わってしまうのだろうか。
十代の頃から、私という存在に縛られた彼女は、その時どうなってしまうのだろう。付いてきてくれるのだろうか。それとも、ここでの生活に愛着を持ち、この地に残ることを決めるのか。
それは不毛な悩みだとはいえ、この日だけは、レタスの苦みがはっきりと感じられた。




