13 一先ずの収束
あれから、私は亥駅町にある警察署へ移動した。念の為に安全を確保する、と交番で対応してくれた警官は言っていたが、署長室に通されるという対応をされては、単に安全を確保するために移動した、とは当然思えないだろう。
署長室はそれほど広くはないが、来客に対応するためか、二人掛けのソファーがテーブルを挟んで対面しており、その一つを見知った顔が占領していた。
「ご自身のことは、お聞きになられましたね?」
「学園長も、知っていたんですね」
先生に聞いていた、と彼は答えた。私の後見人は、やはり意図的に黙っているように命じていたらしい。
「署長さんは、いらっしゃらないの?」
「事態の対応に当たっています。一応、異世界の王が暴れましたので、その対応は一応、トップが、ということになりまして」
「問題の方は?」
「二人とも確保されたそうです。そもそも、貴女に嘘の報告をしてから、ずっとこの世界に滞在していたそうですな。つまり――」
「いつでも切れる尻尾、ということですね」
どんな目的があったのかは知らないが、目的を果たせたのなら重畳。果たせなくとも、何の支障はない。使い捨ての駒だった訳だ。
「はぁ。大臣という立場でいて、使い捨てだなんて」
「そこを追求するとなると、黒幕はあの世界にはいないのかもしれませんな」
「世界を股にかける、秘密結社じみた存在がいるとでも?」
「もしもいたら、拠点はこの世界にあるのでしょうな」
笑えない冗談ではあるが、仮に、もしそうであったとして、何故このタイミングで行動を起こしたのかが謎である。あの世界で異常があったとすれば、父の病くらいだろう。それをチャンスとした、としても、なんというか……。
「目的は、なんなのでしょうね」
「分かりませんなぁ。神という存在を手中に収め、世界を征服する?」
「先ずは、あの世界だと? この世界を征服するなら、悪巧みでしては最適ですけど」
「その足掛かり、と考えれば分かります」
「まぁ、そこは警察に任せます」
「今後は、貴女にも護衛がつくかもしれません」
いらない世話だが、拒んだところで仕方がないだろう。遠くの方から見守ってくれるに留めてくれればいいのだけど。
と、ここまでがストレッチをしながらの会話である。車に乗せられてここまで来たのだが、車から降りるときが、もう、しんどいことしんどいこと。きちんとストレッチをしておかないと、後々に響くと判断した次第。
「苦労したようですな」
「本当に。ようやく一息つけます。……煙草、とか?」
「生憎、ここは禁煙だそうです」
完全に腰を預け、背もたれに頭を乗せる。早く学園に行きたい。あの研究室に行きたい。あぁ、私のオアシス。煙草を吸いながら小説を読みたい。登場する探偵が煙草を吸う場面で、ともに煙草を吸い出すと何ともいえないカタルシスが味わえるのだ。
「それに、もうすぐナルファスが到着するでしょう。煙草なんて吸っていたら、心配されますよ」
「まぁ、そうでしょうね。そっか、彼女も来るのか」
私の呟きと合わせるように、彼は席を立った。積もる話もあるだろうと、気を利かせてくれたのだ。
しばらく、一人だけの時間。親友と王様はどうなったのだろう。急な展開で、彼の名前を呼ぶこともなかった。そんな事を考えながら、壁にかけられた時計を眺めていた。
昼はもう、過ぎている。ナルファスと、ラキとの三人でご飯が食べたくなってきた。
「ミクリィ様」
おずおずと、ナルファスが部屋へと入ってくる。覚悟を決めかねている態度にも思えるが、そうも言っている状況ではないと分かっているのだろう。私の方は、もう、すべてを知ってしまっているため、彼女が黙っている必要も、理由もない。
「座って。自分のこと、もう聞いたから」
「はい」
対面に座る。俯いている。
「神だから、今まで育ててくれたの?」
「それは!」
上げられた顔は、心外だと物語っていた。
「私は、ナルの事も知りたい。なんで私と一緒にこの世界に来たのかなぁって、ずっと気になっていたから。どうせ、訊いても教えてくれなかったでしょう?」
「ええ、……そうですね。教えなかったと思います。自分でも、恥ずかしい過去だと思ってますもの」
「どんな過去?」
「どうしようもない、犯罪者でした」
今はもう、覚悟が決まった顔を見せている。
「幼い頃から親がいなくて、生きることに必死でした。魔物から逃れるように街に潜み、鎖に繋がれたペットを見れば、食料だと喜んだくらいです。身体が育てば、違ったことも出来るようになる。違う想像も出来るようになる。生きるために必要な手段を、知恵を絞って生み出せたのです」
「それで私を誘拐したとか?」
「んー、それはいい案ですね。実行できれば、さぞ大金を得られたでしょう。けれど、私はそんな大それた事もできずに、捕まってしまったのです」
「じゃあ、貴女も追放されたようなものなの?」
「少し違います。数だけはこなしたので、あのまま行けば処刑は必至だったと思います。けれど、私は、自分が行ったことの善悪がついていなかったのです」
どういう事、と目で訴える。
「ただ、生きるためだったのです。だって、みんな生きているでしょう? だから、私も、それが当たり前のことだと思っていたのです。それが、私に与えられた、ただ一つの教育でした。王は、貴女のお父上は、そんな私を不憫に思ってくれたのです。
あの頃は、即位前でしたけれど、既に民衆の支持は厚かった。情に厚く、人に寄り添う。そんな素敵な王子だった。彼は、私に向かってこう言いました。『君が善悪をきちんと学べることを証明できれば、僕の施政の意義を証明できるかもしれない』と」
「そうして、メイドになったの?」
「はい。だって、そうしていれば生きていられるのですもの。私としてはそれで十分で、善悪というものは、いまいちピンとこないものでした。……貴女が生まれるまでは」
続きを手で制して、私は席を立つ。ドアから顔を覗かせれば、脇に人が立っていた。
「コーヒーが飲みたいのですけど」
「直ぐに準備します」
扉を閉めて、微笑んだ。
「私と同じだと思ったんです。それで、興味を持ちました。世話役として立候補したのもそのためです。そしてこの世界にやってきて、病院に預けられた貴女を受け取って、一緒の生活を迎えた時です」
「夜泣きが酷かった?」
「ふふっ。逆です。一度も泣いたことがなかったんです。ずっと笑っていて、人を見ては微笑んで。今思えば、おかしなことですよね。その時からおそらく、人とは違う鱗片を見せていたのでしょうか」
きっと、病院でも不審に思ったのだろう。詳しく検査をする理由にはなる。
「本当に、ずっと、笑顔だったのです。貴女はただ、ずっと笑顔を向けてくれた。その時私は思い知ったのです。自分は惨めだったのだと。ずっと哀れみを込められていたのだと。いえ、王もそんなつもりはなかったのでしょう。けれど、あのとき私は、とても惨めに感じたのです。
それでも貴女はただ、笑ってくれていた。こんな私に笑顔を向けてくれていた。私に手を伸ばして、笑顔を向けてくれていたのです。人間のそんな表情は初めてで、次第に、自分自身の内面に変化が表れたのです。初めて、他人のことを認識したのです」
「親心、かな?」
「どうでしょう。そこまでは定かではありませんが。どちらかと言うと、使命感、でしょうか。あの時私は、貴女に自分の影をみたのです。私自身の行いが、貴女をかつての私にしてしまうのではないかと。同時に、王の言葉を思い出しました。もしも私が、貴女のことをきちんと育てられたのなら。私にチャンスを与えてくれた王に、恩返しができるのではないか、と。貴女は、私にそう気付かせてくれたのです」
話を区切るかのように、コーヒーが二つ運ばれてくる。お辞儀をして退出した後、私達は揃ってカップに口を付けた。
「王が与えてくれたものは、もう一つあります。なんだと思います?」
一通り吐き出したのだろう。少し晴れやかになった顔を見せて、そう問い掛けてくる。
「お金、とか?」
「貴女のお父上は、そういうタイプですか?」
「んー、違うね。あの人、物をくれることはないから。たまに会いに来ても、料理を振る舞ってくれたり、本を読んでくれたり。最近では、ワインのお供に理想を語ってばかり」
「時間を大切にする方ですからね。民には――、大切な人達には平和な時間を与える義務がある。それが、口癖です」
「じゃあ、何を与えてくれたの?」
「それは、ですね。……名前、です」
一瞬、ポカンとした顔を私は浮かべた。そして、はっと気が付く。彼女は、先程の私の言葉を否定したかったのだ。
「あははっ、なーんだ。名付け親、か。じゃあ、私達は姉妹だ」
「ええ、そうです。親代わりと言えど、姉妹愛なのです。親ほど歳は離れていません」
「素敵な考えだよね。本当に、そう思えるのは素敵なことだと思う」
「ええ。そうですね。本当に、こんな事を考えられるなんて、思っていませんでした。本当に、感謝しかないんですよ?」
この時ばかりは、コーヒーもその苦味も抑えてくれたようだ。この一時だけは、きっと、どちらにとっても甘い。ただ、それだけだった。




