11 休憩
馬駅から、電車は出発をした。住宅街を抜け、見通しの良い田園を切り裂くように進んでいく。たわわに実った稲穂が風に揺れ、収穫の時期が迫っているのを感じさせる。
「長閑な景色。さっきまでとは大違い」
まるで、崖から海に飛び込むような変化がある。馬駅町までは、まだまだ背の高いマンションがいくつもあるため、そう錯覚するのだろうか。
線路の周囲に田畑があるのは、収穫したものを貨物車で運ぶことが多いからだ。羊駅町、申駅町に広がる田畑や果樹園から収穫された作物の多くは、酉駅町にある工場地帯で加工されて販売される。日本中で物産展が開かれ、人気を博す逸品揃いだ。
「呑気なものだな。追われているというのに」
「吹っ切れました。私は神なのですから、きっと誰かが護ってくれます」
「ははっ、確かに、震えた手を見れば、きっと誰かは護ってくれるな」
足を踏みつける。こういう時、ヒールの高い靴を履いていればよかったと後悔することは偶にある。
「それよりも、どこか身を隠すような場所に心当たりはないか? 余は基本的に辰駅町が行動範囲だ。こちらの方は殆ど知らない」
「私だって、基本的に巳駅町が行動範囲です。申駅町に美味しい立ち食い蕎麦の店があるのは知っていますけど、そこは駅の中にある場所ですし」
「駅の中なら、入ったのはバレバレであるな。しかし、どうしたものか。あまり長く乗っていたら、不審がって探し出すかもしれん」
「車掌や運転手に相談します? 幸い、こちらの車両が進行方向です」
「どうかな。下手な行動は向こうに刺激を与えるだけかもしれん。あの手のものは、思い通りにならないときにはカッとなるものだからな」
「電車の中でカッとなられたら、質が悪いですわね」
「奴等の乗っている車両を切り離すか?」
「私達がカッとなってどうするのです?」
冗談を言える余裕はまだあった。
「一応、護衛の一人は別行動をさせている」
「まぁ、護衛なんていらっしゃるのね」
「むしろ、そなたに護衛がいないのが不思議だった。だが、そうだな。本人が何も知らないのなら、護衛など付けないほうがいい」
「馬鹿にしてらっしゃる?」
「喧嘩っ早い性格は、王向きではあるかな」
「自己分析が得意ですのね」
次の駅に停まる。
「教習所があるのは、亥駅町だったか」
「そうですね。警察署もありますし、紛れて降りるのは都合がいいと思います」
「警察に駆け込むのは、都合が悪いと思うがな」
「どうして?」
「下手な行動をして、逃げられたら惜しい。出来れば確保して、背後関係を洗いたいところだ」
「王様が実力行使をなさったら如何です?」
「加減を知らん」
護衛が必要な意味が理解できた。
「それなら、亥駅町で降りるのも得策ではないかもしれませんね」
「一番良いのは、駅から出て直ぐにシャトルバスに乗れることだろう。駅の到着時刻と、シャトルバスの出発時刻が一致しているのはどこだ?」
「電車が到着して直ぐに出発するシャトルバスが、どこにあります? 普通は客を待ちます」
「で、あるな」
おそらく、奴等に見られずにバスに乗って、直ぐに移動できるのが理想だったのだろう。尾行する以上ある程度は距離を置かなくてはならないのだから、その間にこっそりとバスに乗られれば、だ。
「申駅町で一度、降りましょう」
「何故?」
「蕎麦を食べて様子を見るのです。不審な行動をしていないという、表れになるのでは?」
「まぁ、それが良いだろうな。まだどのような行動をしてくるのかは分かっていない。ただの尾行であるなら、それでよし。だが……、そこは美味いのか?」
私はただ、鼻を鳴らす。それは自分で確かめればいいことなのだから。
電車は遅れることなくホームへと停まった。蕎麦屋はホームに居を構えているため、まだ改札を抜ける必要はない。
改札に向かうと誤認して、そのまま駅を出てくれたら万々歳だ。
カウンターのみの小さな店で、入り口である線路側破ガラス張り。店の裏側が改札となっており、それほど大きな駅ではない。この駅の反対側にある、貨物用の駅のほうがだいぶ大きい。
手繰っているのは一人。笊に盛られた蕎麦が涼やかだ。少しスペースを開けて並び、入り口側に連れを立たせる。
「彼氏かい?」
「冗談。大将の方が素敵ですよ」
「嬉しいねー。先取りして月見蕎麦を出しているんだが、どうだい? 卵をサービスするよ」
「それにします。彼にもそれを」
「待て、余は冷たいほうが――」
「熱いほうが時間をかけられます」
小声でそう呟くと、彼は納得したように頷いた。
「大将は長野で修行したんですよね」
「そうそう。憶えていてくれて嬉しいねー。大抵は聞き流されるのが落ちだからさ、寂しいのなんのって」
「話が長いからじゃないです?」
「そんなことはない。話と蕎麦は伸ばさないのが鉄則だ。麺もスパッと短く、そして切れのある汁。これがうちの自慢だからね。ほら、お待ちどう。提供スピードも自慢だよ!」
受け取ると、湯気と共にいい匂いも運ばれてきた。白身だけが色づくように固まった卵が艶々と輝き、なんとも食欲をそそられる。
「卵の黄身、いつ割ります?」
「最初」
「最初に汁の味を楽しむとか」
「汁の味を楽しみたいのなら、他のメニューを頼めばいい。卵が入っているのなら、割って馴染ませて完成だ」
「ふーん」
適当に相槌を打つ。私は、黄身を割って、その下から蕎麦を救い出してべっとりと絡めて食べるのが好みでもある。
「……これは」
「美味しいでしょ」
「あぁ、美味い。とても美味い、が」
そう区切りたくなる気持ちはよく分かる。だって、この店の蕎麦は……。
蕎麦自体よりも、それを超えるかのように美味しい具が評判なのだから。




