9 異変
それから一週間は、怠惰と言ってもいいような日々を送った。昼まで寝て過ごし、昼食を食べたらゲームをして、夕食の後には小説を読む。生産性は全くないが、得るものがないわけではない。むしろ、ここ最近で言えば実に充実した日々であった。
そろそろ外に出るか。そう決断したのは、ふとカレンダーを見た時だった。徐々に九月へと近づく日付を見ていると、だんだん、直接此処へ返答を聞きに来るのではないかと不安になり、なんだか落ち着かなくなり……、そう、つまりは煙草を吸いたくなったのだ。
どこまで逃げるんだろうなぁ、と内心で自分を叱りつけながら、身支度を整えて家を出る。特に講義を受けるつもりもなかったので、手荷物は最低限に留めている。
マンションを出るまで、今日は誰とも会わなかった。
コンビニに寄ったのは偶然だった。今日からキャンペーンが始まると、テレビで言っていたのを思い出したからだ。
駅までにはコンビニは三軒ほどあるが、私は決まって、一番マンションに近いところを選ぶ。理由は特にないのだが、夏場にアイスを買ったとき、溶けない内に家に帰ることができる、と言うのが大きいだろう。
「いらっしゃいませー」
店員は顔見知りのアルバイトだった。たまに同じ講義を受けているのを見かけたことがあるが、会話をするのはコンビニで、という、顔見知りの域を出ない関係性だ。
キャンペーンの内容は、内容量増量。どうせ、パッケージに細工がしてあるだけなんじゃないの? と疑いの眼差しで物色しながら、概ね、どれも満足できる値に達しているの確認して満足をする。サンドウィッチを手に取った。
「ホットスナック、揚げたてですよ。どうです?」
会計時にそんな提案をされ、思わず眉をひそめてしまう。彼からそんな風に話しかけられるのは、初めてであった。
いつもはもっと、あの講義はダルいよねー、などという、世間話のようなものしかしないのに。
「いりません」
「美味しいですよ。こちらも増量しているんです」
「いりません」
「袋も少し、大きくなっているんです」
「だから、いらないって――」
手元に差し出されるホットスナックを入れる紙の袋、そこにあった白い空欄に、少し悪筆な文字が書かれていた。ただ一言、『見られている』と。
思わず周囲に視線を向けようとする私に対し、彼は冷静に声を掛ける。
「では、コーヒーはどうです? サンドウィッチに合わせると美味しいですよ」
その指は、レジカウンターの先、入り口を背にして置かれた機械を指している。なるほど、そこからなら店内を見渡せるだろう。
「頂きます。……ありがとう」
「まいどありー。……お気を付けて」
小声で言葉を交わすと、彼は冷凍のコーナーからカップを持ってきて、会計に通してくれた。受け取り、早速コーヒーを注ぐ。
人影が見えた。まるで私の視線から逃れるように、棚の影へと移動する。店員へ視線を向けると、こくりと頷いた。
どんな意図があるのかは分からないが、確かに私は、見られている。ひいては見張られているらしい。コンビニを出て駅へ向かう間、付いてきているのではないかと気が気ではなかった。
駅前のロータリーを見渡せる広場のベンチに腰掛け、サンドウィッチを食べながら周囲を確認する。朝のラッシュはとうに過ぎているため、そこまで人は多くない。駅前の喫茶店に、二人の男が入っていくのが見えた。その後ろ姿は、先ほど見たのと同一だ。
喫茶店はビルに入っているもので、入り口は道路に面しているが店舗は二階にある。窓ガラスは外から内部が見えにくくなっているが、内側からはよく、外が見えることだろう。
尾行に慣れている、ということだろうか。こんな時に親友の侍がいれば、大層心強いものなのだが、生憎、連絡を取り合って一緒に登校するような馴れ合いはしていない。
しばらく様子を見るべきか。しかし、そんな素振りを見せれば、相手を刺激することになるのではないか。
こんな事態、初めての経験だ。一応、重要な立場であるとは言え、このファンタジー学園でこのようなトラブルは聞いたことがない。異世界の人たちは安全な人たちなのだ、ということをアピールしなければならない土地柄なのだから、治安維持には特に敏感になっているのだから。
だとしたら……、学園側が? 嫌な予感が頭を過ぎるが、尾行などをするメリットは見つからない。被害妄想なのだろうか。そうため息をついて、私はベンチから腰を上げた。
改札を抜けて、ホームへと出る。学園へ行くなら、電車を利用する必要はない。駅を通り過ぎてまっすぐ歩けば、どこの町からも学園には着くのだから。
それなのにも関わらず、わざわざ電車に乗るのは、様子を見るためと言っていいだろう。私は本当に尾行されているのか、それは同じ電車に乗ってくるかどうかで分かる。もちろん、同じ車両に乗るようなことはないだろう。狙い目は、降りたときだ。
到着した電車に乗り込む。人はそれほど多くない。のんびり席に座って、様子を眺めることにしよう。乗り口を見渡せる席へ移動しようとする。
その私の腕を、誰かが掴んだ。
「んっ!?」
口も塞がれ、腰に回された腕で持ってきて体を引き寄せられる。私の身体は、そうして別の車両へと運ばれた。
口を塞がれた手から、どこか嗅いだことのある匂いを感じながら。




