『ダンジョン・ストリーマー:配信は命がけ』 ―虚構演出《ドラマティック・リアライザー》を持つ少女―
世界が変わったのは、十年前の冬だった。東京湾の人工島、臨海副都心の地下深くで、“それ”は静かに口を開いた。最初の“門”──ダンジョンが現れたのだ。
まるで異世界への通路のようにぽっかりと空いた闇。その先には、常識の通じない迷宮空間が広がっていた。重力の向きすら変わり、時間の流れも歪み、物理法則が部分的に無視される空間。中には凶暴なモンスターが巣食い、未知の鉱物や希少資源、“魔素”を含んだ大気が充満していた。
最初はただの災害だった。しかし人類は順応した。
各国は“迷宮管理庁”を立ち上げ、迷宮の調査と対策を始めた。迷宮に長く留まり、生還した者の一部に“異能”が発現した──“覚醒者”と呼ばれる存在である。
彼らは身体能力や感覚が異常に向上し、一部は“スキル”と呼ばれる特殊能力を獲得した。スキルは属性・系統・発動条件・成長要素で分類され、多くは習得者本人に最適化されている。中でもごく稀に得られる“ユニークスキル”は一人に一つ、その存在自体が生き様や運命を決定づけると言われていた。
やがて迷宮は戦場ではなく、舞台となった。
覚醒者の迷宮挑戦は配信技術と結びつき、“ダンジョン配信”という文化が誕生したのである。戦闘、罠突破、探索、寸劇。命を懸けたリアルがコンテンツになった。
『視聴者参加型迷宮サバイバル』──それは今や世界中で再生数を稼ぐ一大ジャンル。
各国政府は配信者の活動を認可し、ライセンス制により危険な能力者の監視も行っていた。配信は最初から収益化可能で、登録して審査に通れば誰でも配信者になれる。ただし、人気を得なければ金は稼げない。
“投げ銭機能”は登録者5万人超で開放。ここがひとつの壁であり、無数の夢と才能が散っていった場所でもあった。
日本は迷宮産業において世界中堅よりやや下の立ち位置。技術・資金・人材ともに先進国にやや劣るが、独自の演出技術と芸能文化によって一定の存在感を保っていた。
──そして今、この世界で、一人の少女が仮面を被って立ち上がろうとしている。
東京都下、古びた団地の一室。 17歳の少女・風見こより。
高等教育を受ける余裕もなく、母・千景は難病で入院中。弟・陽太はまだ保育園児。
こよりは家庭のすべてを背負っていた。
自由に働く時間もなく、介護と育児と生活の板挟み。
そんな彼女が手にした、唯一の武器──
ユニークスキル《虚構演出》
・発動条件:感情を込めた演技・台詞・演出行為(※失敗時、効果無し) ・効果:演出に応じた一時的能力強化、状況誘導、演出空間生成 ・副作用:羞恥心と自己演出力への依存
「……使いづらっ!!」
自嘲するしかなかった。
だが、それでも、彼女には選択肢がなかった。
こよりは決意する──仮面を被り、名を偽り、配信者“こより”としてデビューする。
仮面の少女は、迷宮へ挑む。
その姿を、世界中が見ているとも知らずに。
「──今日も、やるしかないか」
リアルをさらけ出せない。 感情を演じなければ力が出せない。
それでもこよりは戦う。
“虚構”で“リアル”を超えるために。
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カチリ、と安っぽいスイッチ音が鳴った。
初心者向けダンジョン『ねじれた地下果樹園』の最初の安全エリア──通称“配信起点”と呼ばれる場所に立つ三脚。その先端、スマホ型の配信用デバイスの赤い録画ランプが点灯している。
「……」
風見こよりは、小さく息を呑んだ。 その身にまとったのは、パーカーの上から無理やり装着した簡易なレザー製の防具。通販サイトのセールで購入した安価なコスチュームだ。仮面は百円均一で買ったプラスチック素材にペイントを施した手作りのもの。白を基調としたハーフマスクは不自然に顔の半分だけを隠し、どこか滑稽でもあり、どこか異様でもあった。
ダンジョン内は薄暗い。 自然光は届かず、頭上のツタ状ランプ結晶がかすかな光を放つだけ。小さな虫の羽音と水滴の音が混ざり、ひどく静かだった。
だが、この静けさの裏にあるのは、現実の喧騒だ。 母は病院に入院し、弟は保育園に預けられている時間帯。 この一時間だけが、彼女に与えられた“自由”だった。
「……演目、始めます」
掠れた声。仮面の奥の目がわずかに震える。
こよりは、自分が陰の人間であることをよく理解していた。 友達もほとんどおらず、話す機会すら乏しい。人前で何かをするたびに声が震え、手が汗で濡れる。感情を押し殺し、表に出すことなく過ごしてきた。
だから、今、この瞬間が地獄だった。
カメラの先に世界がいる──という認識だけで、全身が鉛のように重くなる。 呼吸が浅くなり、脈拍が速くなる。
だが、それでも彼女は、言葉を紡いだ。
「たとえ、舞台が地獄でも……私の魂は幕を下ろさない──!」
それは、誰にも届かないはずの叫び。 だが、《虚構演出》は反応した。
周囲の空気が変わる。 照明がわずかに強調され、風の音が演出として追加される。 演出効果の小さなサウンドがBGMのように重なり、モンスターの動きが一瞬鈍る。
目の前に現れたのは、初心者向けダンジョン『ねじれた地下果樹園』の第一フロア。
結晶体とツタが絡むその空間に、小さな獣型モンスター“マダラウリ坊”が群れていた。
(……怖い)
心の中で呟いた。 何もかもが怖い。 配信されているこの現実も、スキルに頼る自分も、誰かに見られることも──そして、それでも逃げられない自分自身も。
「はっ!」
半ば反射的に、軽量のレプリカレイピアを構え、突き出す。 その動作はどこか芝居がかっていて、それがまたスキルとの相性を良くしていた。
「貫け! 真実の剣よ……!」
演出に合わせてモーションを強調。 レイピアがマダラウリ坊の胴体に命中し、キュイイと悲鳴を上げて消滅する。
《うわw演劇部かよww》 《なんかクセになるこのセリフ》 《この子……本気でやってんの?》 《仮面女キター!》
視聴者チャット欄が流れ始めた。 最初はわずか数人だったカウンターが、じわじわと増え、十、二十──気づけば五十を越えていた。
(……見てる)
画面の向こうの“誰か”が、こよりの一挙手一投足を見ている。 恥ずかしい。 怖い。 でも。
どこか、ほっとしている自分もいた。
世界に取り残された自分が、ようやく何かに繋がったような──そんな錯覚。
再び構える。体勢を取り直し、舞台女優のようにポーズを決める。
「終幕はまだ早い……私の演目、これからが本番です──!」
《やべぇww》《芝居口調いいぞもっとやれ》 《動きは本物っぽいんだよな……》《実はすごいやつ?》
誰かの反応が、心に刺さる。 滑稽でも、演じてでも。
こよりは、生きている。
だが、それはほんの序章にすぎなかった。
「……次、三体。集中……」
マダラウリ坊の群れの奥から、やや体格の良い個体が姿を現した。 進化種──“斑角ウリ坊”。額にツノのような結晶を持ち、知能もやや高い。初心者が相手取るには少し荷が重いとされる個体だ。
(演技を入れて……集中して……!)
こよりは一歩、前に出た。 そして、仮面の奥で小さく呟く。
「我が魂の業火よ、今ここに燃え上がれ──!」
《虚構演出 発動:演目《情熱の一撃》》
周囲の空気が赤みを帯び、床から小さな火花が巻き上がる。 それは現実ではない。だが、スキルの効果として、空間演出が上乗せされた視覚的錯覚。
同時に、こよりの身体能力が一時的に上昇。
視界が冴える。呼吸が整う。動きが自然と演技のテンポと一致してくる。
一体目の斑角ウリ坊が突進してきた──!
「舞い踊れ、偽りの刃よ!」
素早いサイドステップで回避しつつ、刃を一閃。 その動きはまるで舞台上の殺陣のようで、視聴者からすれば“魅せる戦闘”そのものだった。
《回避うま!》《殺陣師かな》《この子ほんと初心者?》
二体目が横から噛みつこうとする。
「見せ場を奪わないで……まだ私の台詞が残ってるの──ッ!」
レイピアを回転させて受け流し、逆手からの一撃。 斬撃にエフェクトが追加され、ピンク色の軌跡が残る。これも演出スキルの効果だ。
《エフェクトきれい》《なんかクセになる》《BGMと合わせて完璧かよ》
三体目が背後に回り込む。こよりの死角。 ──だが、演者は舞台を支配する。
「幕の裏まで、演技のうちよ!」
仮面越しに小さく笑う。 その笑顔を誰も見ていないのに、なぜか視聴者は“それ”を感じ取った。
後方に回し蹴り。命中。 レイピアでトドメを刺し、三体目も消える。
静寂が訪れる。 照明フィルターが徐々に元に戻る。
《やば》《完封じゃん》《普通にうまい》《天才?》《芝居口調クセになるな》
視聴者数:158人
「……っ、はぁ……」
深く息を吐く。仮面の内側は蒸れて、額に汗が流れている。
(怖かった……でも、うまくいった……)
脳裏には、弟の笑顔と、病室の母の顔が浮かんでいた。 ──稼がなきゃ、食べさせなきゃ、守らなきゃ。 そのために、私は……。
「次の幕間へ、進ませていただきます」
《演目シリーズにしてw》《このテンション嫌いじゃない》《中毒性ある》
一歩、また一歩と、迷宮の奥へ進むこより。
だがその背後──画面の向こうでは、視聴者たちが確実に心を動かされていた。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
初めまして。月白ふゆと申します。
小説家になろうでの投稿はこれが初めてです。
拙い部分も多いかと思いますが、ようやく形にできたことを嬉しく思っています。
風見こよりの戦いは、まだ始まったばかりです。
仮面の奥に隠された“素顔”と《虚構演出》の行方──
迷宮の奥で、彼女は何を見つけ、何を失うのか。
お気に入りの演出、気になった部分など、ぜひ気軽に教えてください。
あなたの反応が、こよりの次なる“演目”の原動力になるかもしれません。
次の舞台で、またお会いできますように。