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陽だまりの村

朝の光が草の茂みを金色に染めるころ、私は小さな村の入口に立っていた。背には弓、腰には短剣。魔法など使わぬ身ながら、太陽のぬくもりだけで迷わずに歩ける。


古びた木の門はもう役目を終えかけているように、左右に大きく傾いていた。門柱にかかった看板は色あせ、文字はほとんど判読できない。だが、門の先から漂ってくる匂いだけで、この場所が特別だと感じ取れる。焼きたてのパン、煮込み料理、そして野の花が混じる、素朴で温かな混合香だ。


石畳の小径を進むと、野いちごの低木が路地の縁に沿って花を咲かせている。足元には小さな蝶が舞い、子供たちのはしゃぎ声が遠くから届いた。私はいつものように無言のまま村の中心へと向かう。


角を曲がると、パン屋の前に腰掛けた老婆がゆっくりと釜から取り出したばかりの丸パンを並べていた。真新しいエプロンには粉の跡が点々とし、手は手慣れた動きで整然と動いている。


「おや、旅の者かい?」

老婆は私を見上げ、柔らかな笑みを浮かべた。


「……ああ」

私は短く答え、無造作に籠を指差す。


老婆は籠の蓋を開け、小ぶりの丸パンをひとつ取り出した。外はこんがりと焼き色が付き、中はふんわり柔らかそうだ。


「無料だよ。旅路の疲れも、これで少しは癒えるだろう」


言葉とは裏腹に、老婆の眼差しには真心が宿っていた。私は頷くだけでパンを受け取り、そっとかじった。外はかりっと歯応えがあり、内側は甘い湯気とともに崩れていく。淡い甘さが口中に広がり、まるで幼い日の記憶を揺さぶられるようだった。


そのまま広場へ出ると、陶工の青年が土を練っていた。青年の手元には湯気の立つ小窯があり、陶土が赤茶色に光っている。傍らの木製ベンチには一匹の子猫が丸くなり、夢の途中で小さく鼻を鳴らしていた。


青年は私に気づくと、土を休め、小さな花器の原型を見せてくれた。


「旅人さん、これをどうぞ。まだ形が定まっていないが、君の旅に彩りを添えてくれるかもしれん」


私は目を細め、土の感触を想像した。無言のまま小さく頷き、手をかざすだけで返礼とした。青年は満足げに笑い、再び土に向かって手を動かし始めた。


昼がすぎ、日差しが少し傾いてくると、村の子供たちが広場に集まってきた。赤いスカーフを巻いた少年が、私を見つけると駆け寄って小さな兜を差し出した。紙と竹で作られたそれは簡素だが、彼の自作だという。


「お姉さん、これどうぞ。ぼくが昨日作ったんだ」


私は思わず顔を崩し、少年の頭を軽く撫でた。少年は嬉しそうに目を輝かせ、すぐに走り去っていった。


夕暮れが近づくと、鍛冶屋の炉の火が赤く揺れ始めた。鉄を打つリズムが小気味よく響き、鍛冶屋の男がハンマーを振るうたびに火花が舞い散る。私に気づくと、男は休憩の合図にハンマーを置き、手拭いで汗をぬぐった。


「よく来たな。剣はいらぬか?」

「必要ない」

私は短く答えたが、男は不敵に笑った。


「ふむ……君は真の旅人らしいな。必要に応じてただ歩くだけの人間。だが、もし何か修理する必要があったら遠慮なく言え」


私は一度頷き、鍛冶屋の背を見送った。


やがて空が薄紫色に染まり、日が沈む瞬間を迎えた。村の外れにある小さな広場には、古びた石碑が立っていた。刻まれた文字はかすかに読める。


──「陽だまりの村」


古の言葉で「日当たりのよい場所」を意味するという。


なるほどと私は呟いた。確かに、朝から晩まで暖かな光に包まれていた。人々の笑い声、仕事の音、そして子供たちの無邪気なふるまい――どれも、訪れる者をそっと包み込む日だまりのようだった。


けれど、私はこの暖かさを持ち去ることはできない。短剣も、弓も、そして心の奥底に触れたぬくもりも、私には荷物にはならない。


私は最後に振り返り、淡い夕焼けに染まる村を一瞥した。誰一人として追いかけては来ない。誰一人として、別れを惜しむ声さえ聞こえなかった。


その静寂が、私にとっては何よりの祝福のようにも思えた。


私は歩き出す。

陽だまりの残る石畳を、背中に短剣の重みを感じながら。


誰とも分かち合わず、ただ一人で、また次の旅路へ。

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