星影の村
夜の帳が深く降りるころ、私はまたひとつの村へと足を踏み入れた。
静寂が支配する空間の中、私の短剣と弓だけがかすかに音を立てる。
魔法など使わぬ身だが、月影さえあれば道に迷うこともない。
村への入口は、古びた石橋だった。
橋の欄干には人の手が触れた痕跡すらなく、苔が厚く這っている。
水面に映る星屑のような光が、私を誘うかのように揺れていた。
橋を渡ると、石畳にうっすらと白い粉が散らばっている。
それはまるで、小さな星のかけらが積もったように輝いていた。
私は指先で粉を掬い上げ、掌の上でそっとこぼしてみた。
──冷たい。
粉はひんやりと、しかし固くはなく、すぐに指の間をすり抜けていった。
「星の欠片か」と呟こうとして、ふと背後に気配を感じた。
「……誰だ」
低い声だった。振り返ると、村の中央にある小さな広場に、一人の老婆が立っていた。
深く刻まれた皺の向こうに、月明かりがきらりと光る眼差し。
私は無言で頷き、老婆に一歩近づいた。
老婆は荷車のようなものを押しており、その上には壺や箱が積まれている。
「……星屑を集めておるのじゃ」
老婆はそんな言葉を零した。声は渋く、しかしどこか懐かしい響きを帯びていた。
「なぜ、こんな粉を?」
私は問い返す。
老婆は小さく笑い、荷車から古びた壺を取り出した。
蓋を開けると、中には銀色に輝く粉が満ちていた。
「昔はな、夜ともなると村人は空を仰いで星を数えたものじゃ。
だが、いつの間にか星は遠ざかり、光は消え、影だけが残った。
失われた光を、せめてここに留めておこうと思うてな」
老婆の言葉に、私は何も返さなかった。
興味がないわけではない。ただ、感情が枯れて久しいのだ。
老婆は壺を蓋ごと背負い直し、私をじっと見つめた。
「……おぬしも、光を求めているのか?」
その問いに、私は短く答えた。
「ああ、しかし求め続けることにも慣れた。
いつか星を追い越す旅路を、私は選んだのだろう」
老婆は小さなため息とともに腰を落とし、石畳に腰掛けた。
細く長い影が、彼女の体をゆっくりと包んでいく。
「……この村の名を教えてくれぬか」
老婆はしばらく沈黙した後、ぽつりと言った。
「星影村じゃ」
その言葉だけで、私は全てを理解した。
星の光は失われても、影だけは残る。
人の記憶もまた同じく、名を忘れられても、影のように痕跡を残すのだ。
老婆はじっと私を見つめたまま、顔の皺を緩めた。
「よい旅を。影を抱えても、歩みは止めぬがよい」
私は何も答えず、ゆっくりと背を向けた。
老婆の佇まいが、闇の中へと溶けていく。
再び歩き始める。
夜空には星はない。
だが、石畳には星のかけらがいくつも輝いている。
私は睨むように一粒の粉を蹴り上げ、乾いた音を残した。
それだけで十分だ。
誰も連れず、誰も救わず、影だけを抱えて。
私はまた、果てしなき旅路を進む。