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眠る谷の村

その村にたどり着いたとき、空には薄い霧がかかっていた。

昼なのに、太陽は見えなかった。


私は特に理由もなく、その村に入った。

地図にも名前にも記されない、小さな村。

谷底に沈むようにして、低く低く建物が並んでいた。


村人たちは、皆静かだった。

話す声も、足音すらも小さく、まるで眠る人間たちが歩いているようだった。

私に向ける視線も、冷たくもなければ、歓迎するものでもなかった。

ただ、無関心。


それが好ましかった。

私は広場へ向かった。

そこには、ひとつだけ大きな木が立っていた。

葉は一枚もついておらず、白い枝が空に向かって伸びていた。

まるで、誰かの骨のように。


私はそこに腰を下ろし、短剣を磨きながら、夕暮れを待った。


誰も声をかけてこなかった。

それが、ますます好ましかった。


陽が傾き、村が暗くなるころ、ひとりの子供が私に近づいた。

幼い少女だった。

裸足で、すり切れたワンピースを着ていた。

何も言わず、私の前に立ち、しばらく見つめていた。


私は何も言わなかった。


少女は、私に小さな花を差し出した。

白い花だった。

つま先ほどの小さな、無名の花。


私はそれを受け取らなかった。


少女は、すぐに足元に花を置くと、何も言わずに立ち去った。

村の奥、霧の向こうへ。


私は花を見下ろした。

拾わなかった。

花はすぐに、冷たい風に吹き飛ばされ、地面を転がった。


夜になり、私は村を出ることにした。


宿にも泊まらず、ただ、通り過ぎるだけ。

それでいい。

それで、ずっとそうしてきた。


村の外れに、小さな石碑が立っていた。

苔に覆われ、文字もかすれていたが、かろうじて読むことができた。


"ネメス"


そう彫られていた。


私は知っていた。

古い言葉で、「眠り」という意味だった。


なるほど、と思った。


この村は、確かに眠っていた。

生きながら、夢の中にいるように。

生まれて、朽ちて、誰にも気づかれずに消えていく。


静かで、乾いた、終わらない眠り。


私は短剣を腰に収め、また歩き出した。

白い霧の中を、一人で。


目指す場所もない。

待つ者もいない。


ただ、歩く。

それだけだ。

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