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アマリリスの村

幾百年を生きた私は、今もなお、ただ歩き続けている。

短剣と弓だけを携え、魔法も持たず、心を削ぎ落としながら。

この世界は広く、果てがない。私はその中を、誰に呼ばれるでもなく、理由もなく、ただ進んでいる。


灰色の森を抜けた先に、それはあった。

木々が白く乾き、空には雲ひとつなく、風は吹いていなかった。

遠くに、小さな家々の影が見える。

久しぶりに、人工の匂いを感じた。


私は歩みを止めず、そこへ向かう。

警戒も、期待も、何もない。ただ、そこに道があったから進むだけだった。


村──いや、今はもうその言葉が似合わない。

門は朽ち、誰の気配もない。

近づいて初めて、私はそこが生きた者たちの住む場所でないことを知った。


家の中には、人がいた。

皆、眠るようにして座り、横たわり、時に机に突っ伏していた。

しかし、誰も動かない。誰も、息をしていない。


死んでいる。

それが、最初の感想だった。


私は一つひとつ、家々を巡った。

そのすべてに、同じ光景が広がっていた。

死者たちが、静かに、まるで時間が止まったかのように、そこにいた。


どれだけ歩いたか。

最後の家に辿り着いたとき、私はようやく、わずかな気配を感じ取った。


「──誰?」


声は細く、小さなものだった。

中にいたのは、少女だった。

年の頃は十にも満たないだろうか。

薄い金の髪、青白い肌。

その手には、しおれかけた花が握られていた。


私は、短剣から手を離した。

敵意がないことだけを、伝えるために。


少女はじっと私を見上げていた。

目には怯えも、期待もなかった。

ただ、静かだった。


「生きているのか」

私は問うた。


少女はうなずいた。

その動作すら、壊れ物のように脆かった。


「ここに、何があった」


少女は答えなかった。

ただ、花を見せるように差し出してきた。

それは白い花だった。


──アマリリス。


私はその名を、遥か昔に聞いたことがあった。

別れを象徴する花。

死と、新しい旅立ちを意味する花。


この村の名は、きっと「アマリリス」だったのだろう。


私は静かに頷いた。

それ以上、問いかけはしなかった。


少女は、眠るように家族たちに囲まれていた。

生きているのに、もう死の匂いをまとっていた。

誰も救うことはできない。

誰も連れていけない。


それが、この場所の運命だった。


私は家の中で一夜を過ごした。

火を焚くこともなく、少女に触れることもなく、ただじっと座り、夜が明けるのを待った。


朝。

少女はまだ、そこにいた。

だが、その目には、もう光がなかった。


私はそっと立ち上がった。

短剣を腰に収め、弓を背に背負い直した。


「行くの」

少女がかすかに尋ねた。


「……ああ」

私は応えた。


「連れていって、とは言わないよ」

少女は微笑んだ。

それはあまりにも儚い笑みだった。


私はただ、黙って扉を開けた。

背後で、花が床に落ちる音がした。

それでも、私は振り返らなかった。


外に出ると、空は雲一つない青だった。

乾いた風が、私の銀髪を揺らした。


誰もいない道を、私は歩き出す。

何も救えず、何も遺さず、ただ歩く。


それが、私にできる唯一のことだった。


振り返ることはない。

少女の最後の笑みも、花の名も、心に刻むことはない。

私は誰の記憶にもならない。


──私は旅人だ。


灰の森を越え、滅びゆく世界を歩き、ただ終わりを見届ける。

その先に、何があろうと関係はない。


私はまた、一人きりで、果てのない道を進んでいった。

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