メランコリーキッチン
連日降り続く雨のせいだろうか、いつもは賑やかな通りも今は閑散としている。
カフェも閑古鳥が鳴いている、常連さんも今日は来そうにない。
忙しいのは嫌いだが、暇過ぎるのも困りごとだ。
これが休日ならいくら暇でもいいのだが、生憎今は勤務中だ。
モップに寄りかかりながら、ぼんやりと雨を眺める。
雨は嫌いではないが、何日も続くと気が滅入る。
なんでも日光を浴びないと幸せを感じるホルモンがあまり作られないらしい。
……幸せって結構簡単に作れるんだな。
運動でも作れるし睡眠でも作れるし日光でも作れるし、お手軽だ。
僕がいつも通りくだらないことを考えていると、カウンターの奥から足音が近づいてくる。
「あー、暇すぎてしょうがねぇな。詠耳、客来そうか?」
「今日はもう来ないんじゃないですか? 一日雨の予報ですし」
「だよなぁ、店閉めちまうかぁ」
カウンターに座り煙草に火をつける。
店長が煙草を吸い始める時は、オフの合図だ。
外に出て、掛け看板を“OPEN”から“CLOSE”に変える。
雨はざぁざぁと音を立て、激しく降りしきっている。
少し外に出ただけでズボンの裾がじっとりと濡れる。
こりゃ客来ないわ。
この雨の中帰るのは、めんどくさいなぁ。
「うわぁ、土砂降りだなぁ。詠耳、帰れそうか?」
「ちょっと厳しいですね。少し雨脚が弱まるまでここに居てもいいですか?」
「おぉ、全然いいぞ。もう誰も来ないしな、一杯作ってやるから飲んでけ」
「ごちそうになります」
正直なところ、コーヒーの味の違いなんて僕には分からない。
ただ、あまり苦みが好きではない僕でもすんなり飲めるから店長のコーヒーは美味しいのだろう。
「そういえば詠耳、今日はずっと心ここにあらずって感じだったな」
コーヒーミルで豆を挽きながら店長が聞いてくる。
仕事中は集中しているつもりだったが、暇だったから気が抜けていたかもしれない。
「悩み事か? 暇だから聞かせろよ」
「いや、別に大したことじゃないんで」
「いいからいいから、年取ると若い人間の話を聞きたくなるんだよ」
「店長まだ三十路じゃないですか」
「お前もな、俺の立場になったら分かるぞ。十代と二十代の間には絶望的な壁があるんだよ。」
遠い目をして煙草をふかしている。
そんなもんかね、今の僕には分からない感覚だ。
あれかな、ちゃんとした青春を過ごしてきた人間はそうなるのかな?
「それで、何考えてたんだ?」
「あー、進路について考えてました」
「あぁ? お前まだ高校2年だろ? もう進路なんか気にしてんのか」
「まぁ、それはそうなんですけど。将来なりたいものとかないなって」
白石さんにも話したことを話す。
適当にぼかそうか悩んだが、店長はわりとしつこいので素直に話すことにした。
店長は少し考えた後、灰皿に煙草を押し付けながら話し始めた。
「お前、好きな人とかいるか?」
「いや、いないですね」
「熱中できるものは?」
「それもないですね」
「それじゃあ将来についてなんて考えられねぇよ。その段階じゃないわ」
普段適当な店長が真面目に話す。
この人こんな雰囲気を出せたんだ、と少し感動する。
「時間を忘れるほど何かに熱中したりな、好きな人にカッコいい所見せてぇとかな、そういったもんが今のお前には必要だ。」
「それって将来についてなにか関係あります?」
「あるに決まってるだろ。将来ってのは今日の連続だぞ? 今日真剣に生きる意味を持たないと将来は空っぽになっちまう」
「なんか格言っぽいですね」
「俺の嫁からの受け売りだ。ぶっちゃけ俺も高校はちゃらんぽらんしてたから偉そうなことは言えん」
あぁ、少し店長を尊敬しかけた。
いつもとのギャップにやられかけた。
雨の日にネコを拾う不良を見た時の気分ってこういう感じなんだろうな。
店長が淹れたコーヒーに口をつける。
雨で寒い今日は、温かいコーヒーがいつもより美味しく感じる。
「まぁお前は少し周りを見過ぎだな、もっと自分の事だけ考えて生きてもいいだろ」
「別の人からも似たようなこと言われましたね」
白石さんからのアドバイスが頭をよぎる。
割と自分本位で生きているつもりだけどなぁ。
あれか、適当に生きることと、自分本位で生きることは別なのかな?
でもなぁ、自分の事を考えても何も思いつかないよなぁ。
「お、たまに来るお嬢ちゃんか?」
「よく分かりましたね」
「お前の知り合いお嬢ちゃんしか知らねぇからな。毎回賄い作ってサービスしてるじゃねぇか、仲いいんだろう?」
「うーん、どうなんでしょうね」
仲が良いってどこから言うんだろうか?
学校でずっと話すって訳でもないし、二人で約束をして出かけるようなこともない。
友達といっても、自然にそういった関係になった訳でもないしなぁ。
問 友達になってよ
答え いいわ友達になってあげる
これって本当に友達か? 怪しくないか?
「あんだけの美人と仲良く話しといてよく言うわ」
「店長から見て、僕ら仲良く見えてます?」
「お前のこと嫌いならこの店来ねぇだろ」
確かに、それもそうか。
僕が納得していると、店長がカウンターから身を乗り出し、顔を近づけてきた。
さっきまで吸っていた煙草の匂いがする、僕は大人になっても煙草はやらないだろうな。
ギシと床がきしむ音がした。
「あのお嬢ちゃんもっと連れてこれねぇか? やっぱ美人が窓際にいると新規の客が釣れるんだよ」
「はぁ」
小声で、誰かに聞かれることを恐れるかのように店長が囁く。
「それになぁ、このカフェおばちゃんばっかだろう? たまにはああいう若い嬢ちゃんの相手がしてぇんだよ」
「あの……」
「お前は美人と仲良くなれて、俺は客も釣れるし眼福でウィンウィンってやつだ。うちのも昔はあれぐらい可愛かったんだがなぁ」
奥さんとの出会いを思い出しているのだろうか?
うんうんと唸りながら回想に浸っている。
だから、後ろから近づいてくる人物に気がついている様子は無かった。
「へぇー、今は可愛くないってこと」
店長の目が見開き、息を詰めたまま固まる。
錆びた機械のように、ぎこちない動きで振り返る。
無表情で背後に立つ、奥さんが店長を見下ろしている。
相変わらずでかい、身長188㎝って言ってたかな?
夜中に出くわしたら八尺様と勘違いするかもしれない。
無表情から一変、にっこりと笑ってから店長にアイアンクローを極める。
「あんた、未成年の前で煙草吸うなって前に言わなかったっけ?」
「い、いつから聞いてた......?」
「美人客で新規を釣るって所から」
「がぁぁあ!!!」
うわぁ、痛そう。指先が皮膚にめり込んでいる。
人のあげる本気の悲鳴って怖いな。迫力がフィクションと段違いだ。
店長も決して小さくはないが、奥さんと比べると小柄に感じる。
スポーツ選手らしく、体格もがっちりしている分もあるだろう。
「詠耳君、うちの馬鹿がごめんねぇ、気にしなくていいから」
「大丈夫ですよ、悩みも聞いてもらったんで」
「そう? 変な事言われた私に言ってね。またこうやってこらしめるから」
またの機会がありますかね?
もうその人、声出てないんですけど。
「今なら小降りだからそんなに濡れずに帰れるよ。電車止まる前に帰りな」
「本当ですか、じゃあ上がらせてもらいますね」
「気をつけて帰ってね」
「はい、コーヒーごちそうさまでした。お疲れさまでした」
お礼を言って店から出る。
店長ピクリともしなかったな。
心の中で合掌する。
“将来は今日の連続”ねぇ……。
店長の格言を思い出しながら、濡れたアスファルトを歩く。
少しは、ちゃんと生きてみようかな。
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