初めてのさようなら
普通って、何だろうな?
何度繰り返したか分からない問いを、また繰り返す。
僕が普通を知りたがるのは、単純に自分が普通ではないという自覚があるからだ。
幼い時から両親がいない、特定の人物と長く交友が続いた事がない、一つの場所に長く居た事がない。
別にそれを自慢するわけでも、悲嘆するわけでもないが、一般的な育ち方ではないだろう。
だから、自分の常識と世間一般の常識をすり合わせる必要があると感じている。
普通って、何だろうな?
黒の、何の装飾も洒落っ気もない実用性だけのブラジャーとショーツを干しながら考える。
決して、やましい気持ちで触っているわけではない。
これが日常なのだ。ただ、洗濯して干しているだけなのだ。
最初のうちは、洗濯物もそれぞれ自分で分けて行っていたが、暮らしていくうちに自然とまとめてするようになった。
僕が白石さんの下着を干しているように、白石さんが僕の下着を干すときもある。
なんというか、普通のカップルの姿ってこんなんじゃないような気がする。
恥じらいだとか、ためらいだとか、そういった恋における重要なエッセンスがない気がする。
僕のこういう気にしいな性格を、意気地なしだとか男らしくないだとか白石さんは言っているんだろう。
逆に僕から言わせてもらえば、白石さんが男前すぎるだけだ。
もっと段階を刻んで行くべきなんじゃないか?
それとも、僕の恋愛観が幼いだけなんだろうか?
人とのコミュニケーションをサボってきたツケがここにきて出てしまっている。
猥談も恋バナも経験が少ない僕は、この手の分野において何が普通か分からない。
相談できる同性の人間もいないしなぁ。
石井君は鈍感でポンコツだし、小宅君は美大受験に向けてこんな話をしていいような状況ではない。
冬休みは、最後の追い込み期間だ。
早めに合格決まってて良かった、おかげでくだらない悩みに時間を割ける。
一人で考えても仕方がないので、僕の交友関係の中で比較的まともな人間に聞いてみよう。
——————————
「結城さんはどう思う?」
「えぇ、反応に困りますよ。なんで私にそんなこと聞くんですか?」
「結城さんってすごい普通だから、基準にしようと思って」
「貶されてませんか?」
「僕からしたらめちゃくちゃ誉め言葉だね」
結城さんは僕の言葉をそのまま受け取ったようだ。
照れながら頬をかいているエプロン姿は素直で可愛らしい。
僕らは今、ドミシリオにいる。
僕が抜ける後釜を結城さんが埋める形になったようだ。
店長からも奥さんからも可愛がられながら仕事をしている。
素直な人間はそれだけで接しやすいからな、常連のおばちゃんたちも来るたびに彼女にお菓子をあげている。
「それで、普通の恋愛ってどんな感じなの?」
「普通って言われましても、カップルそれぞれになるんじゃないですか」
「それはそうだけどさ、ほら、ある程度定型化しているものってあるじゃない? 初めてのデートは軽い食事だけとか、キスは何回目のデートからとかさ。そういうのを聞きたいんだよ」
「うーん、難しいですね。私も恋愛強者なわけではないので」
「じゃあ、結城さんが考える高校生らしい段階の踏み方を教えてよ。理想の恋愛みたいなのって、普通の人はあるんでしょ?」
「ありますけど、それを村瀬先輩に言うのは恥ずかしいです......」
「今まで勉強を教えてきた礼ってことでいいよ。それに、もう少ししたら僕は卒業だからね、これも思い出作りの一環ってことで、教えてくれないかな?」
「......そこまで言うなら、しょうがないですね。村瀬先輩にはたくさんお世話になりましたから」
ちょろい。
見た目だけなら王子様系でカッコいいのになぁ、どうしてこんな抜けてる性格なんだろうか。
まぁ、そういう性格だから僕も気楽に付き合えている唯一の後輩なんだけども。
あと数か月もしたら会えなくなるのか、少しだけ悲しいね。
「そうですねぇ、最初はやっぱり、手をつないで帰ったり、ファミレスやカフェでゆっくり二人きりの時間を過ごしたいですね」
「まぁ、定番だよね」
「それから仲良くなったら、ムードのある景色を背景に、キ、キスしたりとかして......」
「いいね、青春って感じだ」
「それで、時間が経って好きの気持ちが抑えられなくなってきたら、親がいないタイミングで勉強会とか理由つけて家に呼んだりして......」
「ふむふむ」
「それで、最初はちゃんと勉強するんですけど、段々とムードが出来てきて、それからベッドに......」
言葉が段々と尻すぼみになっていく。
顔も真っ赤になっているし、どうやら脳内の理想の彼氏と最後まで想像しすぎたようだ。
乙女だなぁ。
高校デビューしたって言ってたし、見た目の割りに恋愛経験はないのかもしれない。
白石さんもこれぐらい分かりやすく顔に出してくれれば、僕もやりやすいのに。
……僕が顔に出る方だから、白石さんがあんなに好き放題してるのかな?
今度から表情を抑える訓練でもしよう、少しでも僕が主導権を握れるように。
「まぁ、普通の学生恋愛ってそんな感じだよね」
「うぅ、めっちゃ恥ずかしかった......」
「参考になったよ、ありがとう結城さん」
さて、世間一般の考え方と僕の考え方がズレてないことも確認できたし、雑談はやめて掃除でもしようかな。
本当なら接客なりサイドメニューの作り方なり教えたいんだけど、閑古鳥が鳴いているのでそういうわけにもいかない。
近くの公園で、コーヒーの飲み比べのイベントが開催されているので、今日の客はみなそちらに取られている。
店長も奥さんと出店してるので、店には僕らしかいない。
客も責任者も居ないからいくらでもサボっていいのだが、時給が発生している以上そういうわけにもいかないだろう。
動き出そうとした僕の前に、まだ顔を赤くした結城さんが立ちふさがる。
「まだ村瀬先輩の話を聞いてませんよ! 私だけ恥をかくのはイヤですからね! 私に相談したってことは、さぞ普通じゃない恋愛を白石先輩としてるんですよね!?」
「うーん、やってる事だけで言えば普通なんじゃないかなぁ。順序がおかしかっただけで」
「合鍵交換してる仲ですもんね。私の理想なんて子供らしく聞こえたんじゃないですか?」
「あぁ、合鍵はもう持ってないよ、返しちゃった」
「え? どうしてですか? 仲悪くなっちゃったんですか?」
「同棲してるから」
「え???」
「夏休みからずっと二人暮らしだよ。言ってなかったっけ?」
「初耳ですよ! すっごい進んでるじゃないですか!」
「いや、でもあんまり手をつないだりとかそういうのは無いんだよね」
「えぇ......あ、なにか事情があって二人暮らしとかそういう感じなんですね。じゃあ、あんまりボディタッチとかはないんですか?」
「毎晩一緒に寝てるよ」
「?????????」
「でも結城さんの理想みたいに、二人でファミレスとか行ったことないなぁ」
「......その、キスとかはしないんですか?」
「普通のキスはあんまりしたことないね。一回しかないかも」
「あぁ、そこはそんなに進んでないんで......普通の?」
「白石さんは何故か舌を入れたがるから、唇だけのキスはあんまりしたことないんだよ」
プシューという蒸気音が聞こえそうなほど、結城さんの顔は真っ赤に染まっている。
思考がフリーズしているのだろう、動きが止まってしまった。
本当は適当にぼかしてはぐらかそうと思ったけれど、彼女の反応が面白くてついつい全部話してしまった。
でもやっぱり、彼女の反応を見るからには僕らのあり方は普通じゃないんだろうなぁ。
まぁ、普通じゃないからといって関係性を変えようとかは特にないんだけれども。
普通じゃないことを確認できたならそれでいい。
今度、学校の帰り道とかで手をつないでみようかな。
それぐらいなら、僕にもできるだろう。
僕が小さな決断をしている間に、どうやら結城さんの意識が戻って来たようだ。
「......手はつないだことはあるんですよね?」
「数回は」
「キスは?」
「それも数回かな、カップルらしく毎日とかそういうわけではないよ」
「ハグは?」
「ハグはそんなにないなぁ、もっとした方がいいのかな?」
「ベッドには?」
「毎晩一緒に寝てるよ。白石さんが抱き枕が無いと寝られないらしくて、僕がその役目になってるんだ」
「......その、一線を越えたりとかは」
「それはしてないね」
「村瀬先輩は頭おかしいんですか?」
「おや、ひどいことを言うね」
「どう考えたって普通じゃないですからね!? もっと順序があったり、逆にそこまでいってるならもっと深い仲までいくもんですよ!?」
「やっぱり順序おかしいよね、僕もそう思うよ。いやぁ、結城さんに聞いてよかった」
「......もういいです......村瀬先輩の力になれたならそれでいいです......」
真っ赤になったり、大声をあげたり、元気がなくなったり忙しい後輩だ。
見ていて飽きがこない。
「その、一線を越えたいとかそういう男子的な心はないんですか?」
「あんまりないかなぁ、だって責任とれる年齢じゃないし」
「そこは律儀なんですね......」
「僕はいつだって律儀だし真面目だよ?」
「それを否定できないのが悔しいですね」
僕らが雑談に興じていると、ちりんとベルの音がする。
客が来たのかと思って営業スマイルを浮かべるが、どうやら店長たちが帰ってきたようだ。
いつもより明るい笑顔を浮かべているから、何かいいことがあったに違いない。
荷物をカウンターに音を立てて置いたあとに、見せびらかすように何かを僕らの前に取り出した。
「がっはっは、優勝してきたわ!」
「はぁ、お店もあれぐらい繁盛したらいいのに。二人とも、店番ありがとうね」
どうやら、飲み比べイベントは投票もあったらしい。
会場に訪れた人が一番美味しいと思ったコーヒーが、店長のコーヒーだったらしい。
接客がふざけているだけで、コーヒーは本当に美味しいからな、この人。
結城さんはさっきまでの雑談を忘れて、目をキラキラと輝かせて賞状と店長を見つめている。
……僕がいなくなった後、店長に悪いことを覚えさせられないか不安だ。
実績とか、賞状とかそういうものに弱いからな、結城さんは。
しっかりと教育してから辞めよう。
そう考えて、ふと気づく。
そうか、僕、もうこの店で働けなくなるんだなぁ。
高校一年の時から働き始めたこの店にも、気がつけばたくさんの思い出をもらったものだ。
店長からはコーヒーの淹れ方を、奥さんからはお菓子作りのきっかけを。
常連さんとのやりとりも、白石さんとの思い出もたくさんある。
感慨深いものだ。
思い出に浸っていると、店長が僕の方に向かって誇らしげに親指を立ててくる。
「詠耳、お前に教えてやった人間は、すごい人間なんだから自信もって生きていけよ」
「......自分で言います? そういうこと」
「口にしないとお前みたいな人間には伝わんねぇだろ」
「それもそうですね」
「いつでも顔を出していいからね。こいつも詠耳君のこと心配してたし、私も嬉しいしね」
「奥さんには本当にお世話になりました。レシピ、また教えてくださいね」
高校を卒業をするということに、特に何も考えていなかった。
小学校も中学校も、僕にとって卒業式とはただの学校行事の一つでしかなかったからだ。
ただ、どうやら今回は違うらしい。
僕にも、別れを悲しむだけの積み重ねが出来ていたようだ。
すこしだけ、胸が熱くなる。
この生活の終わりを、ひしひしと感じ始めてきた。
その時、結城さんが何かに気がついたように話しかけてくる。
「あれ、村瀬先輩って二月末までシフトが入ってるから、まだ来ますよね? お別れみたいなムードになってますけど」
「はぁ、結城さんは空気が読めないなぁ」
「凛ちゃん、流れってものがあるのよ」
「凛、お前学校生活苦労してるだろ」
「え!? 私そんなに言われるようなことしましたか!?」
結城さんはからかい甲斐があって可愛いなぁ。
三人で、客がこないカフェで笑い声を上げる。
これも、きっと大事な思い出になるだろう。
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