僕の気持ち
冬も本格的に厳しくなり、気温が零度を下回るような日が増えてきた。
冷えた指をこすりながら、教室でぼんやりと何もすることなく外を見ている。
灰色の雲が太陽を遮って、より寒さに拍車をかけている。
教室には誰もいない。
白石さんも早めに出て行ったから、もしかしたら用事が何かあったのかもしれない。
十二月、受験生にとって正念場となる一か月であろう。
教室で、ぼんやりと白球を追いかける野球部を眺めている人間なんて僕ぐらいだろう。
あぁー、なんかなぁー、しっくりこないなぁー。
特に意味もなく取り出した、シャーペンを分解しては組み立てて手慰みをする。
別に悪いことがあったわけではない。
誰かとケンカしたとか、上手くいっていないとかそういうこともない。
むしろ、おめでたい出来事があったばかりだ。
昼休み、白石さんと二人して職員室に呼び出されて告げられたことを思い出す。
『試験の結果、二人ともS大合格です! いやー、先生一安心ですよ』
喜びは、特に湧かなかった。
もちろん、白石さんと同じ大学に行けることが決定したのは喜ばしいが、何というか拍子抜けだった。
原稿用紙二枚分の小論文と、十分あるかないかの面接だけで全てが決まってしまった。
面接も、最初だけ堅苦しいやり取りをしてあとは世間話をしていたから、面接という感じはしなかった。
なんかなぁ、試験に合格したって気分がしないんだよなぁ。
何のために、必死になって黙々と勉強していたんだろうか。
まぁ、指定校推薦とはそういうものだから別に文句をつけるつもりはないが。
不完全燃焼の気持ちが自分の中に燻っている。
もっと、努力の結果を見せる何かが欲しかったなぁ。
そう思ってから、自分の考えに思わず苦笑する。
自分にこうも、前向きな気持ちが芽生えているとは。
以前までの自分なら、何も考えずに喜んでいただろう。
そもそも、楽するために選んだ受験方式なのだから僕がとやかく言える立場ではない。
カキーンとひと際高い音がした。
冬だというのに汗をたらしながらボールを追う姿が、何故かまぶしく見えた。
(そういえば、真剣に頑張ったことって初めてだったかもなぁ)
白石さんと出会ってから、特に三年生になってからは、ずっと一つの目標に向かって努力してきた。
それが達成された喜びよりも、目標がなくなった喪失感の方が大きいのかもしれない。
これが燃え尽き症候群ってやつなのかな。
『大学に入ってからが本番でしょうに』
僕に呆れるような白石さんの姿が脳裏に浮かぶ。
それもそうだ、やることはたくさんあるのだ。
引っ越し先も選ばなきゃいけないし、店長にも合格したことを報告する必要があるだろう。
黄昏ている暇などないのだ。
ただ、頭で分かっていてもなんとなくやる気が出ないのだ。
机に体を投げ出し、ゆっくりと流れる雲を眺める。
今日から、何しようかなぁ。
「何してるのよ」
頭上から聞こえた声に起き上がると、コートを着た白石さんが立っていた。
帰ったものと思っていたが、学校内にいたらしい。
「空を見てた、一緒に見る?」
「靴が残っているから何をしてると思えば、くだらないことしてるわね」
「おや、僕のためにわざわざ教室まで戻って来てくれたんだ。嬉しいね、愛を感じるよ」
「邪魔するのは忍びないから、先に帰るわね」
「冗談だから、本当に先に帰ろうとしないで」
慌ててカバンとコートを手に持って白石さんの後を追う。
歩きながらコートを羽織る。
白石さんに選んでもらったこのコートも、だいぶ着なれたものだ。
買った時よりも、少しだけ身長が伸びただろうか?
去年よりも袖口から見える手首の部分が多い気がする。
いや、太ったのかな?
食生活がとても改善されたからな。ひょろがりから、がりぐらいにはなったような気がする。
傍から見たら変わらないかもしれないが、僕にとっては大きなことだ。
太れない体質は、それはそれで大変なのだ。
これを白石さんに言うと、鬼みたいに冷たい目で見られるので彼女の前で体重の話はしないけれど。
そんなバカみたいなことを考えていると、白石さんから声を掛けられる。
「何に悩んでいるの?」
「何に悩んでると思う?」
「どうせくだらないことでしょ。大学合格の達成感がないとか、そんなところでしょ?」
「......やっぱり白石さんってエスパーでしょ。よく分かるね」
「朝まで元気だったのに、昼から元気が無いってなったら答えは一つしかないでしょ」
「それもそうか。あ、言い忘れてた。志望校合格おめでとう」
「お祝いはケーキでいいわよ」
「白石さんは、僕へのお祝いは何をくれるのかな?」
「お祝いしてほしいの?」
「そりゃ、祝ってもらえるなら祝ってほしいでしょ」
「合格おめでとう」
「心がこもってないなぁ」
下靴に履き替えて、外に出る。
吐く息が白く染まる。
吹く風が、体の芯まで冷たくする。
寒いなぁ、僕も白石さんみたいにマフラーでも買おうかなぁ。
そう考えながら、ポケットに両手を入れようとした時、白石さんの右手が僕に向かって差し出される。
「寒いわね」
「……そうだね」
「あら、言わないと分からない?」
白石さんの顔は、僕をからかうように楽しげにほほ笑んでいる。
イヤではないんだけど、外でこういうことするの恥ずかしいんだよなぁ。
多分、僕が恥ずかしがるのも分かっていて楽しんでいるんだろうけど。
左手をおずおずと差し出して、白石さんの右手と重ねる。
彼女の細く白い指が、僕の指にしっかりと絡まる。
「村瀬君はいつまで経っても、うぶね」
「しょうがないでしょ、慣れないものは慣れないんだよ」
「一緒のベッドで寝るのは、もう慣れたのに?」
「慣れないと寝れないじゃん」
「……やっぱり、村瀬君は変わってるわ」
はぁと白石さんがため息をつく。
僕は何か、変な事を言っただろうか?
そもそも、人を抱き枕にしないと寝れない彼女の方が変わっていると思う。
寒い冬は温かくて心地よいが、夏は蒸れて寝苦しかった。
最初は自分の汗の臭いが気になったが、特に気にもせず寝る白石さんを見ていたら僕も気にせずに寝れるようになっていた。
人の寝息とか、生活音とかあると暮らし辛いかなと思っていたけれど、今のところそういったこともなく生活できている。
急に同棲することになったときはどうなることかと思ったが、人間どうにでもなるものだ。
「これからどうしようか?」
「別に何も変わらないでしょ」
「今まで勉強してた時間は? もう受験勉強はいらないけど?」
「大学入学がゴールじゃないでしょ」
「惜しいな」
「?」
「あぁ、なんでもないよ」
僕はエスパーにはなりきれないようだ。
セリフ予想は、少しだけ外れてしまった。
「白石さんは真面目だね。一息つこうとは思わないのかい?」
「私はそもそも一般入試で考えていたから、別に何とも思わないわよ」
「でも当面の目標は達成したわけでしょ? それなら、遊びにいったりサボったりするのが普通なんじゃない? ほら、クリスマスも近いし」
僕がそう言うと、白石さんはクスクスと笑っている。
小刻みに揺れる体の振動が、握った手から伝わってくる。
「そんなに私と遊びたいの?」
「え?」
「おねだりしてるみたいよ。僕と一緒に遊ぼうよって」
あぁ、言われてみれば、そういう意味にとれなくもないか。
少しだけ思考して、結論に至る。
試験合格のモヤモヤは、二人でいる時間が減ることの恐れもあったかもしれない。
二人で何かする時間が欲しいのか、僕は。
そう思った瞬間に、心のもやが晴れたような気がした。
別に、目標がなくても、白石さんと居られればそれで僕はいい。
「そうだね、白石さんと遊びに行きたいよ」
大学に合格しようが、不完全燃焼だろうがなんだっていい。
白石さんと同じ時間を過ごせるなら、それでいい。
依存かな? まぁ、そう思うようになってしまったのだから仕方がない。
もしかしたら、これが愛って気持ちなのかもね。
握る手が、強く握りしめられる。
どうやら素直に僕が肯定するとは思っていなかったようだ。
不意を突かれたかのような、驚いた顔をしている。
そういえば、少女チックの方が白石さんには効果的だったな。
言葉を飾らずに、ストレートにいくとしよう。
「ねぇ、クリスマスデートしようよ。別に外出しなくてもいいからさ、二人で居たいな」
「......イヤって言ったら?」
「言わないでしょ。僕が白石さんを好きなように、白石さんも僕のこと好きでしょ?」
「ナルシストね」
言葉のナイフには、いつものような切れ味はない。
マフラーに顔を埋めるようにして、僕の目から表情を隠している。
やはり、素直に思いを伝える方が白石さんにはいいようだ。
格好つけたキスなんてしようとするから反撃を喰らうのだ。
強く、彼女の手を握り返す。
くだらない話をする時間が好きだ。
二人で黙々と勉強をする時間が好きだ。
白石さんのためにお菓子を作る時間が好きだ。
白石さんが僕のお菓子を美味しそうに食べるのを見るのが好きだ。
唐突に、思いが溢れてきて止まらない。
その全てが、白石さんに伝わればいいと思う。
「ねぇ、白石さん」
「……なに?」
「好きだよ」
「......知ってるわ」
「それでも、伝えたいんだ。好きだよ」
「何回も言わなくても、伝わるわよ」
「そうかな、僕は言い足りない気分だけど?」
「もう言わなくていいから」
頬を赤く染め、目をそらす白石さんの姿を見ると、思わず笑みがこぼれてしまう。
なるほど、彼女がいつも僕をからかうときの気分は、こういう気分か。
悪くないな、この気持ちは。
「クリスマス、何しようか?」
「何でもいいわよ」
「投げやりだね。折角なんだから良い記念日にしようよ」
「どうせ、この先何回も来るんだからどうでもいいわ」
「おや、ずっと一緒にいてくれるのかい? 彼氏冥利に尽きるね」
「よく言うわよ、彼氏らしいことなんてしてくれない癖に」
「彼氏らしいことって何すればいいの?」
アパートに着く頃には、教室にいた時の鬱々とした気分はもうなかった。
思いも伝えたし、自分の気持ちも分かったし、晴れ晴れとした気分だ。
そう思っていると、白石さんに引っ張られてエレベーターに乗る。
いつもは階段なのに、今日は楽をしたい気分らしい。
そう思っていると、不意に襟首を掴まれて体勢を崩す。
視界一杯に、白石さんの顔が広がったと思った次の瞬間に、唇に柔らかいものがあたる。
慌てて体を離そうとしたが、腕に強く力を込められて簡単には動けなかった。
白石さんの舌が僕の口にねじ込まれる。
間違って彼女の舌を噛まないように力を抜く。
エレベーターが五階にたどり着くまでの時間、僕はされるがままだった。。
自身の舌に、柔らかく動くものが触れる異物感にどうしても慣れることができない。
蹂躙とは、こういうことをいうのだろう。
ドアが開くときには、白石さんは僕から体を離し満足げに唇を拭いている。
「こういうことをすればいいわ」
「......白石さんは過激すぎる」
「村瀬君が奥手すぎるのよ」
「僕としては、思いを伝えた分行動した方だと思うんだけど?」
「じゃあ、こういう思いの伝え方があるって知れて良かったわね」
「普通のキスじゃダメなの?」
「あら、普通のキスがしたいの?」
「......今日はもういいよ」
「したいことは否定しないのね」
ニヤリと笑う白石さんに対して、僕は何とも言えない表情で睨みつけることが精一杯だった。
今日は、一方的に勝てる日だと思ったのになぁ。
どうやら僕は、白石さんの行動にどこまでいっても勝てないようだ。
白石さんに抗議の意味を込めてじっと見つめると、彼女は体をひねって僕の視線から逃げるようなジェスチャーをする。
「えっち」
「ねぇ、僕襲われた側なんだけど?」
「今日はチーズケーキが食べたいわ」
「無視はひどくない?」
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