年相応の感情
日差しの厳しさが幾分か和らぎ、吹く風に冷たさが混じり始めた。
僕はこの十月の頭ぐらいの気温が一番楽だ。
半袖の上から一枚羽織るくらいの温度感が丁度いい。
昼は暖かく、夜は寝苦しくない涼しさ。
羽虫も消え始め、不意に視界に入る虫に驚くこともない。
海だの花火だのバーベキューだの、レジャーに関心がない僕にとって夏は苦行でしかないからな。
ゆっくりと生活できる、秋の空気が僕には合っている。
「村瀬君、レジャーに行くわよ」
「は?」
その唐突な一言が放たれるまでは、なにも無い素晴らしい秋が来ると思っていた。
白石さんの口から、レジャーって単語が出てくると違和感がすごい。
その白い手には、二枚のチケットが握られている。
いつもより口調に熱が籠っているのは、そのチケットのせいだろう。
一体、何について行かされるのか。
「リンゴ狩りに行くわよ」
「急すぎない?」
「さっき叔父さんから郵送されてきたのよ」
あぁ、リンゴか。
彼女のいつもより高いテンションに納得がいく。
要は、甘味だ。
白石さんはケーキ系が一番好きだけど、果物を使ったデザートも好きだ。
たまに、ショートケーキ用のイチゴをそのまま冷蔵庫からつまみ食いしているのを僕は知っている。
リンゴを使ったレシピ、考えとかないとなぁ。
「まぁ、一息つくタイミングでもあるし、丁度いいか」
丁度今日、指定校推薦の校内選考の結果が出た。
前からその推薦のために努力してきた甲斐もあり、僕は無事推薦を貰えることになった。
一安心といったところだ。
唯一不満点を挙げるとするならば、何故か白石さんも指定校推薦を貰えることになったことだ。
地方であるS大に対して志望者が集まらなかったこと。
一年生の時から成績上位をキープし続け、学校生活も表面上は真面目だったこと。
その二点から、担任が気を利かせて指定校推薦の枠に入れたらしい。
……僕のボランティア活動とかの意味ってあったんだろうか?
勉強の合間合間にこそこそと稼いでいた内申点は、必要だったんだろうか?
ちょっとだけ悲しくなったけれど、二人でいる時間に余裕ができたと前向きに考えよう。
受け取ったチケットを見ると、農園の名前と場所が書いてあった。
「あれ、ここってS大の近くじゃない?」
「そうよ、私が無駄にレジャーしたいだけだと思ったの?」
「リンゴ食べたいだけじゃないの?」
「違うわよ。甘い物に釣られる人間だと思わないで」
どうやら、もう次のことまで考えているらしい。
指定校推薦だと、ほぼ面接で決まるといっても過言ではないし、ちゃんと現地に行って雰囲気を感じ取ることも大事なんだろう。
僕はオープンキャンパスにも行っていないから、ちゃんと現地のことを知っているとアピールできるようにしなければならない。
そう考えると、趣味と実益を兼ね備えた悪くない提案のような気がしてきた。
高校に入ってから県外に出たことないし、いい機会かも。
「これ、いつ行くの?」
「明日」
「明日!?」
唐突な提案に思わず声が出る。
無茶ぶりにも振り回されることにもだいぶ慣れてきたが、さすがに遠出となると話が変わってくる。
リンゴ狩りの経験なんてないのだ、何を用意すればいいかすら分からない。
慌てる僕を楽しそうに見つめる白石さん。
どうしてこんなに余裕そうなんだろうか。
「僕、何も準備してないよ?」
「道具は向こうで用意してくれてるわよ」
「行き帰りはどうするの」
「新幹線の予約も取ってあるわ」
「......僕が行かないって言ったらどうなるの?」
白石さんは無言でチケットを破り捨てるジェスチャーをする。
僕に行かないという選択肢はないようだ。
そもそも、拒否されると思ってもいないようだ。
準備の手際が良すぎる。
移動の手段があって、道具も向こうで用意してもらえるなら、こちらで準備するものもないか。
せいぜい、余った時間に行けそうな観光地を探しておくくらいか?
そういえば僕、あまり観光名所とか知らないな。
各都道府県ごとに名所と名産地を答えてくださいと言われたら、結構分からない場所がありそうだ。
公民のグラフ問題対策ぐらいしか勉強でも出ないしなぁ。
僕がスマホで観光名所を調べていると、白石さんが弾んだ声で話しかけてくる。
「ねぇ、知ってる村瀬君」
「何?」
「今、栗も旬らしいわよ」
「甘いもの食べたいだけじゃない?」
僕の声は彼女に届かなかったようだ。
白石さんにしては珍しく、鼻歌までしている。
はて? そんなにリンゴ好きだっただろうか?
もしかしたら、ただ単に僕と遠出が出来て嬉しいのかもしれない。
そんな調子に乗ったことを聞こうものなら、冷たい目をされるに違いないので口にはしないが。
少しだけテンションの高い白石さんを見て、振り回されるのも悪くはないかと思い始める。
僕もだいぶ、彼女に甘くなってしまったものだ。
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女心と秋の空。
誰が言ったかは知らないが、きっとその人も苦労したに違いない。
横の席に座る白石さんをチラリと見る。
彼女は口を真っすぐに堅く結んで、怒りを露わにしている。
「ねぇ、そろそろ機嫌治らない? 僕が怒られてる気分になってきたよ」
「怒ってないわよ」
「そう? それならもっとお昼の時みたいに笑ってほしいんだけどなぁ」
「村瀬君が笑わせてよ」
「僕にお笑いを求めるのは無理があるよ。一発芸もなにもないんだから、変顔でもしようか?」
「あなたいつも変な顔じゃない」
「それはひどくない? ライン越えの悪口だと思うよ?」
今思えば、白石さんが怒っている姿を初めて見たかもしれない。
一年半、呆れや諦めなどの感情は見たことあるけど、怒りはなかったなぁ。
そう考えると僕は、人を怒らせたことはないのかもしれない。
え、怒らせるだけ人と関わってこなかっただけだって?
正論は何も解決してくれないよ。
今は怒っている彼女の気持ちをなだめなきゃいけないんだ。
まぁ、怒っている理由は分かっているんだけれども。
対人関係の慣れなさがここにきて祟っている。
怒っている人間のなだめ方など僕は知らない。
『気にしてもしょうがないよ、切り替えよう』
なんて口にしたところで、火に油を注ぐだけだろう。
はあ、変な事になったものだ。
新幹線の柔らかいシートにもたれかかり、今日一日を振り返る。
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