閑話 雪のあの日から
トンネルを抜けるとそこは雪国であった。
なんてことはなく、夜行バスに乗って気がついたら駅に着いていた。
観光目的の外国人客が多く、登山用のリュックサックをバスのトランクから取り出す姿があった。
周りと比べて、こじんまりとしたリュックを持ち、あてもなく歩き出す。
土地勘もなにも無い場所だ、どこに向かって歩けばいいのか分からない。
決まっているのは、終わり方だけだ。
階段を上がると目の前には海が広がっていた。
海のない県に生まれたから、生で見るのは初めてだったが、特に何の感慨も湧かなかった。
思ったよりも、潮の香りというものはしないらしい。
降りしきる雪が、際限なく海に溶けて消えていくのを数分だけ眺めて、後にした。
海が見えたということは、真逆の方に向かって歩けばいいのか。
リュックを背負い直すと、カチンとカバンの中で何かがぶつかる音がする。
その音に、自分がこれからすることを自覚して乾いた笑いがこぼれる。
どうせなら、もっと高い物を買えばよかったな。
そんなしょうもないことを考えながら、またトボトボと歩き出した。
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駅から三時間ほど経っただろうか。人気のない、山に続く道を一人で歩く。
たまにすれ違っていた車も、道中にあったスキー場を越してからはトンと見かけることはなくなった。
一度だけパトカーとすれ違った時は生きた心地がしなかったが、特に声を掛けられることもなくやりすごせた。
坂道を上り続けると、車道を封鎖する門が見えてきた。
冬の時期は事故防止のため、時間帯によって通行禁止になるようだ。
その道を、歩き続けるのはさすがに怪しまれるだろう。
この辺りが、頃合いか。
周辺を見回して、自分以外の人間がいないか確認する。
雪がこんこんと降り続き、自分の呼吸する音以外は何も聞こえない。
半ば雪に埋まったガードレールに手をかける。
何も舗装されていない、白にそまった山道だけが視界に写る。
これが、引き返せる最後の一線だ。
そう思った時に、腹の底から笑いが込み上げてきた。
引き返す、どこに?
自分を金だとしか思っていない親戚の家にか? 腫れ物のように扱ってくる学校にか?
自分が好きだった居場所、居たかった場所はもうありはしないじゃないか。
「あはははは! もうどうでもいいんだった!!」
思いっ切り力を入れてガードレールを飛び越える。
ざくりざくりと、真新しい雪を汚しながら転がるように斜面をくだる。
とてつもない高揚感と、どうしようもない虚しさが胸の中でぶつかりながら軋みをあげている。
気のすむまで雪をまき散らしながら歩き疲れる頃には日が暮れて、夜のとばりが落ちていた。
吐く息は白く、気温の低さを物語っている。
これなら、死ねるだろう。
雪の上で大の字に寝ころんだ。
月明かりしかないこの場所では、星が綺麗に見える。
綺麗に見えたところで、何かが変わるというわけではないが。
歩き回ってかいた汗が冷えてきて、ガチガチと歯がしきりに震えている。
起き上がり、かじかんだ手でリュックサックのジッパーを開ける。
市販の睡眠導入剤と、コンビニで買った瓶の酒を取り出す。
リュックの奥にはまだ物が入っているけれど、それは最終兵器だ。
理想は、凍死だ。
もし早めに親戚から捜索願が出されたならば、警察が捜索しに来るだろう。
その第一発見者が見つける死体が酷い様相であったならば、トラウマになってしまうだろう。
それは僕の望むことではなかったので、綺麗なまま死体が残るように死に方を考えた結果凍死になった。
瓶の蓋を開けて、そのままラッパ飲みをする。
鼻を突きぬけるアルコールの匂いと、喉を焼くような感覚。
どうしてこんなものが全世界で流行っているんだろうか。
むせながらも、自分が飲めるだけ飲む。
死にたいと願いはしたが、さすがに死への恐怖がないわけではない。
理想は、眠るように死んでいくことだ。
アルコールと薬で感情をぼやかして、消していく。
震えが収まってきた、いや、感じなくなってきたのかな。
ぐらりと回る視界に、アルコール臭い自分の息がおかしくてまた笑う。
「あっははははは!......はぁ」
まだ中身の入っている瓶を投げ捨てて寝転がる。
まぶたが重くなる。
きっともう起きることはない。
それがいい。
どうでもいい。
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とてつもない頭痛に襲われながら目を覚ます。
体の感覚はなく、何か異様な臭いが鼻につく。
これが、あの世かと一瞬思ったがそうではないようだ。
視界の先を、薄紫色の淡い光が差し始めている。
あぁ、死ねなかったんだな。
そう思ってからの行動は早かった。
震える手と、揺れる視界の中、手探りでリュックを探る。
ざらりとした感触のそれをバックから取り出して眺める。
最終手段であるそれは、木に括り付ければ役割を果たすよう、あらかじめ縛り目が作られている。
力が入らない体に無理を言って立ち上がる。
辺りを見回しても、降りしきる雪の季節では手頃の枝が無く、体重を支えられそうにないものばかりであった。
太い木の枝があっても、足場がないのでどうしようもない。
最後まで、僕は間抜けのようだ。
仕方がないので、手の届く範囲で一番太い木の枝に固結びをする。
随分と貧相な絞首台であったが、お粗末な自分にはお似合いだろう。
首をロープに嵌めて、結び目がほどけないか確認しようとした時、足場の雪が崩れ落ちてそのまま首が絞められる。
体が浮き、全体重が首に掛けられる。
唐突な出来事に脳が処理できず、足がじたばたと動いて雪を蹴散らしている。
息ができない苦しみは長くは続かず、段々と意識が朦朧としてくる。
今度こそ、死ねるんだな。
反射的にもがいていた体が止まり、意識が黒に染まり切る直前。
パキリと乾いた音がした。
雪がクッションになって、落ちた体に痛みはない。
ただ、息苦しさと虚しさだけが満ちていた。
「ははっ、どうしようもないや」
落ちた衝撃でポケットから落ちたスマートフォンを拾い上げて、サイドボタンでカメラを起動する。
インカメラに写った自分は、汗と涙とよだれでベタベタになり、どうしようもなくみっともないものだった。
その無様な顔に、思わず笑いが込み上げてくる。
パシャリと自撮りをして、力なく四肢を投げ出す。
あーあ、楽になりたかったなぁ。
どうしようもない気持ちで空を眺めていると、誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。
死に損なった僕に、死ぬ機会はもうないだろう。
死への恐怖が、しっかりと僕の精神に根付いてしまった。
あぁ、上手くいかないものだ。
誰かが駆け寄ってくる足音から逃げるように、意識を手放した。
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パチリと目を覚ます。
じんわりとイヤな汗が体にまとわりつき、シャツがへばりつく。
あぁ、久しぶりに昔の夢を見た。
結局、死にきれなかった僕はバックカントリー中の外国人に保護されて、警察にしこたま説教されて家に帰された。
僕の奇行によって、ほとんどの親戚が僕から遺産を引き出すことを諦めて、厄介払いされるようにオッサンの家に送り出された。
まだ五年も経っていないというのに、ずいぶんと昔のように感じる。
「あら、気分の良さそうなお目覚めね」
「......あぁ、白石さんか。天国の女神かと思ったよ」
「天国に行けると思っているの? 自惚れよ」
「そうかな? 割と自分のことを善人寄りだと思ってるけどね」
凛とした声に、頭が目覚め始める。
あぁ、だいぶ寝坊したな。
特に約束をしているわけではないが、白石さんが起きてからずいぶんと時間が経っているのだろう。
起き上がりながら自分の首をさする。
ロープによってついた痕は三日も経たずに消えてしまったから、今はもう何も残ってないのだけれど、夢を見た時は少し心配になってしまう。
僕のその動作を白石さんが食い入るように見ていることに気がつく。
「もしかして、僕寝てる時になんか言ってた?」
「別に」
「あぁ、そう。それならよかった」
「村瀬君は何もしてなかったわ」
「……ん? 僕は?」
「ねぇ、甘いものが食べたいわ」
「えー、あー、一旦シャワーだけ浴びさせてもらっていい?」
「いいわ、部屋で待ってるから」
何か誤魔化されたような気がするけど、考えても仕方がないか。
女王様がお待ちだ、さっさと準備をしておもてなししなければ。
「ねぇ」
リビングから出て行こうとした白石さんが僕に声をかける。
「あとで、首触らせてよ」
「......僕の首、そんなに触って面白い?」
「面白いわ、生殺与奪の権が私にあるって考えると楽しいもの」
「僕にメリットが無いんだよなぁ」
「私の傷跡を触らせてあげてるじゃない。面白くもなんともないでしょうに」
「そう? 人肌って安心するっていうじゃん」
「別に右腕じゃなくてもいいでしょ」
「じゃあ他のところ触ってもいいの」
「えっち」
「どうしてそうなるかなぁ」
「早く準備してちょうだい」
そういうと、扉の向こうに消えて行ってしまった。
これは、傷のなめ合いって言っていいのかな?
お互いの過去の苦しみを、今でマーキングするように触り合う。
僕は触られるのは嫌いではないし、白石さんもイヤではないのだろう。
うーん、倒錯的だ。
普通のカップルってもっと、ハグとかキスとかそういう感じじゃないんだろうか。
まぁ、付き合ってるわけではないけれど。
おっと、バカなこと考えないで早くしないと。
慌ただしく準備する僕の頭にはもう、夢の記憶など残ってはいなかった。
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