将来の夢、好きなこと
「えぇ、皆さん今年は三年生ということで、勝負の年になります」
ガッチガチに緊張した先生が壇上で喋る。
僕らの年に先生としてデビューして、今年も担任を受け持つようだ。
つまり、初めて三年生を担当することになる。
「進学にしろ、就職活動にしろ、早め早めの活動が大事になります。気軽に先生に相談してくださいね」
僕達を安心させるために浮かべたであろう笑顔はとてもぎこちない。
あんまり自覚はないけれど、僕たちは人生の岐路の一つに立っているのだろう。
先生は人生の先輩として、また学生を指導する立場として僕らに思うことがあるのだろう。
大変だなあ、先生って。
大げさに言ってしまえば、先生の言動一つで人生が変わる人もいるだろう。
僕は人の人生に責任を負える生き方をしていないので、教師という生き方を選択した人を尊敬する。
そこまで考えて教師になったかどうかは知らないけど。
配布物を整理しながら、これからの生活を考えてげんなりする。
もっと春休みに遊ぶべきだったかな?
結局、バイトと勉強とお菓子作りしかしていない休みになってしまった。
白石さんに花見を誘ってみたが、断られて行かなかったし、行事らしいことはしていない。
『桜に興味あるの?』
『別に』
『じゃあ行かなくてもいいじゃない』
『そうだね』
風情も何もない会話だ。
結局、僕の家で二人して黙々と過ごしていた。
変わったことは特に何もない二週間だった。
ドミシリオに生徒会メンバーが来たくらいか。
ボランティアで僕のバイト先がバレたからな。
渾身の営業スマイルを見せつけてやったら、石井君と一ノ瀬さんはツボって大笑いしていた。
僕が笑うことがそんなに面白いか?
見せ物小屋の住人になった気分だった。
結城さんだけ、尊敬の目で見ていたが、それはそれでむず痒い物であったが。
「最後に、来週に進路相談を実施するので今から配る進路希望調査票を記入して持ってきてくださいね」
プリントが前から配られる。
進路ねぇ、去年は何を書いたっけ。
教室で白石さんに相談に乗ってもらったことは覚えている。
ぼんやりと大学進学に備えて勉強もしてきたが、特に行きたい大学とか無いしなぁ。
「皆でいっぱい悩んで、いっぱい協力して、この一年乗り切っていきましょう!」
先生が精一杯の明るい声でクラスを元気づける。
クラスメイトも各々返事をして、教室が活気づく。
そうだ、去年白石さんに将来の夢を教えてもらったように、今年は他の人にも聞いてみようかな。
一年かけて、僕にも話せる人間は増えたからな。
たまには、僕から話しかけてみてもいいだろう。
風が教室を吹きぬける。
春というには、強い陽気が教室を照らしていた。
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Case 小宅君の話
「小宅君は、もう進路って決まってるのかい?」
委員会の時間、二人で並んで花壇の雑草を抜いている。
春から夏にかけては、緑化委員は少し忙しい。
花壇の準備をして、植える花を決めて、デザインをクラスで決めて、毎日水やりをする。
僕はただの委員だから言われたことをするだけだからいいけど、委員長になった小宅君は忙しいだろうなぁ。
長時間かがんで辛くなった背中を伸ばしながら、休憩も兼ねて雑談をする。
「やりたいことは、ある」
「行く大学とかも決まってるの?」
「あぁ」
言葉少なに、だけれどハッキリと彼は言い切る。
慎重な小宅君が断言するのだ、どうやら相当強い決心があるようだ。
「何になりたいの?」
「イラストレーターに、なりたい。美術の、大学に行く」
「へぇ、知識がないからすごい雑な返しになっちゃうけど、美術の大学って大変そうだね。勉強だけできても入れなさそうだ。どうしてイラストレーターになりたいか聞いてもいい?」
そう質問すると小宅君は一度深呼吸をしてから呟いた。
「コンプレックスだ」
「おや、前向きな考え方ではないね。てっきり、アニメとか漫画が好きだからその道に行こうと思ったのかと」
「それも、ある。ただ、自分が、何も生み出せない、人間なのが、嫌だから」
「あぁ、その考え方は分かるな。生産者側の人間になりたいんだよね。僕も漫画とか小説を書けたら、人生もっと華やかになるのかなって考えたことあるよ」
消費者でしかないことに対するコンプレックスは僕にも分かる。
イラストが描けたら、文章を書けたら、歌が上手だったなら。
そう考えることは誰しもがあるだろう。
「こんな、自分でも。誰かの、何かに、なりたいんだ」
「いいね、応援してるよ。聞かせてくれてありがとう」
「……人に、話せて、俺も、すっきりした」
少しだけ和らいだ表情を見るに、夢を語るのに緊張したのだろう。
明るい理由でないことから、否定されると思ったのかもしれない。
僕は否定はしない、自分なりの考え方があるだけ立派だと思う。
休憩は終わりだ、二人してまた、黙々と雑草を抜く作業に戻った。
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Case 石井君と一ノ瀬さんの話
「二人って将来の夢ってもう決まってるの?」
「村瀬君からそういう話題を振ってくれるのは珍しいね」
「暇だからね」
校長室の真横にある、応接室の高そうなソファに三人で横一列に座る。
なんでも、三学期にしたボランティアに対する感謝状の贈呈があるんだとか。
地域振興の一助として長年のボランティア活動が評価されたとかなんとか。
生徒会の二人が選ばれるのはいいとして、どうして部外者の僕まで呼び出されたのやら。
指定された集合時間に余裕をもって来たので、お喋りをする時間がある。
「僕は夢とかは決まってないかな。大学はT大に行こうと思っているけど」
「意外だなぁ、石井君はもっとしっかり将来の夢とか決まってると思ってた」
「人助けのできる職業に就きたいとは考えているけどね、それだけしか決まってないかな」
さらりと最難関大学の名前を出して、恥ずかしそうに頭をかく石井君を見る。
まぁ、行けるんだろうなぁ。
石井君は学校のテストより、本番の受験対策をしているらしい。
それで一桁順位が取れるんだからすごいよなぁ。
「アタシはねぇ~、お嫁さん~!」
「アーハイハイスゴイネー」
「もっと真剣に話を聞いてよ~」
「あはは、陽菜はいつもそればっかりだな」
誰の? とは聞き返さない。
失敗ばかりのこの軽口も、一つだけ学習したことがある。
一ノ瀬さん相手に迂闊な事を聞いてはいけない。
聞かなくても話してくるのだ。
石井君、朗らかに笑っているけど相手は君だよ。
明朗快活、容姿端麗、スクールカーストのてっぺんに立つこの生徒会長様は、どうやら人の心の機微にはいささか疎いらしい。
どうして自分が彼女いないのか、考えたことないのかな。
あは~、と可愛らしい間の抜けた笑顔を浮かべる彼女がずっと、ずっとカットしていることに気がつくのやら。
このお嫁さんという宣言も、多分本気で言ってるんだろうなぁ。
僕を巻き込まなければ、インモラルだろうが何だろうが勝手にやってくれ。
南無南無と、心の中で石井君に対して念仏を唱える。
「おっと、どうやら来たようだ」
「あは~」
「どうやって分かったの?」
「雰囲気~」
「そっかぁ」
僕より早く二人が立ち上がる。
しっかりと耳をこらせば、足音が聞こえるがそんなに早く聞こえるものなのか。
遅れて立ち上がる。
基本的な人間性能が違い過ぎるな、参考にならん。
ドアを開けた人物を見て、どうして自分が呼ばれたのか理解した。
「今日は、君のコーヒーは飲めそうにないな」
「お話を聞いてもらったお礼をしたいんですけどね、前もって教えてもらわないと準備は出来ていないですよ」
「はは、ビックリしたかね?」
「ええ、とても」
丁寧にセットされた白髪と、ピンと伸びた背筋は老練の余裕を醸し出している。
人との再会は思いがけないタイミングで来るものだ。
まさか木下さんが、お偉いさんだったとは思ってもいなかったな。
贈呈式は、終始穏やかな雰囲気で終えることができた。
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Case 白石さんの話
「なんというか、一週間早かったなぁ」
「オリエンテーションばっかりだったもの、来週から本格的な授業が始まるから準備しときなさい」
「白石さんは余裕ありそうだねぇ。僕はなんか、疲れたよ」
「なんで何もしてないのに疲れてるのよ」
「白石さん知らないの、生きているだけで人間は疲れるんだよ? もっと労ってもらわないと困るなぁ」
「その理論で言ったら、私も労ってもらえると思うんだけど?」
「キャパシティは人それぞれだから。僕は貧弱だから人よりたくさん労ってもらう必要があるのさ」
「それ、外で言わないほうがいいわよ」
フォークでケーキをつつきながら他愛もない会話をする。
春休みになってから、読書部屋の棚には参考書が多く並んでいる。
おかしいな、読書に集中するために作った部屋なのに、勉強ばかりしている気がする。
僕にとって悪いことではないけれど、白石さん的にはどうなんだろうか。
指摘して家に来る頻度が減っても嫌なので口にはしないが。
「そういえば、白石さんって行く大学は決まってるの?」
「S大に行くわ」
「おや、県外だね」
聞き覚えのある大学名だ。
学力的には最難関という訳ではないが、受験に詳しくない僕でも聞き覚えがあるので偏差値は低くないだろう。
もらったプリントにも進学実績が書いてあった大学だ、確か指定校推薦もあったような気がする。
しかし、県外か。
なんとなく、この家から通えるような大学だと思っていたが、そんなわけはない。
当たり前だが、別れはくるのだ。
「じゃあ、来年にはもうこの部屋はないのかな」
なんとなく呟くと、白石さんは少しビックリしたような表情をしていた。
ケーキを食べる手が止まっているから、相当驚いたようだ。
何か変な事をいったかな?
「どうしたの?」
「......村瀬君のことだから、ついてくると思っていたわ」
「あぁ、そういうこと」
どうやら彼女も僕との別れは想定していなかったようだ。
出会いから今まで、僕が付きまとっていたからなぁ。
お互いにお互いが、日常に組み込まれているわけだ。
「逆に、大学付いていくって行くって言ってもいいの?」
「それはあなたの進路次第でしょ」
「まぁ、それはそう」
「一年経ったけど、なりたいものは見つかってないの?」
「ぼんやりとは決まってるけど、大学までは決めていないんだよね」
「そう」
そう言ってまた、ケーキをつつく作業に戻ってしまう。
その日は、それから大した会話は起きなかった。
いつもより遅い時間になってから帰った白石さんを駅まで送ってから、ぼんやり星空を見上げる。
やりたいこと、なりたいもの、していて楽しいこと、好きなこと。
何が、自分にとって大事なのかな。
『もっと、簡単に生きたら?』
過去の白石さんの声がフラッシュバックする。
簡単、ね。
難しい話だ。
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Case 自分の話
土日の休みの日には、白石さんは僕の家に来ることはなかった。
珍しくカフェも二日間休店していたため、一人でゆっくりと将来について考える時間ができた。
一枚のプリントをひらひらさせながら、僕は屋上へつながる階段に向かう。
いつものように、一人で座っている白石さんに話しかける。
「ご一緒してもいいかな?」
「イヤって言ったら?」
「悲しくて泣いちゃうね」
「じゃあイヤよ」
「それじゃあお邪魔するね」
「泣きなさいよ」
白石さんの言葉を聞き流しながら彼女の横に腰かける。
いつもより、意識的に近い位置に座る。
左側に座る彼女の熱が、感じられるほどに近く。
「大学の話なんだけどね、僕もS大に行きたいよ」
「......それはどうして?」
「色んな人の話を聞いたけど、進路希望ってたくさんあってさ。ネガティブな感情から選ぶ人もいたし、あいまいな理由で選ぶ人もいたし、何で選ぶのが正しいのかなぁって考えたんだけど」
僕の話を、静かに、ただしっかりと聞いてくれる白石さんに向き合う。
「白石さんの言葉に従うことにしたよ」
「私の?」
「ほら、簡単に生きたらってやつ」
「あぁ、言ったわね」
「一番シンプルな感情に従うことにしたよ。白石さんといると楽しいから、白石さんと同じ大学に行きたいな」
「......あなたの夢に関係ない大学かもしれないわよ」
「大丈夫、ちゃんと調べたから。ほら」
手に持った進路希望調査票を白石さんに渡す。
本当は朝に提出する必要があったけど、彼女に見せるためにわざと出さないでおいた。
「S大の経営学部?」
「そう、僕も店長を見習って、カフェを作ろうかなって思ってね。そのお勉強のために経営学部ってわけ」
好きな事、それを考えた時に思いついたのは、僕のお菓子を美味しそうに食べる白石さんの顔だった。
もっと、その顔を見ていたい。
簡単な理由だ。
「大学でも、僕が作るお菓子を食べてもらえるかな?」
「......ふふ、大学に受かってから言いなさいよ」
「そのための家庭教師の白石さんでしょ」
「そうね、しっかりと教えてあげるわ。その分、デザートも期待してるわよ」
楽しそうに笑う彼女の顔を見て、僕もつられて笑顔を浮かべる。
たまには、僕も簡潔にいこうかな。
「ねぇ、白石さん」
「なに?」
「好きだよ」
最近まで自覚していなかった感情に、名前を付けるなら恋だろう。
もっと一緒に居たいし、もっと一緒に笑いたい。
僕の一世一代の告白を、白石さんは腹を抱えて笑い飛ばす。
「うふふ、あはは!」
「ひどくない? 真剣に言ったのに」
「だって、うふふ。今まで気がついてなかったの?」
笑い過ぎて涙を拭う彼女は、初めて見る表情だった。
こんな風に、笑うこともあるんだな。
「今までどういう気持ちで私と居たのよ」
「えー、落ち着くなぁぐらい?」
「情緒が子供すぎるでしょ」
「仕方ないでしょ、そういう生き方になっちゃったんだから」
ようやく落ち着いたのか、ふぅと息を吐く白石さんが僕と向き合う。
彼女は僕に近づいて、両手を首にかけてくる。
人肌の温もりと、心地よい圧迫感。
「本当に私でいいのかしら?」
妖しく笑う彼女にほほ笑み返す。
されてばっかりは悔しいからな。
僕の首にそえられている白石さんの右腕の制服とカバーをめくり、彼女の傷跡に触れる。
「君がいいのさ」
「......変わり者なのね」
「お互い様じゃないかな」
お互いに、お互いの過去の傷跡を触れながら見つめあう。
ちょっと倒錯的かもな。
触れた肌の温もりと、楽しそうに笑う白石さんを見てそう思う。
まぁ、僕ららしいか。
「次は何食べたい?」
「チーズケーキがいいわ」
「好きだねぇ、チーズケーキ」
「村瀬君も好きよ」
「......そうかい」
「ふふ、真っ赤ね。見てるこっちまで赤くなりそうなほど真っ赤」
顔を赤くした白石さんが僕を笑う。
いつか、慣れる日がくるのかなぁ。
その日がくるまで、白石さんには付き合ってもらおう。
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