重なる
「いやはや、良い式だったね白石さん」
「思ってもいないことを口にする癖はやめた方がいいわよ」
「本当に良い式だったと思うよ。いくつになっても、人が泣いている姿は感動的じゃないか」
「あなたが言うと、サイコパスみたいなろくでもなさがあるわね」
開け放たれた窓からは暖かい風が流れ、カーテンを優しく揺らしている。
ずいぶんと春らしくなったものだ。コートを着ていると暑さすら感じる陽気だ。
窓の方をちらりと見ると、抱き合う生徒や写真を撮りあう生徒たちで校門前は人だかりが出来ている。
今日は卒業式、在校生と卒業生が学校で会える最後の日だ。
本当は生徒たちで混み合う前に帰るつもりだったのだが、提出物の記入漏れで職員室に呼び出されていて帰れなかった。
僕が教室に戻ってくる頃には校門は賑わっており、教室では一人静かに白石さんが本を読んでいた。
いつでもマイペースだなぁ。
それとも、僕を待っていてくれたのかな?
「白石さんは帰らないのかい?」
「あの人混みの中に入って行きたくないでしょ」
「混む前に帰れば良かったのに」
「歓迎の準備で皆走って行ったから無理よ。大人しく教室で時間を潰している方がいいわ」
「ていうか、白石さんも気にするんだね。私関係ないからって顔で人混み突っ切って帰るイメージがあるよ」
「卒業式の日くらい空気を読むわよ」
「やっぱり、普段は読んでないんだ」
「揚げ足取りは嫌われるわよ」
いつものように意味のない会話を繰り広げる。
僕が教室に戻ってきてから、白石さんは本をカバンにしまって僕の話に付き合う姿勢を見せている。
出会った最初の頃は無視されることも多く、会話にならない時もあったことを考えると、だいぶ仲良くなったものだ。
僕が初めて彼女の傷を見てから、僕が初めて他人に自分の過去を晒してから、一年が経とうとしている。
時の流れは早いものだ。
惰性で生きてきた日々が、一人の出会いでこうも変わるとは。
「そういえば、僕らが出会ってそろそろ一年になるね。たくさんのことがあったね、白石さんは覚えているかい?」
「脅されて、付きまとわれて、抱きつかれて、勝手にベッドに入られて、心を弄ばれた一年だったわ」
「最後のは絶対に嘘じゃん」
「最後の以外は認めるのかしら?」
「この話はなかったことにしようか。僕らの一年は特に何もなかったということで」
最近知ったことだけど、同じ事実でも切り取り方で意味が真逆になるらしい。
僕をよく知らない人から見たら、僕は真面目で勉強家で恋愛強者らしい。
僕のクラスメイトから見たら、僕は陰キャで悪女に振り回される哀れな彼氏らしい。
白石さんから見た僕は、今言われたように散々な人間のようだ。
違う、と声を大にして否定できるほど心当たりがないわけではないのが、なんとも辛い。
だいたい事実だしなぁ。
勝手にベッドに入ったことは不可抗力であるし、身の潔白のために否定したいところではあるが。
白石さん視点だと、起きたら横で僕が寝ていることだけが動かぬ事実だからなぁ。
「こう、もっと楽しかったことを思い出したりとかしないの?」
「楽しかったことなんてあったかしら?」
「カフェで勉強したり、水族館行ったり、色々して僕は楽しかったけど」
「そうね、色んな場所に行ったわね」
「僕にとっては、結構いい思い出なんだけどなぁ。白石さんにとっては大したことはなかったかい?」
「悪くはなかったわよ」
「素直に楽しかったって言ってもらえると嬉しいんだけどね」
「調子に乗るでしょう、村瀬君は」
「僕が調子に乗ったことが今まで一度でもあるかい?」
「文化祭のあの行動は、正直調子に乗ってやったでしょ?」
「......この話はなかったことにしよう」
「私で良かったわね、他の人ならセクハラよ」
「白石さん以外には抱きついたりなんてしないよ」
「愛の告白みたいね」
「このやりとりも、懐かしいね。ねぇファムファタル」
燃え盛るキャンプファイヤーを眺めながら、教室で踊った夜を思い出す。
あの日にもらった王冠は読書部屋に置いてある。
たまに白石さんが王冠を被って耳たぶを指さして僕をからかってくる。
『あなたに同じことができるかしら』と煽ってくるように見てくるので、いつか本気でやり返してやろうと最近思っている。
男は怖いと分からさせてやらねばならない。
今のところは、僕が赤くなって、白石さんに笑われて終わるだけだけども。
「あなたはいつになったら私を本気にさせてくれるのかしら?」
「......料理のできる男はモテるらしいよ?」
「そう、それで? お菓子以外はまだ私の方が美味いわ。勉強も私の方が上ね」
「......どうしたら本気になってくれる?」
「そこで直接聞いてくるのが情けないわね。まぁ、村瀬君らしくていいけれど」
「この会話もなかったことにしよう」
こういったからかい合いで僕が勝てる訳が無いのだ。
くすくすと笑う彼女に向けて、苦い顔をする。
笑う姿をよく見るようになったが、たいていは僕が恥をかいている時だ。
信頼なのか、滑稽なだけか、判断に戸惑うところではある。
一段と大きな歓声が窓から聞こえてくる。
サッカー部だろうか、どこかの部活がチャントをしているようだ。
春風に吹かれて、声が彼方まで響いている。
そろそろ終わりなのか、二次会への移動なのか、ちらほらと人が減ってきている。
僕らもそろそろ帰れそうだ。
最後に、一つだけ白石さんに問いかける。
「よくさぁ、春のことを恋の季節って言うじゃない?あれってなんでなんだろうね?」
それは、初めて白石さんへ僕から話しかけた言葉。
あの時は素っ気ない返事をされてしまったが、今はどういった返事をしてくれるかな。
「心当たりはないの?」
予想もしていない返事に、虚を突かれる。
僕に向かって右腕を伸ばし、胸元に手のひらが触れる。
制服越しに、ぬるい体温が伝わる。
「初めて私に話しかけた時の感情は、どうだった?」
「......恋ではなかったと思うよ」
「あらそう。ふふ、すごい鼓動」
「悪かったね、純情なんだ。美少女に触られると緊張するんだよ」
「最初の頃はそうでもなかったのにね」
笑いながら彼女の手のひらが胸を伝いながら首元まで上がってくる。
柔らかい指先が、僕の肌に直接触れて熱を伝えている。
軽い圧迫感とともに、言いようのない安心感が湧いてくる。
僕の喉を触ることに何の意味があるのか分からないが、白石さんが楽しそうなのでとりあえずされるがままになる。
あれかな、猫とか犬の首を触るような感覚だろうか。
傍から見たら、ひどい絵面だ。
痴話げんかかな?
少ししてから、満足したのか彼女の指先が僕の首から外れる。
感じていた温もりが消え去り、名残惜しさを感じさせた。
「+50点ね」
「そんなやりとりもあったね。今、何点あるんだい?」
「さぁ、60点とかじゃない?」
「ほとんど今日の点数じゃないか」
「日々の努力が足りないのよ」
「点数制そのものを忘れてたくせに。それより、白石さんの答えを聞いてないよ。どうして春は恋の季節なんだと思う?」
「人との出会いが多い時期なだけでしょ。偶然の出会いを恋だと思いたいだけよ」
「相変わらず、夢がないね」
ため息をついて立ち上がる。
校門の人だかりも解消され、今ならスムーズに帰れそうだ。。
「村瀬君の意見は?」
白石さんもカバンを持って立ち上がりながら僕に問いかける。
去年の僕は何と答えたかな。
少なくとも、今の僕とは同じ結論ではないだろう。
「一人ぼっちだと、寂しいからじゃない? 手のつなげる誰かが居て欲しいのさ」
「ずいぶん可愛らしい意見だこと」
そうだ。今、仕返ししてみようかな。
ふと、そう思い立った。
「下駄箱まで、エスコートさせてもらえるかな?」
カッコつけて、優雅に見えるように左手を彼女の前に差し出す。
最初は驚いていた様子だったが、こらえきれないと言った様子で声をあげて笑い始めた。
「うふふ、寂しいんだ?」
「あぁー、そういう意味じゃなかったんだけどな」
「しかも下駄箱までって、人目を気にし過ぎじゃない? カッコよくないわよ」
「嫌がるかなぁって気遣いだよ」
いつもより砕けた口調になった彼女は、キレイに整った顔をくしゃっと歪めて大笑いしている。
うーん、慣れないことはしない方がいいなぁ。
そう思っていると、左手が熱を帯びた。
白く、細く、さらさらな指が僕の指に絡みつく。
「それじゃあ、エスコートしてくださる?」
妖艶にほほ笑みかける彼女に、少しだけドキリとする。
相も変わらず顔が良い。
「照れるならやらなきゃいいのに」
「うるさいなぁ、たまにはカッコつけてみたっていいじゃないか。白石さんが照れると思ったんだよ」
「ふふ、相変わらず初心ね。手汗、すごいわよ」
「それって言わなくてよくない? すごい恥ずかしくなってきたんだけど」
「ほら、エスコートしてちょうだい。村瀬君が思い描くカッコよさでね」
「あぁー、言うんじゃなかった」
白石さんの右手を引いて、先に歩く。
いつもより狭くした歩調がバレないように、ゆっくりと動く。
「春休みは、どうエスコートしてくれるの?」
「知らない、エスコートなんてしない」
「あら、つれないわね」
「人の努力を笑う人は嫌いなんだ。減点方式より加点方式で褒めてほしいのに」
「褒めてほしいの?」
「あー、うるさいうるさい」
「ふふ、寂しくはなくなったでしょう」
「今日の話は全部なかったことにしよう」
いつもより、長い時間をかけて廊下を歩く。
暖かい風が、吹き抜けて土の匂いを運んでいる。
もう、春はすぐそこまで来ているらしい。
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