テセウスの僕
「普段と違い過ぎて気持ち悪いわ」
パンケーキとコーヒーを満喫し終わった彼女は、開口一番に僕に暴言を吐いてくる。
不満でもあるのだろうか、店に入ってきたときは上機嫌だったのになぁ。
パンケーキを食べた時なんて目をまんまるにしてたのに。
あれかな、実は甘いもの好きじゃないのかな。
コーヒーを目当てに来て、急に頼んでもいないケーキが出てきたらあまり嬉しくはないか。
彼女の表情をもう一度見る。
悔しそうな表情をしている、何か嫌な事でもあったのかな? 休日なのに可哀そう。
今、僕は学校とは違い目が髪で隠れていないから、彼女の姿が良く見える。
女性服の種類とか分からないからなんとも言えないけど、白石さんはオシャレに興味が無いようだ。
女子高生ってもっとアクセサリーとかネイルとか付けるもんだと思っていた。偏見か。
いつものように彼女を見ていると、ふと目が合う。
あぁ、僕の目がはっきり見えるのが嫌なのかな。
普段は目合わないもんな、じろじろ見られていい気がしないのは当然か。
前髪を留めていたヘアピンを外す。
これでいつも通り陰気な僕の出来上がり。
「これでいい?」
「こっちのほうがまだ落ち着くわね」
「なるほど、こっちの僕の方が好みか」
「拡大解釈がすぎるわ。さっきまでのあなたが不気味だっただけよ」
「そうかな、いわゆる好青年ってやつだったと思うんだけど」
丁寧な言葉遣い、相手にちゃんと聞こえるような声量、不快感を与えないように整えた見た目。
笑顔も完璧なはずだ、ちゃんと更衣室の鏡で練習してから客前に出る。
今のところ、僕宛にクレームが届いたことはない。
接客で店長から怒られたことも無い、むしろ店長はもう少し愛想よくすべきだ。
ただでさえ強面なのだから、愛嬌ぐらいふりまかないと。
まぁ道楽でやっている個人店だから、本人がよければ何も言えないのだが。
「いつもとのギャップが凄すぎる、普段からあの感じでいなさいよ。モテるわよ」
「あぁ、それは当たり前でしょ。アルバイトなんだから、職場に相応しい態度と時給分の仕事はするよ。お金貰ってるのに適当な事はできないからね。頑張って仕事用の僕を作っているのさ。それをわざわざ学校でもやろうとは思わないね。モテてなにするのさ?」
「意外と真面目なのね」
「僕はずっと真面目だけど? それがアイデンティティと言っても過言ではないね」
「過言よ」
「あぁ、そうだ。アイデンティティで思い出したんだけどさ、テセウスの船って知っているかい?」
「そういうところよ」
彼女がため息をつく姿はもう見慣れてきたな。
ため息って実は体にいいらしいよ、呼吸が深くなって自律神経が整うんだとか。
白石さんはどんな時でも体に気を遣っているらしい。
肌とか髪とかキレイだもんな、日ごろの積み重ねは大事らしい。
「船の部品を一つずつ新品にしていって、最終的に全て新品になった時それは元の船と同じ船と言えるのか? また、古い部品でもう一度船を作った時、どちらが本物の船と言えるのか。パラドックスの一つね」
「そうそう、博識だね。僕はつい最近まで知らなかったよ」
白石さんがこんなに長く喋るのは初めてかもしれない。
哲学的な話題は好きなのかな? それとも知っている知識は語りたいタイプなのかな。
珍しく乗り気なのだ、しっかり語り合いたいね。
「それが、アイデンティティとどうつながるのかしら」
「いや、自分について考えていた時にね、ふと思ったんだよ。『自分ってなんだろう』ってね。例えばさ、仕事中の僕と普段の僕が違い過ぎるって言ったよね? もちろん君と居る時の僕と一人のときの僕も違う。どれが本当の僕なんだろうって考えちゃってね」
「どれもあなたでしょ? 環境で立ち振る舞いを変えるのは当然のことだわ」
「それはそうなんだけどさ、どれが本当の自分か気にならないかい? 例えば肉体についてもそうさ。人間ってだいたい七年程度で全ての細胞が入れ替わるらしいよ。七年前の僕と、今の僕を構成する体は完全に別なわけだ」
「あぁ、だからテセウスの船の話をしたのね」
「そうそう。肉体は別物で、精神性も環境によって変わるとしたら。どこにいる僕が本当の僕なのかなぁってさ。白石さんは本当の自分ってやつを持っているかい?」
「くだらないわね」
彼女はそう言って立ち上がる。
どうやらお喋りは終わりのようだ。
うーん、僕としては白石さんの考えが聞きたかっただけに残念だ。
そう思っていると彼女は突然、右腕の袖をまくり僕の前に掲げる。
白い肌に走る一本の薄赤い傷跡。
それは学校では僕しか知らない白石さんの秘密。
「意思があって、消せない過去がある。それで十分でしょう?」
「……確かに、僕らにはそれで十分か」
あぁ、やっぱり彼女とのお喋りは楽しいな。
彼女の瞳にあるものは、決して力強さや活力と言ったポジティブなものではない。
最初に見た時と変わらない、人生に倦んだ人の、僕と同じ種類の瞳だ。
だから、僕は彼女に惹かれる。同類相憐れむってやつかな?
「お会計」
伝票を僕に渡してレジへ向かう。
彼女はこのお店を気に入ってくれたかな?
また僕が働いている時に来てくれればいいなぁ。
それに今日は少し、いつもより仲良くなれたような気がする。
「お会計、ブルーマウンテンお一つで600円になります」
「......その爽やかな笑顔、気味が悪いからやめて」
あらら、気のせいだったかもしれない。
とびきりの営業スマイルだったのに。
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