ハッピーバレンタイン
人が行き交う駅前をぼんやりと歩く。
ビルに吊るされた広告にはバレンタイン商戦の影響だろうか、菓子メーカーが多く掲げられている。
バレンタインの、渡すお菓子の種類に意味があるって誰が決めたんだろうね?
チョコレートはあなたと同じ気持ち、キャンディはあなたが好き、グミは嫌い。
言った者勝ちじゃないだろうか。
グミが好きな相手に、善意で渡してしまうこととかあるだろうに。
こういうものに一喜一憂する人は大変だなぁ。
適当な店をブラブラとウィンドウショッピングしながら、本来の目的に思考を切り替える。
さて、誕生日プレゼントは何を渡そうか。
予算は五千円前後ということになった。
大層な物は買えないが、しっかりと吟味すれば良い物を買える塩梅だ。
家でうんうんと唸りながら考えたが、特に思いつかなかったのであてもなく店を練り歩いている。
一応ネットでも調べてみたが、化粧品や美容品ばかり検索に引っかかるので自分で考えることにした。
そもそも、化粧品の種類すら分からないのだ。
分かるものは口紅と、化粧水ぐらいか?
そんなあやふやな知識で送られても困るだろう。
うーん、僕が白石さんより詳しいジャンルってお菓子だからなぁ。
いつも作っているもので、プレゼントする機会を消化してしまうのはもったいない。
そもそも、プレゼントとは別にお菓子作るしな。
一応勝負とは言ったが、センスで僕が勝てるわけないからね。
食べ物はなし、化粧品もなし。
となると、日用品が候補に挙がってくるわけだが、日用品と一言で言っても幅が広い。
貰って嬉しくて、邪魔にならず、使えそうな物。
……そんなものある?
皆、こんな難しいことをしてるんだなぁ、顔が広い人は苦労しているだろう。
僕が白石さんに詳しかったら何かしら思いつくんだろうけど、特にそういう訳ではないからなぁ。
話し始めてから、ほぼ一年経ってから誕生日を知ったぐらいだ。
好きなもの、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと、普通の関係なら知っていそうなことを僕は知らない。
(甘えていたかな、これは)
友達になりたいと、初めて会った時に言ったことは嘘ではない。
高校生になってから初めて口にした本心だ。
ただその言葉と裏腹に、白石さんを知ろうとする努力はしてこなかったかもしれない。
僕の行きたい場所、話したい事、したいことにはたくさん付き合ってもらってるのになぁ。
ちょっとした自己嫌悪に陥りながら歩いていると、白石さん行きつけの書店にたどり着いていた。
ここで、白石さんの傷跡を見たんだよなぁ。
白い柔肌を、引き裂くように走る赤い傷。
あ、傷を隠すためのアームカバーとかありかもな。
これから暖かくなってくるし、冷感仕様のアームカバーなら使ってもらえるかも。
少し考えて、頭を振る。
肌に身につけるものは自分で買ったものがいいだろう。
なんというか、男からプレゼントするのはちょっと気持ち悪いような気がする。
考え方は合ってるような気がするんだよなぁ。
折角なので書店で新刊のコーナーを適当に見ながら考える。
本のプレゼントも考えたが、特に好きな作家がいるわけでもないので、自信をもっておススメ出来る本がない。
どうしようっかなぁ、と店内を練り歩いてると、天啓が僕に舞い降りた。
日常使いできて、白石さんに合っていて、邪魔にならなく、僕が渡しても気持ち悪くないもの。
予算も丁度いいぐらいだ。
あとは、置いてある商品の中から選ぶだけだ。
自分にしては冴えわたったアイデアに、足取りが軽くなる。
喜んでもらえるといいなぁ。
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「じゃあ、勝負といこうか」
普段より高いテンションで村瀬君が話しかけてくる。
どうやらプレゼントには相当な自信があるようだ。
読書部屋の椅子に深く腰掛けて、彼の手元を見る。
ラッピングされた紙袋の大きさを見ると、あまり大きくはないようだ。
「自信がありそうね」
「寝れないほど考えたからね。いやぁ、プレゼント選びがこんなに難しいとは思わなかったよ。もっと普段から、白石さんのことを知っておけば良かったと深く反省したね」
「あら、そんなに考えてくれたの?」
力説する彼の姿を見るに、多少は誇張しているであろうが、真剣に選んだのだろう。
お菓子で誤魔化してくるんだろうなと考えていたので、少し意外だった。
そういえば、水族館でもちゃんと私のことを見てクラゲのキーホルダーを選んでくれたのだった。
やはり、村瀬君はマメなところがある。
私ももう少し考えた方が良かったのだろうか。
彼にとって必要だと思うものを選んだつもりだが、気に入ってもらえるかどうかにはあまり自信がない。
村瀬君は自分の好きを語らないから、私のおススメを買ったのだけれど。
カバンから、紙袋を取り出して村瀬君に渡す。
A4サイズのノートより少し大きく、はるかに重いそれは、彼にとって役に立つだろう。
「おっと、結構重いね。開けてもいい?」
「どうぞ」
「じゃあ、失礼して......何これ、ノートにしてはだいぶ分厚いね」
ペラペラとページをめくる音を立てながら、ノートを見ている。
もちろん、ただのノートではない。
「五年日記帳よ」
「何それ、普通の日記帳とは違うの?」
「五段に別れているでしょう? 一番上に今日の日記を、次の段に来年の今日の日記を書くのよ」
「へぇ、そういう日記帳があるんだ」
「あなた、イベントにも自分にも無頓着だから、毎日書くといいわよ」
「日記って何書けばいいの?」
「なんでも書けばいいじゃない。その日起きたこととか、何勉強したとか、レシピとか」
「白石さんも書いてるの?」
「私も書いてるわよ」
「じゃあ、折角のプレゼントだし五年頑張ってみるかぁ。ありがとうね」
嬉しそうに日記帳を丁寧に紙袋に入れなおしている。
気に入ってもらえたようだ、一安心する。
「それじゃあ、村瀬君自信の一品を見せてもらっていいかしら」
「僕からの真心を込めた選んだプレゼント、お気に召すと嬉しいね」
大げさな仕草とともに紙袋が手渡される。
耳が少し赤いから、照れているのだろう。
相変わらず、分かりやすい。
想像していたよりも軽い紙袋のラッピングを解く。
中から出てきたのは、文庫本サイズのブックカバーだ。
レザーで作られたブックカバーは、硬すぎず柔らかすぎず手触りがいい。
真っ黒でシンプルな無地のデザインは彼の好みだろう。
「白石さんが普段から使ってるブックカバー、ボロボロだったし丁度いいかなぁって思ってね。もし今使ってるものが思い入れのあるものならサブとして使ってもらえばいいし、僕にしてはいいプレゼントだと思うよ」
「買い替えようと思っていたから、素直に嬉しいわ。村瀬君らしくないセンスね」
「最初はアームカバーにしようと思ったんだけどね、さすがに気持ち悪いかなぁって思ってたら、カバー繋がりで思い出したんだ」
得意げに語る彼の顔には安堵の色が見える。
私が気に入るか不安だったのだろう。
安心させるために、今使っているものから、プレゼントしてもらったものに付け替えて見せる。
使用感も悪くない。多少の違和感はあるが、そのうち手になじんでくるだろう。
「それで、勝ち負けはどうやって決めるのかしら?」
「どっちの方がセンスがあると思う?」
「私が、自分に投票したら引き分けになるけれど」
「じゃあ引き分けでいいんじゃない? 正直、喜んでもらえるなら勝ち負けはどうでもいいし。それに、チョコケーキもう作ってあるんだ」
ニコニコと日記帳を持ちながら話す彼の姿が子供っぽくて、思わず笑ってしまう。
まだ、私からプレゼントがあるって言ったら、どういう反応をするんだろう。
カバンから、小さい飾りつけもなにもしていない小包を渡す。
「ハッピーバレンタイン」
「え? 僕に?」
「他に誰がいるのよ」
手作りのチョコを渡す。
お菓子作りが得意な村瀬君より、美味しいかどうかは分からないが自分なりにちゃんと作った。
キッチンでお菓子作りを見ていたのも、何か参考になればと思ってしていたことだ。
「僕、手作りチョコ初めてもらったかも」
「手作りって言ったかしら?」
「え、違うの?」
「手作りよ」
「なんで嘘つくのさ」
「ふふ、おっかなびっくり持ってる姿が可愛かったから」
耳がさっきよりも赤くなる。
反応が分かりやすく、からかいがあって楽しい。
「それで、味の感想が聞きたいわ」
「今食べなきゃダメ?」
「私だっていつも味の感想を教えてるじゃない」
「見られながら食べるのは恥ずかしいんだけどな」
「私もいつも見られているけど?」
押し切ると、渋々といった様子で納得する。
小包の中から、甘さを控えめに作ったブラウニーが出てくる。
食べやすいように一口サイズに切り分けてあるそれを、大事そうに口に運ぶ。
しっかりと味わうように何回も噛んでいる。
人が食べているところをじっと見つめるのは、あまり行儀良くないが今日は気にしなくていいだろう。
「どう? 美味しい?」
「美味しいよ......あんまり見られると恥ずかしいんだけど」
「あなたがいつもしていることよ」
「えぇ? 僕いつもそんなジロジロ見てる?」
「それはもう、すごいわよ」
別にそんなに見られているわけではないが、適当に嘘をつく。
こちら側からは、長い前髪でほとんど彼の目が見えていないことに、彼は気がついていないようだ。
手で目頭を揉んで、恥ずかしさを誤魔化そうとしている姿が面白い。
「ふふ、たくさんからかったからお腹空いてきたわ」
「からかってたの?」
「どっちだと思う?」
「......ケーキなしにしていい?」
「あら、私はチョコあげたのに、村瀬君はなにも無いの?」
「バレンタインって女子から男子に渡す文化でしょ。僕から何もなくても不思議じゃないでしょ」
「ホワイトデーに期待していいってことかしら」
「......ケーキ持ってくるね」
「ふふ、お願いね」
キッチンへと消えていく彼の背中を見送る。
村瀬君のことだから、なんだかんだホワイトデーもお菓子を作ってくれるだろう。
ホワイトデーに、私も何か作ろうかしら。
その礼も、彼なら作りそうだ。
そう考えると、終わりのないループになることに気がつく。
それも悪くない。
誰かのために、料理をする時間は楽しかったから。
「持ってきたよ。あれ、なんか嬉しそうだね」
「ケーキの出来栄えが良いからかしら」
「僕が部屋に入ってくる前から笑ってなかった?」
「気のせいよ」
持ってきてもらったケーキをフォークでつつく。
あぁ、甘くて美味しい。
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