赤いクラゲと青いクラゲ
「体調はもう大丈夫そう?」
「万全、とは言えないけど大丈夫よ」
「じゃあ、水族館行ってみようか」
お昼過ぎに白石さんの最寄り駅に集合する。
電車で一時間、少し歩くから着くのは十五時前ぐらいか。
閉館が十七時時らしいから、二時間もあれば十分かな?
ガラガラの電車に乗り込み、ボックスシートに向かい合って座る。
白石さんはもうウエストポーチから小説を取り出して読んでいる。
会話をする気はあまりないようだ。
病み上がりで本調子でもないだろうし、僕もいつものお喋りは控える。
電車の発車メロディーを聞きながら、白石さんを見る。
白いロング丈のスカートに、セーターの上から羽織った黒のブルゾン。
うーん、やっぱり見た目がいいな。
僕ももっとファッションにこだわるべきだったかな?
いつものスキニーとパーカー姿の自分を見る。
見知らぬ街を走る電車の光景を眺めながら、ファッションについて考える。
みんなファッションってどこで勉強してるんだろうね?
ちゃんと雑誌とか読んでるのかな。
雑誌とか本の服装って、着てる人がカッコいいだけな気がしちゃうんだよな。
僕みたいなひょろがりに似合う服ってなんだろうな。
あ、今度白石さんに見繕ってもらうか。
チーズケーキを餌に頼み込めば、服選びに付き合ってくれないかな。
今日の水族館デートが終わったら、頼んでみようか。
ちらりと白石さんに視線を向ける。
キレイな姿勢のまま、本を読みふけっている。
こちらを見ることはないだろう。
僕もゆっくりと、美味しそうなレシピでも探させてもらおうかな。
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駅から十五分ほど歩くと、目的地が見えてきた。
大きいガラスドームが特徴的な建物だ。
はためから見たら、とても水族館には見えないが、地下部分に展示エリアがあるらしい。
入り口にはチケット売り場、グッズ売り場が併設されている。
平日の、閉館二時間前とあってあまり人は多くない。
それでも家族連れや、大学生のカップルの姿がちらほら見える。
「お揃いの帽子でも買う?」
店頭に並べられている帽子を指さす。
たこやいかの足があごひもになった、可愛らしいグッズだ。
「ペアルックでもしたいの?」
「恥ずかしいからあんまりしたくないかな」
「なんで聞いたのよ」
「それっぽいことしたいと思ってたら悪いかなぁって」
「バカな事言ってないで入るわよ」
グッズ売り場は水族館が閉まった後もやっているようなので、一通り見てからまた来よう。
白石さんの後を追ってチケット売り場に行く。
「白石さんって水族館来たことある?」
「......ないわね」
「お、じゃあお互いに初めてだね」
「村瀬君はこういう場所に行かないの?」
「行かないねぇ。何とか園とか何とか館とか、そういう施設には行ったことないよ。連れて行ってくれる人もいなかったし。記憶に残ってないだけかもしれないけど。あ、競馬場には行ったことあるよ」
「おかしくない?」
「おかしい人だったからね」
親戚にたらい回しにされている時は、誰も僕を遊びに連れて行ってくれなかった。
オッサンだけが僕を外に連れ出した。
まぁ、場所取りのためという身も蓋もない理由だったけれど。
ただ、生で走る馬を見れたのはちょっと感動したのを覚えている。
音の迫力がすごいんだ、あとめちゃくちゃ速い。
横で泣き崩れていたオッサンもすごかった。
僕はそれを見てギャンブルはしないよう心に決めた。
チケットを買って、展示部分へと下るエスカレーターに乗る。
空気が段々とひんやりとし、湿気を帯びたものに変わる。
照明は抑えられ、足元の誘導灯が仄暗く光っている。
静けさの中に、水の循環する音だろうか、かすかな機械音が聞こえてくる。
青く、淡く光る水槽では、数えきれないほどの魚が群れをなして泳いでいる。
「白石さんって生物は詳しいの?」
小声で水槽を眺める彼女に尋ねる。
「一般常識程度じゃないかしら」
「そうなんだ、いっぱい本を読んでるから詳しいと思ったよ」
「あんまり動物系は読まないわよ。村瀬君は詳しいの?」
「僕も詳しくはないね。今回も、水族館を楽しむために事前情報とかも調べてないし」
「普通、逆じゃないの?」
「映画とか漫画だとよくあることでしょ。ネタバレ防止のために情報を調べないことって」
「生き物のネタバレって何よ」
「シャコのパンチって水中でも時速80㎞出るとか、うなぎの血液には毒があるとか、そういうネタだよ」
「知っておいた方が楽しめそうだけど」
「そうかなぁ。展示の説明読んで『すげぇー!』ってするのが水族館の楽しみ方じゃないの?」
何せ初めてなのだ、楽しみ方なんて知らない。
とりあえず、受付でもらった館内マップの順路通りに歩けばいいか。
天井がドーム状の水槽になった通路を進む。
エイの裏側を見るのは初めてだけど、なんだか間抜けで可愛いな。
二人でゆっくり、無言で歩く。
通路の両脇に展示があって、それぞれ見たいものを見ていた。
ちょっと水族館、面白いかもしれない。
魚だけではなく水棲生物もいるようで、色鮮やかなカエルが展示されている。
今日はペンギンショーもアシカショーもないらしいけど、それでも生き物を近くで観察できるのは面白い。
違う水槽では、底の砂からチンアナゴがひょっこりと顔をのぞかせている。
水流に乗ってくるご飯を食べるから、皆同じ方向を向いているんだ。
「なんで水槽って全部青いの?」
「海に近づけてるんじゃない」
「なんで海って青いの?」
「自分で調べなさいよ」
横にいた白石さんは別の展示に行ってしまった。
無粋だが、ネットで調べちゃおう。
へぇ、水による光の散乱・吸収により青く見えるから、らしい。
光の中の赤色が、水を通すと消えるから青色っぽく見えるようだ。
あと、水族館では単純に壁を青く塗っている場所も多いらしい。
真っ赤な水槽とかあるのかな?
色々な場所の水族館に行ってみるのも楽しいかもしれない。
先に行ってしまった白石さんを追いかけると、クラゲコーナーで佇んでいる彼女を見つける。
淡い青色の光の中に立つ白石さんと、ゆらゆらと泳ぐクラゲの組み合わせは幻想的な美しさを感じる。
「クラゲ好きなの?」
「......えぇ、好きよ」
僕の質問に、少し間を置いてから彼女が答える。
何か、思い出があるのかもしれない。
水流にのってフワフワとするクラゲを、どこか遠い目で眺めている。
しばらく無言で僕も眺めていたが、白石さんが歩き始めたので僕もついていく。
「くらげって、何で全国的に人気なんだろうね。ただ透明で浮かんでいるだけなのに」
「可愛いからじゃない?」
「可愛いかな?結構不気味寄りのデザインじゃない?」
「動きがゆったりとしていて、見ていて落ち着くでしょ」
「あぁ、それはあるかも。この見た目で、すごい速さで動いていたら気持ち悪いかもしれないね」
爆速で海を泳ぎまわるクラゲを想像する。絵面が怖い。
それで毒持ってるんでしょ? 絶対に海行きたくないな。
「へぇ、クラゲって脳も心臓もないんだって。心はあるのかな?」
「あるんじゃないかしら」
「その心は?」
「うまいこと言ったつもり? 単純に、生きているならあるって思うだけよ」
「そういうもんかぁ」
少し歩くと、壁一面の巨大な水槽に行きつく。
ここが最後で、最大の展示のようだ。
大きな魚が何匹も泳いでいる。
魚影に合わせてライトが明滅を繰り返す。
「もうすぐ、閉館時間となります。館内のお客様は——」
アナウンスがスピーカーから流れる。
二時間、あっという間だったな。
これは修学旅行サボった価値があったなぁ。
「今度はシャチとかいる水族館行ってみたいね」
「ハマったの?」
「ちょっとハマったかも、このあとグッズ売り場行ってもいい?」
「意外と影響されやすいのね」
「流されやすい性格ってのはこの一年で自覚してきたよ」
二年生になってからのことを思い出す。
今までの人生で、一番体感時間が早かったなぁ。
体感時間って二十歳で折り返しって言うけど、これよりも早く感じるようになるのだろうか。
地下から戻ってくると、空はもう赤く染まっていた。
「私は、そこの席で待ってるわ」
「分かった、五分くらい待ってて」
白石さんが休憩スペースのベンチを指さす。
病み上がりの彼女を、寒空の下で長時間ほったらかしにはできない。
ゆっくりと店を見たい気持ちもあるが、買うものはある程度決めているのでちゃっちゃと済まそう。
売り場を早足で歩きまわり、欲しいものをかごに入れる。
閉館時間ということもあり、僕以外の客はいない。
おかげで買いたいものはすぐ探せた。
お会計を済まし、水族館のロゴマークが入ったビニール袋を受け取る。
「あら、もういいの?」
「買うものは決めてたからね。見て、エイのぬいぐるみ。可愛いでしょ」
「似合わないわね」
「今日はそういうことを気にしないって決めたんだ。たまにはこういうのもいいでしょ」
袋から買ったばかりのぬいぐるみを見せる。
なんともいえない、情けない顔に見える裏面が可愛い。
チンアナゴのぬいぐるみとどっちを買うか悩んだけど、エイの方が売れ残ってたからこっちにした。
「そう、じゃあ帰りましょうか」
「あ、ちょっと待って」
ベンチを立ち上がる彼女に、個包装された小さい紙袋を渡す。
「似合わないついでに、僕からのプレゼント」
「私に?」
「他にいないでしょ」
人にプレゼントなんてしたことのない、僕のセンスで選んだから喜んでもらえるかは微妙だけど。
まぁ、気に入らなければ捨ててもらえばいい。
白石さんが紙袋から中身を取り出す。
「クラゲのキーホルダー......」
「クラゲの展示を見ている時間が一番長かったからね。好きなのかなぁって」
水色のクラゲと赤色のクラゲの、二つ入りのキーホルダー。
あまり大きくもなく、普段使いしても邪魔にならないものを選んだ。
今日が、少しでも白石さんにとっても楽しい日になればいいと思う。
「じゃ、行こうか」
駅の方に向かって歩き出す。
駅まで歩いて十五分か、結構あるなぁ。
少し歩いてから、白石さんが着いてきていないことに気がつく。
まだ、キーホルダーを見つめている。
あんまり気に入らなかったかな?
「私、村瀬君に嘘ついたわ。水族館、初めてじゃないの」
「おや、そうなんだ。気を遣わせて合わせてくれたのかな?」
「......両親と、最後に三人で遊びにいった場所が水族館だったの」
そう言って白石さんは歩き出す。
そういえば、彼女も両親がいないって言ってたな。
あんまり深く追求してはいけないと思っていたから、内容までは聞いてなかったけど。
駅まで歩く間に、話してくれるようだ。
「私も両親がいないって言ったこと、覚えてる?」
「僕が車に跳ねられて、家で熱出してた時でしょ。なんでいないかは聞いてないけど」
「私の父もね、交通事故で死んじゃったの」
急なカミングアウトって、反応に困るな。
いやまあ、僕も白石さんに両親の事を話したから何とも言えないんだけど。
素直に話してもらえるようになっただけ、距離が縮んだのかな。
「母は父をすごい愛していたから、その現実が受け入れられないでいたの」
お見舞いに行った時、寝言でうなされていた白石さんを思い出す。
彼女もきっと、父親が好きだったんだろう。
僕はもう、両親の記憶がほとんどないからあまり理解はできないけれども。
「それで、私と無理心中しようとしたのよ。この腕の傷は、その時の痕」
インナーごと服をめくって右腕を見せてくる。
手首から肘にかけて、真っすぐに走る一本の赤い傷跡。
リストカットにしては縦に長いと思っていたけれど、そういう理由だったのか。
あれ、じゃあ白石さんって僕と同類じゃなくない?
「白石さん自殺じゃないんだ」
「私は一言も自分で切ったとは言ってないわよ。まぁ、抵抗しなかったら似たようなものだけど」
「......ちょっと今までの自分の言動が恥ずかしくなってきたな」
「だから初めて会った時に言ったじゃない、同類じゃないって」
「言ってたねぇ......」
あぁ、完全に僕の早とちりだ。
穴があったら入りたい、顔が熱くなるのを感じる。
すごいどや顔で『お互いに生きることに倦んでいる、澱んでいる。君の顔を見た時にピンときたよ。あぁ、僕の同類なんだってさ』って話しかけた気がする。
「私も母も命に別状はないけど、さすがに一緒に暮らすって訳にはいかないじゃない?」
「まぁ、そうだろうね」
「だから私は一人暮らしで、母は叔父さんと一緒に暮らしてるの」
叔父さんが僕に対して協力的だったのも、風邪を引いた白石さんの元に長い時間いなかったのも、そういう理由があるからか。
それなら納得できる。
白石さんの高い自立意識もそこからきているのだろう。
「今日は、家族三人で行った水族館を思い出したわ。二人ともクラゲが好きだったから」
白石さんは、僕がプレゼントしたキーホルダーをポケットから取り出す。
片割れの赤いクラゲを、僕に向かって差し出す。
「すぐ赤くなるあなたに、一つあげるわ」
「……ペアになっちゃうけどいいのかい?」
「今更キーホルダーぐらい気にしないわよ。ふふ、今も顔真っ赤よ」
「多分夕日のせいだよ」
話しているうちに、駅へとたどり着く。
ちょうどタイミングよく、電車がホームに滑り込んできた。
退勤ラッシュの時間より少し早いおかげで、二人並んで座れるだけの空きはあった。
座ってすぐに、電車は動きだした。
「今日は、楽しかったわ」
「そう、それなら誘った甲斐があったよ」
少ししてから、僕の左肩に何かが触れる。
白石さんの体が力なく僕にもたれかかっている。
病み上がりの体だから、歩きっぱなしで疲れて眠ってしまったようだ。
仕方がない、肩を貸してあげよう。
僕の肩ですぅすぅと寝息を立てる白石さんを見る。
信頼されてはいるのかな? それなら嬉しいけれども。
起こさないように、右手でさっきもらったクラゲのキーホルダーをポケットから出す。
赤く透明なクラゲが、電車の明かりに照らされてキラキラと輝いている。
どこにつけようかなぁ。
僕、こんなに顔赤くなっているのかな。
左側から感じる温かさに、また少し顔が熱くなるのを感じた。
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