いつもしないことをしよう
「私、あんまり昨日のことを覚えてないんだけど」
「まぁ高熱だったしね、熱は下がった?」
「38℃ね」
「おぉ、一日で2℃も下がったね。明日は36℃かな」
「熱ってそういうものじゃないわよ」
次の日、お昼に白石さんの様子を見にアパートまで来ていた。
事前に行く連絡をしたら合鍵を使っていいと言われたので、早速使わせてもらった。
まるで恋人みたいだね。
え、付き合って無いなら遊び人のムーブ?
お互い合意の上だからセーフセーフ。
「なんで、村瀬君私服なの?」
「来週まで僕も学校休みだよ、濃厚接触者だからね」
平日にも関わらず、制服を着てない僕を白石さんが見る。
黒のスキニーに白無地のパーカー姿だ。
オシャレには無頓着なので、僕はアルバイト用の服を除けばパーカーしか持っていない。
オタクもすごいと思うが、オシャレさんもすごいと思う。
Tシャツが一枚一万円する世界、僕には到底ついていけない。
「感染症以外にも濃厚接触者っていうのかしら」
「分かんない、先生には体調不良って電話したから」
「嘘つきじゃない」
「気遣いだよ、僕が本当に風邪を引いてる可能性もゼロではないからね。明日からの一泊二日の修学旅行を風邪で不参加なんて人が出たら可哀そうだろ?」
「あなたが言っても説得力がないわよ」
「あ、欠席の僕らは課題が出るって」
白石さんの言葉を無視して先生からの伝言を伝える。
課題といっても大したものではない。
原稿用紙二枚程度の読書感想文でいいそうだ。
これは別に採点するわけではないので、とりあえず出せばいいらしい。
これぽっちの課題でいいなら、来年の遠足もサボろうかな。
今までは別にどうでもよかったので参加していたが、記憶には残ってない。
去年の遠足ってどこ行ったっけなぁ、なんか自然豊かだった気がする。
「それで、体調はどう? ちょっとはマシになった?」
「だいぶ良くなったわ、シャワーも浴びてサッパリしたし」
「風邪の時ってシャワー浴びちゃダメじゃないの?」
「汗で気持ち悪かったのよ。それともあなたが拭いてくれるの?」
「その提案は、ちょっと僕には刺激が強すぎるかな」
「病人によこしまな気持ちを抱くの?」
「僕も健全な男子高校生だからね、魅力的な女の子を前に平常心を持ち続けるのは無理って話だよ」
「健全な男子高校生はぼっちにならないんじゃないの?」
「その発言は全てのぼっちに喧嘩を売ってることになるよ。友達がいなくたって別いいじゃないか、独りで生きていくのも現代の在り方の一つだよ」
「あなたは一人を選んだんじゃなくて、逃げただけでしょうに」
体調が良くなったのは嘘ではないようだ。
顔はまだ赤いが、いつもの切れ味のある口調に戻っている。
服装も学校の体操着ではなく、暖かそうなスウェットだ。
黒インナーは着ていないようで、露わになった右手首には傷跡の先端が見えている。
これは、信頼の証かな?
まぁ、知られている人間に改めて隠す意味は無いと思っているだけかもしれないが。
少し見過ぎたか、白石さんは右腕を布団の中に隠してしまう。
「えっち」
「その言葉お気に入りなの? もっと罵倒にレパートリーがあった方がいいんじゃない?」
「もっと色んな種類の罵倒がされたいの? 変態、色狂い、淫蕩、不行状、漁食家」
「ごめんえっちのままでいいや、半分も理解できなかった」
まだ何言われてるか理解できる分えっちの方がいいや。
ぎょしょくか? 魚食家ってことだろうか、ただのお魚大好き人間が脳内に浮かぶ。
言葉って意識的に取り入れようとしないと、本当に知らない言葉ばっかりになるね。
「それより、食欲はある? お腹空いてるなら何か作ろうか、手の込んだものはつくれないけど」
「お言葉に甘えようかしら」
「オッケー、台所借りるね」
食材の入ったビニール袋を持って台所に向かう。
昨日、アパートを確認した時に台所も調べておいてよかった。
調理する場所が狭く、まな板を置くスペースもあるかどうか分からない台所へ向かう。
うーん、白石さんはよくこのスペースで毎日お弁当作ってるな、偉い。
台所下の物置をすこし物色させてもらう。お、片手鍋発見。
僕はこのスペースで調理できる気がしなかったので、今回は鍋だけでできるレシピを調べてきた。
鍋に水、白だし、片栗粉を入れて火にかける。
とろみがついてきたら、卵をいれてかき混ぜる。
あとはスーパーで買ってきた袋うどんと細ネギをいれて終わりだ。
お手軽だ、調理というのもおこがましい。
あとはリンゴも剥いておくか、今食べなくても塩水につけておけば一日ぐらいは大丈夫らしいし。
「できたよー、熱いから冷ましながら食べてね」
「早いわね」
「混ぜて火にかけるだけだからね。リンゴもカットしといたから気が向いたら食べてね」
「……そう」
おや、少し不服そうだ。
もしかして味に不安があるのだろうか。
味には自信がある、なぜなら製薬企業サイトに載っていたレシピだから。
それでマズかったら僕のせいじゃない。
ふーふーと息で冷ましながらうどんをすする白石さんに尋ねる。
「まずい?」
「美味しいって聞くのが普通でしょ。美味しいわよ」
「良かった。何か表情険しかったからさ、知らない間にやらかしたのかと思ったよ」
「もったいないと思っただけよ」
「もったいない?」
「無駄に器用ね。何でもそつなくこなすのはつまらないわ」
「そうかな? おっかなびっくりしながら生きてるけどね」
「もっと慌てる姿が見たいのに」
「やっぱり白石さんってSだよね」
「いじめて喜ぶ趣味はないけど?」
「でも僕が苦しんでる姿は?」
「笑えるわね、もっと苦しんでほしいわ」
「Sでしょ」
「Sじゃないわよ」
真顔で言いながら汁を飲んでいる。
病人だから量少なめにしたけど、もう少し多くても良かったかもな。
看病とかした事も、された事もそんなにないからあんまり塩梅が分からなかった。
今度は事前にどれくらい食べられるか聞こう。次があるかは知らないけど。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
両手を合わせて言う白石さんに、ちゃんとした形式の言葉で返す。
「自分で言うのもあれだけどさ、お粗末様でしたっていうのはどうなんだろうね。謙遜にしても卑屈すぎない?」
「じゃあ何て言うの?」
「精一杯頑張らせていただきましたとか?」
「アピールみたいで嫌ね。形式に文句を言うのは野暮ってものよ」
「そうかなぁ。自分でお粗末と思っているものを他人に提供したくないんだよなぁ」
「マナーなんてそんなものでしょ。気にしてたら生きていけないわよ」
「そういうものか、世知辛い世の中だね」
「あなたが勝手に辛くなってるだけよ」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
白石さんから空になった器をもらう。
「私は薬飲んで寝るわ」
「了解、回復してそうで良かったよ。明後日の修学旅行にも間に合いそうかもね」
「病み上がりに長時間バスに乗らせるつもり?」
「あぁ、バス移動は辛いか。じゃあ僕とおサボりしよっか」
「サボりって認めてるじゃない」
「いやもう建前とかどうでもいいかなって。それで、どこか行きたい場所とかある?」
「特にないわ」
「うーん、僕も行きたい場所はないんだよねぇ」
早速計画が頓挫しようとしている。
お家デートでもいいような気がするけど、折角ならどこか行きたいよな。
どうせなら、普段なら絶対に行かない場所へ。
「あ、水族館とかどう?」
電車で一時間ほどの距離にある、中規模の水族館を思いつく。
公園が近いこともあり、土日は子供連れでにぎわう水族館も平日なら空いているだろう。
人生で一回も水族館に行ったことがないので、混み具合とか何が面白いとか一切知らないけど。
ゆっくり歩いて見て回れば、病み上がりの白石さんでも辛くはないだろう。
「村瀬君にしてはオシャレな提案ね」
「でしょ? 僕何とか館とか、何とか園とかとは無縁の生活してるからね。こういう機会でもないと一生行かない気がする」
「もっと外に出なさいよ」
「生きててさ、急に『そうだ、動物園行こう!』とかならなくない?」
「普通の人はあるわよ?」
「白石さんは?」
「ないわね」
「じゃあ、お仲間だ。ちょうどいい機会だから一緒に水族館行こうよ」
「......看病してもらったお礼もあるし、いいわ」
「お、やったね。それじゃあ明後日かな? 白石さんの体調次第だけど」
「この感じなら、治ってると思うわ」
白石さんが自分のおでこを触って熱を確かめる。
咳もしてないし、昨日みたいに意識がもうろうとしてないから大丈夫そうだ。
彼女はもぞもぞと布団に潜り込む。
「明日はどうする、見舞いこようか?」
「もういらないわ、一人でゆっくり寝るわ」
「了解、冷蔵庫に飲み物とリンゴ入れといたから気が向いたら食べてね」
「わかったわ」
力の抜けた返事が返ってくる。
薬の副作用かな、だいぶ眠たそうだ。
挨拶だけして帰るか。
「また明後日ね」
「またあさって」
意味を理解しているのかどうか怪しい返事が返ってくる。
数秒もしないうちに寝息が聞こえてくる。
寝つきいいな、うらやましい。
音をたてないようにアパートから出る。
集合時間とか細かいことは後で決めればいいか。
駅まで歩きながらぼんやりと考える。
明日、丸一日空いてる時間は何しようか。
明日になってから考えよ。
サボるのって、背徳感あってちょっと楽しいな。
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