恋と病熱
放課後、教えてもらった住所とアパート名を頼りに知らない街を歩く。
学校からも市街からもそこそこの距離がある、家よりも田んぼのほうが多いんじゃないか?
女の子の一人暮らしには不便そうな場所だ。
いや、白石さん的にはいいのか?
静かに読書をするには良い場所かもしれない。
そう考えると、僕の住んでいる部屋は相当立地がいいな。
コンビニもあって駅も近くて公園もある、選んでくれてありがとうオッサン。
『目的地です』
スマホのナビが読み上げを終了する。
……本当にこのアパートに住んでるの?
見るからに年季の入ったその建物は、とても白石さんが住んでいるようには見えなかった。
もとは真っ白だったであろう壁は汚れで灰色になり、駐車場のアスファルトはひび割れだらけだ。
エアコンがついてないのも納得だ。
賃貸サイトでアパート名を検索してみる。
家賃二万三千円、築六十年、インターネット環境無し......。
バストイレ別と部屋が広いのは救いか? いや、風呂とキッチンめっちゃ狭いな。
部屋数も六つ、入居募集は五件、つまり白石さんしか住んでない。
……今度から少し、白石さんには優しく接しよう。
もっと美味しいお菓子とコーヒーを振舞おう。
インターホンを押しながら考える。
もっと良いもん買ってくるんだったなぁ。
ゼリーとスポーツドリンク、カップラーメンしか買ってきてないや。
少ししてから、ドサッと何かが倒れる音がして、それきり何も聞こえなくなった。
もしかして重症だったりする?
最悪の想定をしつつドアノブに手を伸ばす。
鍵はかかっていないようで、なんの抵抗もなくノブが回る。
「緊急事態だから入るねー、嫌だったら叫んでねー」
ドアをノックし、少し開けて室内に向かって声をかける。
反応はない、人命救助だからね、仕方ないよね。
女の子の家に勝手に上がる申し訳なさを言い訳しつつ、狭い玄関に入る。
玄関から部屋につながる廊下で、体操着を着た白石さんが仰向けで倒れていた。
荷物を放り投げ近くに駆け寄る。
余り動かさないほうが良いとは知っていたが、そこまで頭が回らずに彼女を抱き上げる。
「白石さん? 生きてる?」
「あら、村瀬君じゃない。どうしたの? あれ、ここ私の家よね?」
「......どうしたのは、僕のセリフなんだよなぁ」
どうやら症状は大して重くないらしい。
ちゃんと話すことはできるようで、少し安心する。
「何で村瀬君がいるの?」
「学校を無断欠席したでしょ、心配だから、叔父さんに住所を教えてもらったんだ」
「鍵は?」
「かかってなかったよ、気をつけなきゃダメだよ」
「いつもはかけてるよ」
「それならいいか」
「私、気をつけて生きているもの」
「偉い偉い」
なんかいつもより幼いな。
顔は熱で真っ赤になり、いつもは切れ長の知性を感じさせる瞳もトロンとしている。
「なんで床で寝てるの?」
「ひんやりして気持ちよかったから」
「そっか、何か大きな物音がしたけど、それは大丈夫?」
「分からないわ」
「そっか、分からないか。とりあえず、ベッド行こうか」
「えっちね」
「看病だから......前にえっちって言われた時って、なんの時だっけ?」
「私のインナーをじろじろ見てたときよ」
「あぁ、石井君に勘違いされた時か」
家では流石にインナーは着てないようだ。
普段見ることのない首元が露わになっている。あ、首元にホクロあるんだ。
「いやらしい目で見てない?」
「うーん、今のはちょっと否定できないかも」
「それより、いつまで抱きしめてるつもり?」
「おっと、これは失礼。 起き上がれそうかい?」
「体がだるいわ、ベッドまで運んでよ」
「今日は一段とわがままだね」
「私は村瀬君をベッドまで運んであげたけど?」
「その節はどうも。すごい今更だけど、部屋に上がってもいいかい?」
「部屋に上がらずにベッドに運べないでしょ?」
「うーん、そうじゃないんだけどなぁ。まぁいいか、後で文句言わないでよ」
なんかこう、どう表現していいか分からないけど、バカになった白石さん新鮮でいいな。
熱でバカになっているのか、熱で素の性格になっているかどうか分からないけど、今の彼女なら人気者になりそうだ。
「早くしてよ、体が冷えてきたわ」
「それじゃあ、失礼しますよ……っと」
「うふふ、真っ赤で変な顔」
立ち上がる様子のない彼女をベッドに運ぶ為、非力な自分にムチ打ってお姫様抱っこをする。
漫画の世界なら軽々と持ち上げるんだろうけど、生憎と僕はひょろがりなのだ。
人を抱きかかえて平気な顔なんてできない、だから顔が歪むのは仕方ないのだ。
廊下からベッドまではそう遠くないのが救いだった。
無地の、真っ白なベッドに優しく寝かせる。
腰病みそう、僕は力仕事に向いていないな。
「ごくろうさま」
「どういたしまして。病院は行ったの?」
「午前中に行ったわ、ただの風邪よ」
「そう、重い病気とかじゃなくて良かったよ」
「熱が40℃あるだけよ」
「うーん、結構重症。薬は飲んだ?」
「おおげさね、ちゃんと飲んだわ」
「それじゃあ、後はおとなしく寝てたほうがいいよ」
「それだとつまらないわ」
「面白さを求める状況じゃないよ、飲み物でも取ってくるよ」
玄関に置きっぱなしになった荷物を思い出し、取りに行こうと白石さんに背を向ける。
叔父さんの言っていた言葉が頭によぎる。
やっぱ美人が愛嬌あると可愛いんだな。
僕も愛嬌よく生きようかな。
顔の造形だけなら評価も悪くないしな。主に常連客のおばちゃんからだけど。
「白石さん冷蔵庫にゼリー入れてもいい? あと冷えピタあるけど使う?」
拾った荷物からペットボトルを取り出して、ふたを開ける。
今飲むか分からないけど、開けておいたほうがいいだろう。
……返事がない。
ベッドまで戻ると、どうやら寝てしまったようだ。
まぁ高熱があるのだ、寝られるなら寝てしまった方が体にいい。
書置きだけして帰ろうかなぁ。
薬もあって、軽食も買ってきてあるし、僕が出来ることってもうなさそうだし。
あ、一つだけやっとかなきゃ。
申し訳ないけど、部屋を少し観察させてもらう。
丁寧に並べられた本棚以外の特徴がない、殺風景な部屋だ。
必要最低限の家具と、テレビと、机と......お、あったあった。
机の上に置いてある白石さんのスマホを手に取る。
電源ボタンを押しても画面は反応しない。充電切れのようだ。
連絡がつかなかった理由もこのせいだろうな。
充電ケーブルはベッドの横か、起きた時に使えるように充電しておいてあげよう。
よし、これでいいか。
ベッド脇から立ち去ろうとした時、裾を引っ張られる。
振り返ると、白石さんが寝たまま右腕で僕を掴んでいる。
体操着の袖から見える白い肌に、赤い傷がチラリと見える。
顔を見ると、寝苦しそうにうなされている。
いつも無表情なその顔が、苦しみで歪んでいる。
「行かないで......パパ......」
きっと、悪い夢を見ているのだろう。
聞かないほうがいいだろうし、僕にできることはなにも無いのだから立ち去るべきだ。
ただ、どうしても彼女の手を振り払うことはできなかった。
ベッドに腰掛けて、彼女の手を握り返す。
できることないしなぁ、下手くそな子守唄でも歌おうか。
「たとえば君が傷ついて—、くじけそうになった時はー」
ギュッと強く握られた手のひらが、少しだけ和らいだ。
起きるまでは、そばにいてあげよう。
あぁ、そうだ。良いことを思いついた。
白石さんが起きたら、提案してみよう。
きっと、バカと言われてしまうかもしれないけど、たまにはいいだろう。
夕日も沈み、真っ暗になった部屋で一人歌い続けた。
——————————
頭が痛い、関節が痛い、汗を吸った下着の感触が気持ち悪い。
起きた時に思った感想は、風邪を引いてしまった自分のうかつさを呪うものだった。
昼に飲んだ薬が効いてる分少しはマシな体調にはなったが、まだ頭は霧がかかったように思考がまとまらない。
ふと、右手に慣れない温かさを感じて体を起こす。
ざらざらとした、誰かの手のようだ。
叔父さんでも来ているのだろうかと思ったが、そうではないらしい。
月明りに照らされて、ベッドの脇に座る人の顔が見える。
村瀬君が、私の手を握っているようだ。
いつ、入ってきたのだろうか。
そもそも、住所を教えたことはないはずだが。
「なにしてるのかしら、村瀬君?」
問いかけるが答えは帰ってこない。
ゆっくりと上下するシルエットを見るに、座りながら居眠りしているようだ。
いつから、居るのだろうか。何故、手を握っているのだろうか。
彼は、寝ている私に手を出すほどの度胸のある人間ではない。
きっと、寝ぼけた私が暖を求めて握ってしまったのだろう。
つけた記憶のない冷えピタがおでこに貼られているから、看病もしてくれたのだろう。
いつまでも部屋にいてもらうわけにはいかない、起きてもらおうと手を引っ張る。
「あっ......」
引っ張られるまま、村瀬君が私の方に向かって倒れてくる。
彼は倒れた衝撃でも起きずに、呑気に寝息を立てている。
叩いて起こそうかと考えたが、看病してくれた相手にするのはさすがに忍びない。
(温かい......このまま寝ちゃおうかしら......)
村瀬君の体温が、ちょうど湯たんぽのように心地よくて眠気を誘われる。
自分の汗が少し気になるが、まぁいいか。
彼を押しのけるだけの力もないのだから。
(起きた時、どういう反応をするのかしら)
うとうとしながら、村瀬君がどういう反応をするか想像する。
きっと、愉快な姿を見せてくれるに違いない。
あぁ、自分の目で見たかったなぁ。
ぼんやりとする頭で彼の体を抱きしめる。
温かい、それだけ思って、また眠りに落ちていった。
——————————
起きた時、僕の頭には困惑でいっぱいだった。
何故、僕は白石さんと同じベッドで寝ている?
何故、彼女は僕の背中に抱きついている?
子守唄を歌っている途中で、自分も眠くなって少しだけ仮眠を取ろうとしたところまでは覚えている。
そこまではちゃんと、座っていたはずだ。
決して同じ布団に潜り込むようなことはしていない。
そんなことをするような男ではない。
というか、度胸がない。
自分の布団とは違い、良い匂いがする。
ちょっとドキドキしてきたな。
これが恋ってやつかな?
きっとそうに違いない。
いやー、こういう気分なんだ、知れてよかった。
「覚悟、あるんだったよね?」
決して、目の前の笑顔の男性が怖いからではないはずだ。
白石さんを起こさないように、小さく呟かれたその言葉にとてつもない重さを感じる。
心臓がひと際大きく高鳴った。
「説明、してくれるよね?」
「はい......」
僕の激しい鼓動とは裏腹に、背中には穏やかな寝息を感じる。
あぁ、ちくしょう、僕も二度寝したいなぁ。
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