僕らしさ
カリカリと紙とシャー芯が擦れる音だけが教室に響く。
今はテスト最終日、現代文の時間だ。
現代文は楽でいい。答えが文章中に書いてあるのだから、それを見つけるだけでいい。
時計を見る、まだ終了時間まで余裕がある。
テスト中の空き時間って暇なんだよなぁ。
見直しなんか一回すればいいし、かといって授業とは違い寝てたら起こされるし。
手持ちぶさたになったシャーペンを指で弄びながらぼんやりとする。
白石さんのスパルタによって、テスト全体の手ごたえはいい。
努力でなんとかなるものだなぁと思ったが、結局大事なのは積み重ねである。
僕が一日何時間も勉強する生活が続けられるとは思わないし、続けたところで最初から積んでいる人には届かないだろう。
かといって、怠惰に過ごせば下からは頑張ってきた人が僕を抜き去っていく。
人間、現状維持をするのにも努力は必要なのである。世知辛いね
上を見ればきりがない、下を見ればあとがない、とは誰の言葉だったか。
『前を向けばいいじゃない』とか白石さんには言われそうだ。
意外と努力家なんだよなぁ彼女。
将来の目標が決まっている人間は、それに向かって頑張れるから偉いよね。
努力をしなければいけない、より良く生きなければいけない、自分らしく生きなければならない。
当たり前のことだ。それが非常に難しいのだけれども。
カランと手からこぼれ落ちたシャーペンが、机に当たって甲高い音を立てる
監視役の先生がこちらを睨んでいる。
もう一度同じことをしたら怒られそうだ。仕方がないからやめよう。
チャイムが鳴るまではまだかかりそうだ。
暇なので、ペンの先っぽから芯を入れて時間を潰そう。
これ、地味に楽しいんだよなぁ。
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チャイムが鳴り、テスト用紙が回収される。
この瞬間をもって、一学期の期末試験は終了となる。
あとはテスト返しが終わったら、夏休みだ。
教室は先ほどまでの静けさが嘘のように、ざわめきと活力で溢れている。
高校二年生にとって、夏休みは大きなイベントの一つなのだろう。
運動部にとっては自分が主力となり始める時期でもあるし、来年は受験生だ。
思いっきり何かに打ち込める最後のチャンスになるかもしれない。
遊びも、恋愛も、部活もこのひと夏にかかっているのだろう。
僕? 何もないよ。どうしようね。
部活に所属しているわけでもなく、何かのコミュニティに入っているわけでもない。
カフェのアルバイトはあるが、別に毎日ってわけでもない。
遊びに行く人も、時間を使う趣味もない。
お金はあるのだから、いっそのこと自分探しでもしに旅に行こうかなぁ。
よく自分探しの旅だとか、外国に行って人生観変わったとか言うし、僕もどこか行けば何か変わるのかもしれない。
……旅先で見つけた新しい自分って本当に自分か?
今まで見つからなかったアイデンティティが、旅先にあったらそれはそれで嫌じゃないか?
頬杖をついて空を見上げる。
ギラギラと輝く太陽に覆いかぶさるように、積乱雲が出来ている。
一雨降りそうだ。窓から流れる風は少し湿り気を帯びている。
今から帰ったら濡れそうだし、ひと眠りしてから帰るかな。
夏休みのことは夏休みになったら考えよう。
いつも通りの先延ばしの思考をする。
明日のことは明日の自分が考えるのさ。
それで苦労するのは自分だけれども。
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「————、迷惑なのよ!」
「そうよ! こんな暑いのにインナーなんかきてお高くとまっちゃってさ、ズレてんのよ!」
誰かの言い争いで目が覚めた。
仮眠のつもりが思ったより寝てしまったようだ。
空は赤く染まり、窓からはカビのような湿った土の臭いがする。
降りはじめの雨の臭いがペトリコールで、降り終わりの雨の臭いがゲオスミンと言うらしい。
国語の先生が長々と語っていたのを思い出す。
「はぁ。私、なにかしたかしら」
おっと、そうだそうだ。人の口論で目が覚めたのだった。
声から察するに、白石さんとクラスメイトの女子だろう。
陰から嫌がらせを受けているって言ってたし、直接的な行動にも出始めたのだろう。
それにしても、僕が寝ている教室でやるかね?
校舎裏に呼び出すとか、気合で屋上のカギを手に入れて連れていくとかさ。
なんかこう、もっとあるだろ。
なんで石井君といい、第三者がいる場所でやっちゃうんだよ。
それとも僕の存在に気づかなかったのかな?
……じゃあ、このまま寝たフリを続けようかな。
「はぁ!? 知らんぷりするつもり!?」
「あんた、翔くんに告げ口したでしょ! 私たちが変な噂流してるって! あんたのせいで私たち翔くんに怒られたんだよ!?」
ショウくん? ......あぁ、石井君の下の名前か。
そういえば自分の責任とか言って、白石さんの悪評を消して回ってたな。
パパ活してるだの学校外で男漁りしてるだの自分より不細工は見下してるだの、散々な言われようだったもんなぁ。
で、陰口は止めようと石井君から注意された女子生徒がぶち切れて今に至ると。
理解できないね、注意されたら逆切れとか、子供かな? 子供だわ。
「理解できないわ」
お、同意見だ。珍しいね、白石さんと僕で意見が被るの。
ここからどう言い争っていくのかな、他人の喧嘩を見るのは久しぶりだ。
「ねぇ、村瀬君はどう思う?」
なんでこっちに振るんだよ。
気を利かせて寝たフリしてあげてたでしょうが。
「え! 居たの!?」
「盗み聞きしてたの、サイテー!」
本当に気がついてなかったのか......
最低もなにも僕の方が先に居たと思うんだけどなぁ。
怒っている二人を見る。いつもクラスで騒いでいる頭の軽そうな女子達だ。
ぼりぼりと頭をかきながら立ち上がる。
スマホで時間を確認する。あぁ、もうこんな時間か、帰りたいな。
「あー、ホームルームからずっと寝てたんだけど、どういう状況なのかな?」
「さぁ、この二人から聞いて」
おい、この期に及んで小説読もうとしてるぞこの女。
僕に丸投げするつもりだ。
そんな態度だから陰口叩かれるんじゃないんですか白石さん?
まぁ、陰口言う方が十割悪いんだけども。
「こいつが翔くんに私たちを怒らせたんだよ! 陰口を叩くのは止めろって!」
「私たち何も言ってないのに! 自分が良ければなにしてもいいと思ってんの!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る二人。
おぉ怖い、何で僕が怒られてるんだろう。
白石さん、よく素知らぬ顔で小説が読めますね、文字頭に入ってくるんだろうか。
「あんたもこいつにひいきするの?」
「根暗が調子乗ってんじゃないよ!」
あー、どうして僕がこんな相手をしなければいけないんだろうか。
勝手に巻き込まれて、急に暴言を吐かれるのは悲しい気分になる。
これも全部石井君のせいだな、彼が変な勘違いをしなければこんなことにはならなかっただろう。
うん、彼にも巻き込まれてもらおう。
「あー、君たちの言い分は分かった。全部石井君の勘違いで、君たちは陰口を叩いてないと」
「そうよ! 私たちは本当のことしか言ってないもの!」
「そもそも陰口を叩かれるのも白石さんの態度の問題であって、君たちの問題ではないと」
「そいつが全部悪いんでしょ! なんで私たちが翔くんに怒られなきゃいけないのよ!」
「なるほどなるほど、それは悲しい勘違いの結果だ。それが本当なら君たち二人が石井君に怒られる理由はないね」
「だからそう言って——」
「それをちゃんと石井君にも言わなきゃね」
「は?」
「君たちの言い分通りなら、石井君の勘違いが全ての元凶だよね? 二人とも何もしてないのに石井君に怒られたんだよね?」
「そ、そうよ! 私たち、悪くないもの!」
「じゃあ、早とちりした石井君が悪いよね。ねぇ! 石井君聞いてた!?」
教室の外に向かって叫ぶ。
入口の方から、すらりとした高身長イケメンが現れる。
いつもは爽やかな笑顔がはじける彼も、今この瞬間は怒りと悲しみが混じりあった何とも言えない表情をしている。
先ほどまで真っ赤な顔で叫んでいた女子二人は、見事に真逆の真っ青な顔になっている。
血の気の引いた顔ってこんな感じなんだなぁ。
「え、え、何で翔くんがここに」
「あぁ、僕が呼んだよ」
スマホで時間を確認したついでに、石井君にさりげなくメッセージを送っておいた。
白石さん以外の人に、久しぶりにSNS使ったな。無視されなくて良かった。
石井君から、無理矢理押し付けられた連絡先が活きる機会があるとは。
肩で息をしているから、そうとう頑張って走って来てくれたんだろう。
普通『教室、ヘルプ』なんてメッセージが急に来たら、いたずらだと思うよ?
「それじゃあ石井君、あとは当事者に任せていいかな?」
「分かった。......ごめん、また巻き込んじゃったね」
「いいよいいよ、僕は気にしてないから。白石さんは知らないけど」
「慣れてるからどうでもいいわ」
白石さんも怒られた方がいいんじゃないか?
一応、石井君は助けに来てくれた人なんだけど。
小説をカバンにしまい、帰ろうとする白石さんの後に僕も続く。
あ、そうだ。帰る前にもう一つ言わなきゃ。
「また勘違いがあると大変だからさ、さっきの会話ちゃんと録音しておいたから。石井君に送ったから、今度は勘違いがなくなるといいね。それじゃあごゆっくり~」
教室の扉を静かに閉める。
中から何か叫び声が聞こえたような気がしたが、もう僕には関係ない。
全部石井君がなんとかしてくれるだろう。……してくれないと困る。
「ふふ」
下駄箱を出たあたりで、白石さんが急に笑い出す。
さっきまでの無表情はどこへやら、愉快そうにこちらを見つめている。
「あなた、頼りないわね」
「......普通、感謝の言葉が先に出てくるものじゃないの?」
「だって、他人任せじゃない」
「白石さんが僕に話を振らなきゃよかっただけでしょうが」
「あの人たちの話してる意味が分からなかったから、あなたならちょうどいいかなって」
「僕を身代わりにしないでよ。それに、僕はあんな支離滅裂な怒り方しないよ。......僕あの二人と同レベル扱いされてない?」
「気のせいよ、ふふふ」
夕日をキラキラと反射する黒髪が、楽しそうに揺れる。
無邪気な少女のように笑う彼女は、教室で能面のように座る彼女とは別人のような印象を抱かせる。
普段からそういう顔しとけばいいのに。
まぁ僕も普段からコミュニケーションを取ったり、愛想よく生きていないので人のことは言えないのだが。
人生、した方がいいことって地味にできないよね。努力しかり、愛想しかり。
頭では分かってんのになぁー、実行できないんだよなぁー。
「ありがとう」
「え?」
「二度は言わないわ」
くだらないことを考えていたら、不意に聞こえた声にワンテンポ遅れる。
白石さんがお礼を言うなんて......明日は槍でも降るのかな?
前を歩く彼女を見る。
夕日のせいか恥じらいか、少し耳が赤いような気がする。
慣れないことを言ったからかな?
じゃあ、僕も慣れないこと言ってみようかな。
失敗しても夕日のせいにできるし。
「じゃあさ、夏休みになったら、二人でどっか出かけない? たまには高校生らしいことをしようじゃないか」
「それは嫌よ」
寝たフリし続けとくんだった。
やっぱり、石井君しか僕の味方は居ないのかもしれない。
一人駅の方に消えていく彼女を見て、助けたことを後悔した。
ピロンとスマホが着信音を鳴らす。
おや、僕のスマホが鳴るなんて珍しい。
見ると、白石さんから一言だけのメッセージが届いていた。
『カフェならいいわ』
高校生らしいことはしなくても、会う分には良いってことなのかな?
まぁ、そっちの方が僕達らしいか。
退屈にしか思えなかった夏休みが、少しだけ楽しみに思えた。
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