とある地方での怖い体験3
店を出ると、雪はさらに深く降り積もっていた。
暖簾をくぐった瞬間の温もりが嘘のように、夜の空気は冷たく、頬を刺す。
「……峠の女、か」
俺は小さく呟きながら、足を雪に沈めて歩き出した。
ホテルまでの道は静かで、人影もない。街灯の下で舞う雪が、さっき聞いた話を思い出させる。
「どうするかな……。別の道を選ぶべきか?いや、遠回りになる。時間もかかる」
「でも、あんなに真剣に言われたんだ。減速するな、振り返るな……。まるで本当にあるみたいじゃないか」
独り言は止まらない。
「観光で来てるんだし、景色を見たいって思ったのは確かだ。峠を越えれば隣県にすぐ出られる。便利だ」
「けど、もし……もし本当に女が立っていたら?瞳のない顔がライトに浮かび上がったら?」
足を止め、雪を見つめる。
「いや、そんなのあるわけない。都市伝説みたいなもんだ。地元の人が観光客を脅かすために言ってるだけだ」
「……でも、あの沈黙。笑い話じゃなく、本気で止めてるように見えた」
ホテルの灯りが見えてきた頃、背後から声がした。
「……あんた、本当に峠を通るつもりか?」
振り返ると、居酒屋で一番年配だった老人が立っていた。
雪をかぶりながらも、目は真剣そのものだった。
「やめとけ。あの峠は、外から来た人間が通ると必ず“見てしまう”。俺たちが話したのも、本当は良くなかった」
老人の声は低く、重い。
「……でも、遠回りになるんですよ。明日には隣県に行きたいんです」
俺は言い訳のように返す。
「遠回りでもいい。命があるならな」
老人は一歩近づき、俺の肩に手を置いた。
「峠の石碑の前で減速するな。絶対に振り返るな。もし女が立っていても、見なかったことにしろ」
その言葉に、背筋が凍る。
「……分かりました」と答えながらも、心の中ではまだ揺れていた。
ホテルの部屋に戻り、窓から雪を眺める。
「どうする……。別の道を選ぶか?いや、峠を越えるか?」
「遠回りは面倒だ。けど、怖い。怖いけど……行ってみたい。確かめたい」
布団に入っても、頭の中で同じ言葉がぐるぐる回る。
「行くか、行かないか。峠を越えるか、避けるか」
やがて、決意が固まった。
「……行こう。峠を越える。怖い話なんて、ただの噂だ。俺は見ない。減速もしない。振り返らない」
そう言い聞かせながらも、胸の奥では別の感情が膨らんでいた。
なぜか、無性に行かなければならない気がする。まるで峠そのものが俺を呼んでいるように。
雪の夜は静かに更けていく。
その決意が、翌日の運命を決めることになるとは、まだ知る由もなかった…




