とある地方での怖い体験2
「ところで、いつ帰るんだ?」
隣の男が盃を傾けながら尋ねてきた。
「明日には隣県へ向かう予定です。観光しながら、山道を抜けて険道を通って帰ろうと思ってます」
俺がそう答えると、周囲の常連客が一斉にこちらへ顔を向けた。
「……おい、そのルートって、あの峠を通るんじゃないか?」
年配の男が低い声で言う。
「そうそう。雪深い山を抜ける細い道だろ?観光客はまず使わん」
別の客が頷く。
俺は少し驚いて盃を置いた。
「ええ、地図で見たら近道になるみたいで。景色も良さそうだと思ったんですが……」
「景色はいいさ。晴れてりゃな」
年配の男が苦笑する。
「だが、雪の夜にあの峠を通ると――妙なものを見るって話がある」
「妙なもの?」
俺が聞き返すと、別の客が身を乗り出してきた。
「峠の途中に古い石碑があるんだ。誰が建てたかも分からん。雪に埋もれて普段は見えんが、夜になるとそこに女が立ってるってな」
「女……ですか?」
「そう。着物姿で、雪にまみれてる。顔は白いんだが、目のあたりだけ妙に暗くてな……まるで穴が空いてるみたいに見えるんだ」
男の声は妙に静かで、居酒屋のざわめきの中でもはっきり耳に届いた。
「俺の知り合いもな、去年の冬にその道を通ったんだ。ライトに照らされた瞬間、女がこちらを見ていた。けどな――目が合ったはずなのに、瞳がなかったって言うんだ」
別の常連が盃を置き、真顔で語る。
「慌てて車を止めたら、もういなかったそうだ。足跡も残ってなかった。雪だけが、妙に濡れていたってな」
その話に耳を傾けていた別の客が、急に声を荒げた。
「おい、やめろ!そんな話を軽々しくするもんじゃない」
その場が一瞬、静まり返る。
「……どうしてです?」俺が恐る恐る尋ねる。
「峠の女の話はな、外から来た人間に語ると、必ず誰かが“見てしまう”んだ。だから地元じゃ、あまり口にしない」
注意した男は真剣な顔で盃を置いた。
「そうだ。俺たちも、あんたがその道を通るって言うから、つい口が滑っただけだ。普段なら絶対に話さない」
年配の男も頷く。
「まあ、信じるか信じないかは自由だ。ただ、雪の夜に峠を抜けるなら、石碑の辺りでは絶対に減速するなよ」
「減速……しない?」
「止まったら、見られる。目を合わせたら、帰れなくなるって噂だ」
年配の男が盃を空け、静かに言った。
「それに……」注意した男がさらに声を落とす。
「もし女がこちらに歩み寄ってきたら、絶対に振り返るな。振り返った瞬間、後ろにいるのは女じゃなくて――自分自身だって話もある」
居酒屋の温かい空気の中で、妙に冷たい沈黙が落ちる。
俺は盃を手にしたまま、雪の峠道を想像して背筋が凍るのを感じていた




