温泉街の記憶2
酒屋のおばあちゃんと話しているうちに、ふと昔のことを思い出した。
仕事終わりに、会社の上司を温泉街まで車で送らされたことがあった。あの時は「なぜ俺が」と苛立ちを覚えたものだ。けれど今となっては懐かしく、笑える思い出になっている。少し歳を重ねて落ち着いたのかもしれない。
夕闇が街を包み始める頃、再びカメラを構えた。石畳に行灯の光が落ち、旅館の窓から漏れる灯りが少しずつ増えていく。シャッターを切るたびに「カッシャ」という音が静かな街に響き、過去と現在が交錯するようだった。
やがて、一件の空き家の前で足が止まった。
なぜそこで足が止まったのか分からない。ただ、ちょうど丁字路になった角にある古びた家が、妙に目を引いたのだ。窓は板で塞がれているのではなく、昭和の頃のすりガラスがそのまま残されていた。曇ったガラス越しに室内の影は見えない。ただ、街灯の光がぼんやりと反射し、時代の残り香のように漂っている。
その向かいには、一軒のスナックがあった。ネオンの灯りが控えめに揺れ、看板には妙に洒落た名前が書かれている。思わず「こんな街にしては洒落てるな」と心の中で呟き、通り過ぎようとした
その時。
背後から、かすかな音がした。
「カラン…」と、誰も触れていないはずのすりガラスが揺れたような気がした。振り返ると、ただの影が濃くなっているだけ。だが、カメラを構えた指先に、妙な冷たさが走った。
街の灯りは穏やかに揺れている。だがその角だけは、時間が止まったように静まり返っていた。




