古い手鏡12
長い読経が淡々と続いた。
僧侶の声は低く、一定の調子で響き渡り、時折木魚の音が静けさを刻んだ。
俺は鏡を前に置いたまま、ただじっと待ち続けた。
時間の感覚は薄れ、読経の響きだけが心を満たしていった。
やがて、読経が静かに終わりを告げた。
本堂の空気はさらに冷たく澄み、鏡の朱色はわずかに沈んだように見えた。
僧侶は目を閉じたまましばし沈黙し、やがてゆっくりと口を開いた。
僧侶:「……手鏡は、眠り始めました。
これから毎日、読経を聞かせることで、さらに落ち着いていくでしょう。
ただし──魅入られた女性には、この鏡を割って処分したと伝えなさい。
決して眠らせたまま残しているとは言ってはならない。
欲する心を断ち切らなければ、縁は再び目を覚まします」
俺:「……割って処分した、と……」
僧侶:「そうです。真実を語ることが必ずしも善ではありません。
縁を断ち切るためには、時に嘘も必要なのです。
欲望に縁が触れれば、眠りは破られ、再び災いを呼びます」
僧侶は少し姿勢を正し、説法のように言葉を続けた。
僧侶:「……あなたは骨董品を好むのでしょう。
古きものを愛でる心は尊いものです。
しかし、骨董とはただ古い物ではなく、時に人の念や縁を宿すもの。
見極めを誤れば、物に振り回され、心を乱されます。
物は人を飾り、人を慰め、人を導くこともあります。
しかし同時に、人を惑わせ、人を縛り、人を滅ぼすこともある。
その違いは、持ち主の眼と心にかかっています。
値段や美しさに惹かれるのは自然なことです。
ですが、骨董を手にする時は、その背にある影を感じ取らねばなりません。
影を見抜く目を持たずに集めれば、やがて自らが縁に囚われることになるでしょう。
縁ある物を手にしたなら、必ずその物に耳を傾けなさい。
静かに見つめ、心で問いかけるのです。
もし答えが曖昧で、不安を覚えるなら、その物はあなたを選んでいない。
選ばれていない物を無理に持てば、必ず心を乱します」
その言葉は、説法でありながら、俺に向けられた警告でもあった。
俺:「……確かに、骨董市では美しさや珍しさに惹かれてしまいます。
でも、その裏にあるものを見極める目を持たなければならないのですね」
僧侶:「そうです。物は人を選びます。
選ばれた時にどう向き合うか──それが持ち主の責任です。
あなたが今日ここへ来たことは、選ばれた者としての一つの答えでしょう。
忘れてはならないのは、物を愛する心と同じくらい、物を恐れる心を持つことです。
恐れを持たぬ者は、やがて物に呑まれます」
俺は深く頭を下げた。
鏡は眠りについた。だが、僧侶の言葉が胸に残り、骨董品への向き合い方を改めて考えさせられた。
本堂の静けさの中で、朱塗りの艶はもう光を返さなかった。
ただ、僧侶の説法の余韻だけが、心に重く響いていた。




