古い手鏡11
僧侶に導かれ、俺は本堂の中へ足を踏み入れた。
外の光が遮られ、薄暗い空間に冷たい空気が漂う。
木の床は古びて軋み、香の残り香が微かに鼻をくすぐった。
朱塗りの鏡を抱えた腕が妙に重く感じられ、心臓の鼓動が耳に響く。
僧侶は静かに座を勧め、俺の正面に腰を下ろした。
しばし沈黙が流れ、やがて低く穏やかな声が響いた。
僧侶:「……誰から、ここを教えられましたか」
その問いに、俺は少し息を整えて答えた。
俺:「骨董市で、朱塗りの鏡を譲ってくださった女性です。
彼女から、この鏡は業の深い品物だと聞きました。
そして、もし迷うならこの寺を訪ねるようにと……」
僧侶は目を細め、静かに頷いた。
その仕草は、すでに事情を知っているかのようだった。
僧侶:「……あの方から、ですか。ならば、ここへ来るのも縁でしょう。
その鏡を手にした者は、いずれこうして答えを求めに来るものです」
俺は鏡を見下ろし、言葉を続けた。
俺:「この鏡を持っていると、友人たちに悪縁がついてまわるのではないかと……。
彼女が欲しがっているのですが、渡せば必ず不幸になると聞きました。
それだけはどうしても避けたい。
だから、ここを訪ねました。
この鏡を……どうすべきなのか、教えていただきたいのです」
僧侶はしばし沈黙した。
その沈黙は重く、言葉以上に圧を持っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
僧侶:「……その鏡は、人の縁を映す鏡です。
人を美しく見せ、惹きつける力を持つ。
しかし同時に、その縁を歪め、持ち主を不幸へと導く。
あなたが恐れるように、周囲の者もまた、その縁に巻き込まれるでしょう」
俺は息を呑み、鏡を抱える腕に力を込めた。
僧侶の言葉は淡々としているのに、胸の奥に重く響いた。
俺:「……では、やはり持ち続けるべきではないのですね」
僧侶は静かに俺を見つめ、言葉を選ぶように続けた。
僧侶:「処分することは容易ではありません。
ただ捨てれば、縁は断ち切れず、別の者に移るだけ。
祓いを行うことで、縁を軽くすることはできるかもしれません。
しかし……完全に断ち切れるかどうかは、あなたの覚悟次第です」
本堂の空気がさらに冷たく感じられた。
鏡の朱色が薄暗がりの中で艶めき、まるでこちらを試すように光を返していた。
車から抱えてきた時の重さが、今も腕に残っている。
その重みは、ただの物の重さではなく、縁そのものの圧のように感じられた。
俺は深く息を吸い、僧侶の言葉を胸に刻んだ。
迷いが渦を巻く中、震える声で問いを重ねた。
俺:「……こちらで、ご供養は可能でしょうか?」
僧侶は鏡へと視線を移し、長い沈黙の後に口を開いた。
僧侶:「……供養という形で縁を鎮めることは、可能です。
ただし、それは鏡の力を完全に消すものではなく、眠らせるに過ぎません。
あなたが本当にそれを望むなら、ここで行うことはできるでしょう」
その言葉に、胸の奥がさらに重く沈んだ。
供養は可能──だが、それは終わりではなく、ただ眠らせるだけ。
朱塗りの艶が、まるでその言葉に応えるように、ひそやかに光を返していた。
俺:「……俺は、この鏡を持ち続ける覚悟はありません。
友人たちに悪縁が及ぶのは、どうしても耐えられない。
彼女が欲しがっていることも……渡せば必ず不幸になると分かっている以上、できません。
だから……供養をお願いします」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥で渦巻いていた迷いが少しだけ静まった。
僧侶は深く頷き、静かな声で応えた。
僧侶:「……分かりました。では、この本堂で供養を行いましょう。
鏡をここへ置いてください」
俺は震える手で朱塗りの鏡を前へ差し出した。
その艶は、最後の抵抗のようにひときわ強く光を返した。
まるで、眠りに落ちることを拒むかのように。
しかし、俺は目を逸らさず、僧侶の前に鏡を置いた。
供養を決断した以上、もう後戻りはできない。
……本堂の空気がさらに冷たく張り詰めていった。




