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後日譚:沈丁花の香りの男

その夜、場末の飲み屋でひとり酒を飲んでいた。

カウンターの隣に座った年配の男が、妙に馴れ馴れしい調子で声をかけてきた。

「なあ、前に会ったことあるよな。どこだったっけか……」

俺は曖昧に笑って返した。知らない顔だと思ったが、男はしつこく話しかけてくる。

「ほら、あのスナックだよ。あんた、会社の人たちと何人かで来てただろ? 俺、隣に座ってたんだ」

そこでようやく思い出した。確かに以前、会社の同僚とスナックに行った夜があった。酔いの中で、隣に座っていたこの男が妙に沈丁花の匂いをまとっていたのを覚えている。

「聞いてくれよ。俺、またあの匂いを嗅いじまったんだ」

男はグラスを揺らしながら、低い声で続けた。

「助手席に座ってるんだ。黙って外を見てるだけで、何も言わねえ。ただ、沈丁花の匂いだけが残る」

俺はただ黙って聞いていた。女を見たこともないし、匂いを感じたこともない。

だが、男の語り口には妙な切実さがあった。

「この前な……俺、連れて帰っちまったんだよ」

男は苦笑しながらも、目の奥に涙を浮かべていた。

「家に着いたら、沈丁花の匂いが部屋中に広がっててな。誰もいないのに、布団の端が沈んでたんだ」

その瞬間、飲み屋の空気が変わった。煙草と酒の匂いに混じって、確かに沈丁花の香りが漂った。

男はグラスを置き、震える手で顔を覆った。

「俺、もう逃げられねえんだ。あの女、俺に憑いてるんだよ。切なくてな……置いていけねえんだ」

そう言うと、男は立ち上がり、ふらりと店を出ていった。

夜風に混じって、沈丁花の匂いが濃く残っていた。

俺には何の影響もなかった。ただ、背中を丸めて歩いていく男の姿が、女を連れ帰る影と重なって見えた。

そして、風に混じって女性の声が微かに聞こえた気がした。

「もう…さない…」

その声を聞いて切なさと恐ろしさに寒気を感じて、今も記憶に焼き付いている。

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